ハバナ日記(7)

 2月7日、水曜日。朝、ケティは着替えてくると言ってNのところへ行き、私はダニエルと近所の八百屋でパパイヤのようなトロピカルフルーツを買って、戻ってカットしてダイニングで食べた。甘く熟れていておいしい。ケティがNを連れて帰ってきて、ダニエルが持ってきた特別なワインのボトル(詩集の表紙がエチケットになっている)や、ネルーダの伝記の豪華本などをみんなで見た(ダニエルはアルゼンチン出身だけど、いまはチリに住んでいるそうだった)。昨晩の寝際の話をすると、N爆笑。ラテンアメリカンはtouchy touchy touchyよね〜と他人事のように言う。

 まったりした朝を4人で過ごしたあと、ハラルの店で昼ごはん、フムスなど。ビールも飲んじゃう。今日もラ・カバーニャ。Nはどこかでビールを大量に買ってきて、リュックに入れてちょっと怖いくらいの勢いで飲んでいる。ブックフェアの人混みに揉まれて、ケティの後をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしているうちに、スペイン語がわからないことに、というより、何もわからないまま誰かの後をついていくしかないことに、いい加減ばくはつしそうになってきた。さらに、実はAlamarを水曜日に引き払わなければならないということがわかり、それって今日じゃん。いつ行くの?次はどこに泊まればいいの?とケティに詰め寄るはめになってしまった。さすがにまたダニエルのベッドに3人で寝るのは気持ち的に無理がある。なんとかベダードの民泊を2泊分押さえてもらう。Alamarは明日の引き取りでOKということになる。ディウスメルに会うなり、君のことがすごく心配だったんだよ、何かほしいものはないか、アイスいるか、これ持ってあげようか、とものすごい勢いで話しかけてきた。その話し方がまるで幼女を相手にしてるみたいで、気持ち悪かったので避けようとしたけど、何度も近寄ってくるので、ケティが割って入ってサヤカは子どもじゃないんだよ、くどいよと怒鳴ってくれた。だってサヤカが喋らないから心配で、というディウスメルに、満足してるから喋らないだけ、心配してくれなくて結構ですと私も怒鳴ってしまう。

 日暮れどき、バスに乗って、また別会場へ移動。例のお弁当の夕飯が出る。チェペと、一緒にいたメキシコのマイノリティ言語詩人のシュンと、小さなテーブルを囲んだ。私はウチナンチュやアイヌ語の話をした。シュンは去りぎわに、私のためだけにニチム語で詩をひとつ朗読してくれた。その音は星か小さな火花みたいに美しくて、しずかな、きれいな、癒しだった。
 ライブ会場のようなところで若いヒップホップ歌手のお兄さんが歌いだして朗読会が始まったけど、私は混乱の一日にもうぐったりだった。おまけにこの会場のトイレの汚さがこの一週間のなかでも最悪だった。ラ・カバーニャで昼間、簡単に挨拶しただけだったメキシコのマリエルたちと、会場の暗い玄関先ですこし話した。会場に戻ると、私がよっぽど不機嫌な顔をしていたのか、アダとオスマイルが水筒に入れて持ってきたキューバリブレをすすめてくれて、キューバリブレの謂われを教えてくれたり、ふたりで代わる代わる朗読会の通訳をしてくれたりした。優しさだ。あなたにどんなふうにこの景色が見えてるのか想像を絶するよ、字幕なしの映画みたいなもんかしら、とアダ。そのカジュアルな朗読会でやっとケティの朗読を聞けた。私に捧げる、と言って、アラーキーをモチーフにした詩をケティは読んだ。
 ものすごく疲れちゃったので、できるだけ早く帰って寝たいと言って、会場を早めに抜けだした。ケティが私とダニエルどちらの部屋に泊まるかという話になって、もしよければ久しぶりにひとりで眠りたいんだけど、でもダニエル、いい?と私が言うと、ダニエルは労るように私の手の甲にキスしてくれて、ユーアーグレイトと言った。君はものすごくがんばってる、という意味だと思った。帰る途中、公園で10分だけネットに接続。ダニエルの部屋からほど近い、ラウラというケティの知人のこぢんまりした民泊にチェックインして、初めてひとりきりになって眠った。今回のハバナでNとディウスメルの顔を見たのは、この日が最後になった。

ハバナ日記(6)

