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暗闇をつくるひとたち

七月、しちがつ。レイ・ハラカミさんが、亡くなった。エイミー・ワインハウスさんが、亡くなった。かっこいい音楽をつくる人たち、うたを歌う係の人たちが、どんどんいなくなってしまうような気がする。そのひとの音楽は残るのに、どうしてそのことが寂しいのだろう。それは、そのひとからもう新しい音楽がうまれないからだと、どこかでは、わかっている。それでも、きっと誰かが、そのひとの音楽を食べた誰かが、そのひとの音楽を血や肉にして、新しい音楽をつくってくれるはずだから、ちっともかなしくなんか、ないはずなのだ。でも、何だろう、この、音楽をつくる人の死をきくときの、おおきな寂しさは、何だろう。

わたしは日常生活のなかで、音楽をあまり聞かない。音楽をきくことは、目をつむって暗闇のなかに飛び込むようなことだから、勇気がいるし、集中力がいるし、体力がいる。ひとりにならなければ、音楽をきくことはできない。それはどんなに穏やかな音楽でも、や、むしろ穏やかな音楽こそ、そうだと思う。そしてその暗闇のなかに飛び込んでしまったあとには、この世に何を恐れることがあろうかという気持ちになって、自分がとても偉くなったような、おおきなひとになったような気がするのだ。だからちょっと音楽をきくと、わたしはすぐに、明日もあさっても音楽を聞くぞおと思うのだけど、一晩眠れば、そのことはすぐに忘れてしまう。

昨晩、とてもひさしぶりに音楽をたくさんきいた。暗闇をつくるひとたちがいなくなってしまうことが寂しくて、勇気も集中力も体力ももちあわせないで、しーんとしばらく音楽に浸かっていた。