段ボール箱の洋書

日曜日。朝、創さんが買ってきてくれたボヌールのコロッケサンド、ピーナツクリーム入りコッペパン、ミルクコーヒー。海側の窓のカーテンを開けて、景色を見ながら食べる。旧居の片付けに行くつもりだったけれど雨なのでやめて、段ボール箱の洋書を少し片す。読書。昼は遅め、ラーメンをつくって食べる。具は、小松菜と葱と卵。それからGの仕事。

晩ごはんは鶏肉のねぎ塩だれがけ、ごはん、スープ。

ジョギング、『の・ようなもの』

朝の創作メソッド」というものを友達に教えてもらったのをきっかけに、タスクのひとつとして、日記を再開してみることにしました。情熱ややる気で書くんじゃなくて、たんたんと、というのが大事なのだそうです。自分の書くものと自分との距離を測る、ものさしみたいになったら良いな。

 

土曜日。久しぶりにジョギングしてみる。海を見ながら1.9キロ。少し息がせいせいする。海のなかにはサーフィン教室のグループが何組も浮かんでいる。波はほとんどなかった。正午過ぎ、手配していたヤマトの本棚の移送の人来る。八百屋か魚屋みたいなエプロンを腰に巻いた銀髪のおやじさんと、色白の若者。土曜発送・日曜届けのはずだったが、おやじさんが気を利かせてくれて、そのまま新居へ運びこんでくれた。片づいた書斎で、陽が暮れるまで読書。それから『の・ようなもの』観る。どのような自由さによって、こんな最高な映画が成り立っているのか、わからなすぎて、びっくりした。お馬鹿で、すけべで、おかしくて、秋吉久美子がかわいくて、堀切からのナイト・ウォークのシーンで、しみじみしちゃうのだった。

晩ご飯は、具だくさん鮭汁とごはん。

札幌でぐるぐる

 8月22日午後、新千歳空港着。空港からバスに乗って地下鉄澄川駅前で降り、天神山アートスタジオまで歩く。思いのほか暑くて、坂を登ったら汗だくになった。到着すると眼鏡のスタッフさんが扇風機を私に向けてくれ、私は手続きをして、自分の部屋に落ち着いた。大きな窓いちめんに背の高い楓の緑がそよいで、その窓を網戸にすると気持ちのいい風が入ってきた。今日から8日間、ここが私の部屋。シャワーを浴びて、来る途中で見かけた純連まで歩き、みそラーメンを食べながらお店のテレビでニュースを見た。ニュースは札幌の暑さのこと、百年記念塔が解体か存続かで揺れていること、市街地でクマの出没が相次いでいることなど。部屋に戻って、連載の詩を書く。天神山の風景がもう身体に入っていることが、書いているとわかる。

 23日、お昼頃から豊平川へ出かける。暑い。途中で通った精進川の小川は木々に包まれて涼しいのに、そこを抜けるときつい日光の下を歩かなければならなかった。川の手前には広い車道が、家々の玄関よりも高く敷かれて、念入りに護岸されている。車道を渡ると川べりではジョギングしている人がまばらにいた。川は低く広く流れて、その向こうに藻岩山が見えた。精進川との合流地点で釣りをしている人もいた。私はその光景をすすすーと見て、すぐにまた道を渡ってショッピングモールのミスタードーナツに駆け込んだ。少し読書。それから自炊の買い出しをして部屋に戻って、今回のいちばんの目的である原稿の事始め。

 24日、朝はパンと豆サラダ。午前中から昼過ぎにかけて、昨日の原稿の続きを仕上げる。一段落したので、台風の近づく雨のなか「がたんごとん」に行ってみる。お兄さんがひとり、黙々と箒を作っている。カフェドクリエに移動して少し読書。夜、会いたかった詩人と澄川駅で待ち合わせて、スープカレーと焼き鳥の店へ。夜10時頃まで、生きること=書くことの話をした。栄養。