 2月6日、火曜日。朝早く起きて出発。途中のパン屋さんでおいしいチーズクロワッサンと水のペットボトルを買って、カフェのテラスでコーヒーを頼んで、朝食にする。カフェの給仕のおじさんが、笑いながらケティに何か言っている。私といると、ケティはすぐ観光客に間違われるみたい。
 角を曲がるとすぐ、あのジャングル・ガーデンの出版社があった。いつも旅先では紙の地図を入手するけど、今回はいまだに地図なしでケティについてまわっているので、場所の位置関係がさっぱりわからない。人待ちの間、りっぱな鉄製の白いロッキング・ガーデンチェアに座って、ふたりで出産についての意見交換など。前にここで会ったエッセイストのおじさんが来て、このときだけはタクシーじゃなく出版社のバンに乗って、ブックフェアのメイン会場であるラ・カバーニャへ向かった。
 ラ・カバーニャはスペインが作った要塞の遺跡だ。ブックフェアは盛大で、朝10時のオープンとともに続々とお客さんが乗りこんできた。家族連れも多くて、本だけじゃなく子ども用の雑貨やリュックやおもちゃ、食べものの屋台も出ているので、縁日みたいだった。ケティのはたらく雑誌社UNIONのブースで売られていた子供向け雑誌に、まどみちおの詩が掲載されていた。きょうもプレゼンで予定ぱんぱんのケティと別れて、ひとりになってあちこち歩いた。思えばこのとき、ハバナに来て初めてひとりになったかもしれない。木陰で深呼吸して、頭のなかでこれまでの出来事をおさらいした。雑誌や地図を買いたかったけれど、ここでの売買はすべてCUPで私の持っているCUCは使えないので、ネット回線を拾ってLINEしたりメールしたり、日記をつけたりして過ごした。要塞のなかは迷路のようになっていて、蟻の巣のように各部屋がさまざまな出版社や雑誌社に振り分けられてブースになっている。その迷路のなかを歩いているとき、初老の夫婦に声をかけられて挨拶すると、あなた先日の朗読会の方ね、「はだかんぼ」の詩(「テロリストたち」のこと)よかったわ〜!と言ってくださる。お礼を言って握手。知らない人にそんなふうに呼びとめてもらったのは初めてで、舞いあがってしまう。
 ブックフェアには毎年招待国というのがあるらしく、今年の招待国は中国ということで、会場の奥には大きな中国のブース。美しい絵本がたくさんある。私って中国人に見えるかなと思いながらうろうろする。誰も話しかけてくれないのでわからない。3時間近く歩くとさすがに疲れてきて、UNIONのブース前の道ばたにギャルみたいに座って今朝のチーズクロワッサンの残りを食べた。30分くらいそうしてぼーっとしていると、ケティがダニエルと一緒に来て私を見つけてくれた。ケティはまた別のプレゼンへ向かっていって、私は今度はダニエルとタクシーを捕まえて中心地へ戻った。青いきれいな車。ギャラリーのあるエキスポ会場で降りる(後になって、そこが最初にNと会った会場の反対側だったことに気がついた)。アダ発見。いつものお弁当をゲットする。ヤネリスに「食べ終えたらギャラリーに来てね」と言われる。スペイン語がだいぶ聞きとれるようになっている。
 ギャラリー内の教室で、エミリオやダニエルやチェペたちによる各国の文芸誌の紹介を聴講。すこし経つとケティも仕事を終えてきて、ダニエルと3人で、そこからほど近いホテル・ナシオナル・デ・クーバのテラスまでコーヒーを飲みにいった。ここは値段が高すぎるとケティは言ったけど、私やダニエルから見れば、都会のカフェの通常価格だった。このあたりから、3人で飲食したりタクシーに乗ったりするとき、私とダニエルがケティのぶんを軽くおごる感じになる。コロンビアから来ている詩人のお姉さま、カロリーナと相席になった。ホテル・ナシオナル・デ・クーバは見たところものすごい高級ホテルで、ゲイのカップルの席にはジャズを演奏しているバンドがいた。海の見える芝生の庭にはどこからか孔雀が飛んできた。風が強くなってきてテラス席のナプキンを飛ばした。ダニエルの民泊をケティと訪ねると、これがまたものすごく豪華で素敵な部屋だった。天井が高くて、調度品がたくさんあって、全部センスがよかった。ベッドだってキングサイズでスプリングはぶよぶよじゃないし、シャワーの水圧も高いし、庭はていねいに手入れされているし、さっきの高級ホテルより清潔なトイレがあった。一泊25CUC(2500円くらい)、Booking.comで見つけたという。そんな手があったのか…と私、思う。ケティがシャワーを浴びている間、ダニエルのベッドで小1時間休ませてもらった。官能的なまでに気持ちよくて、いいベッドのありがたみを思い知る。交代で私もシャワーを浴びた。それから近所の、かわいいボーイさんのいるイタリアンの店まで、夕飯を食べにいった。私はおなかの調子があまりよくなく、ほうれん草色のベジタブル・クリームスープというのを注文。その店でダニエルが赤ワインのボトルを1本買って帰って、家で続きを飲んだ。私は眠くなってしまって、この流れは、今日はもうここに泊まれるよね…と思いながら、またダニエルのベッドで寝た。ケティはこの数日の多すぎるプレゼンで疲弊していて、あの女上司への愚痴が溜まっていて、きょうは作家から酷い目にあったりもして散々だったらしく、飲まなきゃやってられないという感じだった。ふたりは遅くまで喋っていた。夜中、私の寝ているベッドに酔っぱらったケティとダニエルがおやすみのハグをしながらくすくす笑いながら転がり込んできて、私は(どういう展開…!?)と心配になったけど、そのあとは特に何事もなく3人で朝まで眠った。