 25日、@SIAF_HACKさんの計らいで「たべるとくらしの研究所」へ。所長(?)の安斎さんにお話を伺う。私は今度の自分の詩集を編んでいたとき、頭のどこかにずっと、福島を出た親子のイメージがあった。でもこれまで一度も、あのとき福島を出た(と公言している)人に会ったことがなかった。だから安斎さんに話を聞いて、そもそも最初は震災で余儀なくされた移動の先でいまは(もっと)ハッピーになるために自ら移動のために動いていると聞いて、深く頷いたし、果樹園や畑の仕事をしてきた安斎さんと、私が書きながら考えてきた放射性物質の話をあんなにスルッとできてしかも(わかるなぁ)と思えたことは、素敵な驚きだった。安斎さんは自分のことをあまのじゃくだと言っていた。二時間かそこら話を聞いただけで(わかるなぁ)は傲慢かもしれないけれど、それでも会って話すことで、じんわり伝わってくることがさまざまにあるのだった。安斎さん、 @SIAF_HACKさん、ありがとうございました。
 夕方、オープン前の「喫茶こん」に移動して、午後5時から朗読会。風は強かったけれど晴れて、当日のお客さまも見えて、いい会になりました。夜は道民おすすめのチェーン居酒屋「炎」でザンギなど。

 26日、北海道新聞のI本さんに教えてもらったギャラリー「テンポラリースペース中森」へ。この日が最終日だった個展の作家、齋藤周さんに声をかけたら、文月悠光さんの美術の先生なのだった。びっくりして帽子をとる。中森さんにもご挨拶することができた。吉増剛造さんとの出会いのことから、スペースの間取りと歴史のこと、北海道から海経由でロシアに渡りトナカイの旅をした夫婦のこと、沖縄のアーティストのことまで、いろいろ話してくださる。スペースのふしぎな居心地良さもふくめて、ものすごい情報量の何かを受けとった気がして、南へ向かって歩きながら、何を受けとったのか確かめようとした。北海道大学ミュージアムショップに寄って、はがきと、小さな家のかたちに切り出された軟石のアロマストーンというものを買う。さらに歩いて、モリヒコというカフェで休憩。ノート。夜は部屋で、トマトサラダとレトルトカレー

 27日、部屋で一日、新しい企画の構想を練るなど。様々な人に聞いた様々な話が脳内をぐるぐる巡っていて、ばくはつ気味。夕方、昨日中森さんのところで知りあったかりん舎を訪ねる。ご縁を大切にいろんな書籍を刊行したり展示を企画したりしている、女性ふたりの出版社。猫もふたりいて、ででんと私の前のテーブルに伸び広がる大きな雄さんと、そそくさと動きまわる小回りのいい雌さん。窓から藻岩山の夕陽が見えた。昨日中森さんに「夕飯でも食べたら」と言われたのをいいことに、ラーメンサラダなどいただいてしまう。おいしい。それからかりん舎で作った絵本や記録集や、展示で使った陶板アートや、石牟礼道子さんが参加していた九州のカルチャー誌などを見せてもらった。車で送っていただいて20時頃帰宅。読書。

28日、朝はごはんと納豆とウィンナーと目玉焼き。少し多く用意しすぎた。人生12年周期問題について考える。2006年の自分の生き迷いっぷりと確かに重なる部分のある今年だけど、その後の12年を思い返せば、全く心配ない気もしてくる。午後、呼吸を整えるために、旅先恒例のチェーン系カフェ。土地のものを吸収しすぎて膨らみすぎたとき、これがとてもいい。大通り公園の近くにモスバーガーを見つけて入る。アイスコーヒー。それから庭ビルへ移動して@SIAF_HACKさんとのトークイベント。喫茶こんのまり奈ちゃん、昔の同僚のI神くん、来てくれる。

29日、朝から読書。日が暮れてから古本とビールの店、アダノンキへ。ひと晩くらいおいしいお酒が飲みたいと思っていたので、嬉しかった。

30日、降ってるのか降ってないのかわからないくらいの雨模様。パッキングと部屋の掃除をして、スーツケースは送ることにして、身軽な身体で回転寿司のトリトンへ。サンマと本まぐろがとてもおいしかった。新千歳空港で時間が余ったので「オーシャンズ8」観る。レディースデー。

祝辞

神里雄大バルパライソの長い坂をくだる話」岸田戯曲賞受賞によせて

Hola, buenas noches. Estoy muy feliz de celebrar el premio de Yudai con todos ustedes. Felicidades!

こんばんは、大崎清夏と申します。
神里くん、きょうはほんとうにおめでとうございます。

私たちが出会ったのは、早稲田大学の学生だったときです。せっかく早稲田に入ったのに演劇がよくわからなかった私に、おもしろい演劇、新しい演劇を初めて見せてくれたのは、岡崎藝術座でした。

岡崎藝術座の演劇は、人間がことばを喋るんじゃなくて、ことばが肉体をもって人間の顔をしてうろうろしてるように見えるところが、面白いなーといつも思います。どんな人間もその人の生きてきた言葉を血や肉にしているわけですが、神里くんはその血や肉を、頭や手足や胴体と同じくらいフィジカルにとらえているように思います。

神里くんの戯曲が、戯曲かどうかという議論がいつかどこかであったそうですが、私にとってはその議論はどうでもよくて、それについて話すなら、神里くんの戯曲は、たいていの場合、詩だと思うのですが、俳優を通してしか感受できないかたちで存在する詩があるとしたら、それは戯曲と呼ばれるんじゃないかと思います。

私たちは偶然、別のルートを辿ってラテンアメリカの文化に触れることになりました。私はつい先日、キューバの文学祭で、日系アルゼンチン人の女の子と出会いました。彼女の親友のお兄さんは「バルパライソの長い坂をくだる話」の出演者でした。この国の多くの人は、自分のことを移民ではないと思っているかもしれないけど、移民というのは、異なる文化のなかに移って、住む人のことです。私たち自身、もしくは私たちの両親や祖父母が、一度もそんな経験をしていないなどということがあるでしょうか。そう考えれば、私たちには、誰でも、移民の血が流れています。受賞作は、とても普遍的なテーマに挑戦していると思います。

もう10年以上前に上演された、私の大好きな岡崎藝術座の初期の作品、2007年の作品ですが、私はこの作品がいまでもいちばん好きで、それを見た日のことを書いた文章があるので、それも10年前の文章なんですけれども、きょうはそれを読んで、祝辞にかえたいと思います。

 二〇〇七年の暮れのこと。わたしたちは高田馬場のふるいバーでお酒を飲んでいた。岡崎藝術座の一人芝居「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」を観たあとのことだった。ついさっきまで、そのカウンターの向こうでひとりの若い女優さんが、バーのママの四〇年分の「いま」を演じていた、その同じカウンターの向こうで、そのバーの実のママであるりつこさんが、手に持った大きな氷を割り続け、ロックのウィスキーをつくり続けていた。その時、黒いコートのおじさんが入ってきた。狭いカウンターのまんなかの席に黒いコートのおじさんは座った。りつこさんが、あら、二年ぶりじゃない?と言った。言った傍から、こないだ誰それが電話してきたのよ、と喋りだしたりつこさんとそのおじさんは、とても二年ぶりとは思えなかった。りつこさんの四〇年全部がいまなのだと、その会話はあかしていた。
 カウンターの向こうに、いまはりつこさんというひとがいる。でもあと四〇年経ったら、りつこさんを血や肉にしているバーそのものが、陰もかたちもなくなっているかもしれない。四〇年もバーを続けるという、嘘みたいなことをやっている、りつこさんという現象。四〇分かそこら、嘘をつき続ける、演劇という現象。どちらもあまり変わらない、とわたしは思った。
(詩集『地面』あとがきより)

神里くん、ほんとうにおめでとうございました。

ハバナ日記(4)

Alamarからバスで、ケティのママの住むLautonへ。ディウスメルも一緒。ママとママの彼氏に挨拶する。アパートの二階にあるママの部屋のベランダからは、ハバナの中心街とその向こうの海が見える。隣の家からレゲトンが聞こえてくる。朝ごはんをいただいて、みんながのんびりした日曜の気分を味わうなか、ひとりそそくさと絵本の原稿を仕上げさせてもらう。壁掛けテレビでは録画の「GOT TALENT」のスペイン語版を流していて、ママがときどき笑っている。昼ごはんもいただき、今度はケティがディウスメルの助けを借りながらブックフェアのプレゼン資料をつくる間、リビングのソファベッドですこし昼寝。ここでもいい風が吹いている。夕方、近くの公園でネット回線を拾って、業務メールをいくつかやっつける。ケティが自分の携帯のメールを見て嬉しそうに「サヤカ、今夜はちゃんとパーティーがあるよ!」と言う。

 中心街へ向かうバスを、ディウスメルは途中で下りて家族のいる家に帰り、ケティは人に道を何度も尋ねながら私を会場まで連れていった。見ず知らずの怪しいお兄さんが声をかけてきたと思ったら、若手作家ミーティングの参加者だよ!と言うのでホッとする。道を渡って住宅ふうのビルに入り、屋上まで階段であがると、見覚えのある面々がギターを囲んで歌ったり踊ったりしていた。テーブルにはラムの大きなボトルがドンっと置いてあってみんなストレートでぺろぺろ飲んでいる。ビールなんかないのだ、ラムなのだ。クールだ。ちびちびそれを舐めていると、キューバ人の黒人の男の子、ヤンシーが話しかけてくれる。ぜんぶスペイン語なのに理解できる。ゆーーーっくり話してくれるのだ。アダはいつのまにか見つけた男と仲よさそうにいちゃいちゃしている。その男オスマイルは確かに好青年で、それでキューバはどう?と私に、ざっくりした質問。ソーミュージカルでソーエモーショナルだよ、オールディフェレントフロムジャパンだよ、と私もざっくり答える。メキシコからの素敵な人びと、おっとりしてかわいらしいアドリアナ、ぽっちゃりゲイの愉快なチェぺ、名前の由来は緑の王冠だと教えてくれたほっそりのステファニーと知りあう。メキシコのみんなのノリは、ほっぺで挨拶するカリブの超近距離コミュニケーションの世界に比べてとても控えめで、ふしぎと日本人の友だちノリと共通するものがあって、すぐに仲良くなってしまう。アメリカを挟んで、私たちは文化をシェアしてる。みんなでひとしきりトランプに悪態をついて悲しくなってから、何やってんの私たち、政治なんてやめよやめよ、詩が必要なんだったわーと我に返る。チリのスキンヘッドの女性作家パメラが、私の朗読がすごくよかったと言ってくれる。彼女は経血を聖なる血と表現するような人で、本の題は「月の狂気」で、情熱的で深くて強いものを愛している。私は深さと柔らかさの共存は無理だと思っていたけどあなたはそれをやっていた、深くて柔らかくてセクシーだった、私たちはすごく違うけど、同じことを表現していると言ってくれた。すごく嬉しかった。いくらでも話していられて、パーティーはあっという間におひらき。みんなでマレコンに移動してもう少し喋る。エミリオに会うと、パウラは風邪をひいて寝てると言う。歩きながら好きな監督を3人あげるゲームをやった。エミリオはタルコフスキーとトリアーを挙げて、私は北野武アンゲロプロス。もうひとりがどうしても思いつかなかった。後になって、あっエドワードヤンだ!と思った。

私の面倒を見なければならないケティがお疲れ気味なので、名残惜しい気持ちでマレコンを後にした。遅すぎてAlamarへ帰るのは危険だというので、Nに来てもらって、ハバナ大学の近くの空き部屋を貸してもらう。ぶよぶよのスプリングのダブルベッドでケティと眠った。

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ハバナ日記(3)

 2月3日。気持ちのいい朝。民泊にはシャワーがないのでケティの叔母さんの家まで浴びに行って、Nとテラスで涼む。昨日あのミュージシャンが言ってたライブに招待の話、あれほんとかな、うん、あれはマジのやつじゃない?とNと確認しあう。そういえば、あれからアダはどうしたのだろう、Alamarへは帰ってこなかった。
 今日もバスに乗って〈詩の家〉へ。Nとどこで別れたのだったか思いだせない。ケティがミーティングでプレゼンしている間、私はがらんとした食堂で絵本の仕事の原稿にとりかかる。開け放した中庭への扉から、いい風が入ってくる。
 パウラに会えたので、持ってきていた「はっぱのいえさがし」を差し上げる。さっきの食堂でみんなに昼ごはんの配給。胃にもたれる系の、お米と肉のお弁当。食べられるだけ食べる。午後、ケティが親友のディウスメルを紹介してくれた。この人はとても優しく思慮深い人なのだけれど、その優しさと思慮深さが行きすぎて、こちらにすこし圧を感じさせる。彼に悪気はないので、私もがんばった(が、数日後に限界をみることになった)。ついに私のネット禁断症状が現れてきて、3人で旧市街をうろうろして道ばたのお兄ちゃんから1時間分のwifiカードを買って、マレコンで繋いだ。まる2日ぶりのインターネット。たった2日間接続していなかっただけで、なんだかとても頭がすっきり整理されている気がした。
 マレコンの防波堤にあぐらをかいて座ると、脳内に「世界ふれあい街歩き」の音楽が流れた。夕方からは、マレコン通りに面したイスパノアメリカ会館で朗読会。壇上で合奏団が、うっとりするような曲や感傷的な曲を奏でて、その合間に詩人が壇上に呼ばれて朗読する。音楽はどの曲もどの曲も、こういう機会に演奏される音楽としての最高峰の音楽だった。昨日はいなかったオランダやトルコからの詩人も来ている。あらっ、ちょっとあんた、どーしてたの?なんつって、壇上で1日ぶりのアダに再会。ほんとボヘミアンな性格なのだ。昨日よりは元気そうな顔で、しれっと自分の出番をこなしている。私はケティにチェックしてもらった片言のスペイン語であいさつして、「テロリストたち」を読んだ。読みおえると大きな拍手をもらった。誰かがブラボー!と言ってくれたのが聞こえた。終わったあとは会場のテラスでスナックをつまみながら雑談。メキシコから来たミゲルが「Por Favor, Lea La Poesía」と書いた赤いステッカーを大量にくれる。
 ディウスメルとケティと、マレコンから昨日のパスタ屋まで移動して夕飯。ケティ、パスタを注文したまま、ちょっとと言って出かけたまま、私とディウスメルが食べ終わっても帰ってこない。パスタ屋の閉店時間になって、ディウスメルが探しにいくのと入れ違いで戻ってくる。何をしていたのかよくわからない。またマレコンに戻ってみるとまだみんないて、アダもいて、これからみんなでどこかでパーティーをするというので集団についていったけど、どこまで歩いてもどこが会場なのか誰もよくわかっていないみたいだった。疲れてしまったのでもう帰ることにして、中央広場の前で乗り合いタクシーを拾って今夜はディウスメルと3人でAlamarへ。彼の親戚の家が、ケティの叔母さんの家のすぐ裏手にあるのだった。

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ハバナ日記(2)

 2月2日。涼しい朝。Alamarの民泊のご夫婦は、ちんみたいな犬を3匹飼っている。家の外にも黒い犬がいて、あれもお父さんの犬?と聞くと、あれは違う、知らない犬だと言う。犬が多い。団地の壁の色はカラフルなパステルカラー。団地のまわりはゴミだらけ。どこかから音楽がきこえる。シャワーを浴びてバスに乗って、ハバナの旧市街へ。Alamarから旧市街まで、車でゆうに30分くらいかかる。

 旧市街のカテドラル広場に面した〈詩の家〉に向かう途中、メキシコから来た高校生の団体と出会う。彼らも若手作家ミーティングの参加者なのだ。若いというより、子どもたちに見える。引率の先生とケティが話しはじめ、アダは「おなか空いたよ〜、だから団体行動は嫌いだよ〜」と言ってひいている。私も彼らとついつい自己紹介しあいっこを始めてしまい、気がつくとアダとケティは広場の反対側にある猫の看板のカフェに入るところだった。トーストとコーヒーで朝ごはん。猫が寄ってきて、じーと見る。

 〈詩の家〉ではミーティングのプログラムがどんどん始まって、思ったよりパンクチュアルだ。休憩時間に、アルゼンチンから来た雑誌編集者で作家のエミリオと、その彼女で日系の女の子、パウラに出会う。日本語であいさつ。アダの風邪が悪くなる一方なので、ケティはお医者さんの友達を呼ぶと言って、アダを別の人に任せて、私をハバナ観光へ連れ出してくれた。旧市街のそこらじゅうに音楽が溢れていて、あっちを見てもこっちを見ても踊っている人や歌っている人や楽器を鳴らしている人がいる。音楽音痴のニッポン人の私でさえ、リズムにあわせて揺れだしたくなる。がまんしながら歩く。有名なヘミングウェイのバーを覗くだけ覗いて、写真を撮る。どんどん歩いていって、銀行でおかねをCUCに換金(昨日の空港ではすっかり忘れてた)。ケティの行きつけのパスタ屋さんで、遅めのランチ、トマトパスタ。そこからまた少し歩いて、ジャングルみたいに迫力のある緑に彩られた庭園に入っていくとそこは出版社の敷地で、ケティの女上司が、何人かの著者?や出版関係者?と午後のお喋り?をしていて、ケティはその女上司から、現金でお給料らしきものを受け取っている。同じ庭園に、エッセイストのおじさんや、彼女連れの編集者のラファエル・グリーリョがいて(なんて敏腕編集者っぽい名前!)、ケティは彼らにいちいち私のことを紹介してくれた。ラファエルはすでに私の詩を読んでくれていた。さくさくした、実務処理能力に長けた、有能そうな、私の昔のボスみたいな感じの人。ラファエルとその彼女と、ケティと4人で、ハイネケンの缶ビールで乾杯。

 そのあと、ホテル・カプリの斜め向かいにあるエキスポ会場の入口で、ケティはまた別の友達と待ちあわせた(カプリはアレナスの「エバ、怒って」に出てくる)。その友達はNといって、ほとんどアルコール中毒といって差し支えないほどビールが大好きな女性だった。ケティと同じ大学を出ていて、英語はぺらぺら、昼間は観光客のためのお土産市場でものを売っている。私が写真を撮ろうとすると、写真撮られるのとSNSにあげられるの嫌いなんで、やめてねと言う。はっきりしていてかっこいい。テラス席でビールを飲んでいると風がどんどん強くなって、雨も混じってきた。ケティが、あそこにウィリアム・ビバンコがいる、と言って声をかけに行った。その人は、ハバナで活躍している有名なミュージシャンだった。ケティがビバンコに「私はあなたの大ファンで、今日は日本から詩人が来てる」というようなことを(多分)言って彼を自分たちの席に招いたので、私は自分の詩をスペイン語で朗読したり、いくつかの日本語を彼に教えたりすることになった。ビバンコも自分の話をした。今回が私の初めてのキューバで、今日は私のハバナの初日なんだと言うと、ビバンコはわーお!という感じで子どもみたいに喜んでくれて、月曜日に近くのバーでやるライブに招待するよと言う。ライブに招待? 初日から展開早すぎませんかねハバナさん。ビバンコはいかにも有名人らしく、会場の隅でテレビの取材を受けて、あっちやこっちへ挨拶したり、握手したりと動き回っていたけれど、いつのまにかどこかへ行ってしまった。ステージではキューバ音楽の野外フェスが繰り広げられていた。フェスの会場の後ろのほうで踊った。ケティはビバンコが近くにくるたびにダンスをせがんだので、3回目で断られていた。だけどふたりが最初に踊ったダンスの巧みだったこと! 南国に生息する鳥の求愛のダンスを見てるみたいで、ほんとうにほれぼれしちゃった。フェスがはけて会場が閉まるまで、女子3人で何杯もビールを飲んだ。路地で乗り合いタクシーを捕まえて、Nも一緒にAlamarへ帰った。

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