ハバナ日記(5)

 2月5日、月曜日。なかなかの酷暑。Nの部屋を出て、朝食を食べられる場所を探して歩きまわっていたら、ケティの知り合いのおじいちゃんに遭遇した。おじいちゃんはアドルフォといってケティの卒論の指導教官だったらしく、柔らかな雰囲気、御年83歳。美しい英語をかくしゃくと喋る。いっぺんで好きになる。ケティ、ちゃんとやってるか?と確認して、私には哲学者であること、宗教を研究していることを自己紹介して、立ち話で核心に切り込んでくる。あなたには特定の信仰があるか?と聞くので、ないけど、自分のことをうるさい動物と呼んでいると話すと、面白がってくれる。アドルフォはタオイズムをもっと勉強したいのだそうだ。私たちは物事を一度まるっとひっくり返して考えなくちゃならない、なぜならいまの世界は完全に引っくり返っちゃっているんだから、と言う。仰るとおりです、と私、言う。

 連絡を取り合おうと約束してアドルフォと別れて、やっとこさ冷房の効いたカフェ、ベッキーに入って、ケティとふたり黙々と朝食を食べた。キッシュとデニッシュとコーヒー。昨日も今朝もシャワーを浴びていないので、汗でからだがべたべた。タクシーでシンポジウム会場へ移動する。蔓植物の棚のある前庭から続く、明るい、気持ちのいいレクチャールーム。私がパネリストとして参加したのは、自国と文学的アイデンティティの関係について各自が話す回で、トルコの詩人と同行していた通訳者が、その場で機転をきかせて私の英語をスペイン語に訳してくれた。ありがたい。子どもの頃から海外の絵本や童話が身近にあったこと、石井桃子さんのこと、現在の日本での翻訳文学の状況など、自分のことや知っていることを、簡単に話す。そのあと通訳者さんのそばに座れたので、メキシコやプエルトリコからの、他の参加者の話もおおまかに英語で聞くことができた。このミーティングの意味をようやく、なんとなく掴む。
 終了後、ふたりの黒人女性詩人、フランスからきたゾイ・アン、ドミニカ共和国のローリステリー・ペーニャ・ソラーノと知りあう。ローリステリーがくれた詩集には最初に女性たち、古今東西の作家や思想家や母親への献辞があって、中身がとても気になるのにスペイン語ですぐに読めないのがもどかしい。前庭の葉陰でランチ。例の肉と米のお弁当。胃が疲れていて、あまり食べられなかった。

 午後、ケティは別会場のプレゼンへ出かけ、私はディウスメルと一緒にバスでAlamarへ。どうもオスマイルのところに転がりこんだらしいアダに、民泊の部屋から荷物を持ってきてと頼まれる。バスに乗るのに街中を歩きまわらなければならず、私は疲れ果てているのに、ディウスメルがずーっと英語で、こみいった文学的な話を続けようとするので、苛々してくる。ディウスメルの英語は、お互いがゆっくり集中して話していれば問題ないけど、移動しながらだと、ときどきすごく意味不明なときがある。
 Alamarの公民館の廃墟の庭で開かれていたオープンマイクふうの小さな朗読会にすこしだけ参加。公民館は何年も前に自治体が維持できなくなってからは、文学有志によってなんとか維持されているという。
 民泊に向かう途中、ケティの叔母さんに偶然会う。家にはお父さんがいるから声かけてとのこと。砂漠から脱出した人のようにシャワーを浴びて、やっとさっぱり生き返る。出ると叔母さんが戻っていて、生トマトやタマネギのサラダ付きの夕飯を出してくれた。ありがたく、急いで食べる。部屋に戻ってお化粧。アダのベッドの下に置かれたスーツケースから、頼まれた荷物を見つけるのに苦労する。交換用のバイリンガル詩集と、背中の大きくあいたドレスを何枚かと、下着と、マテ茶葉の袋をまとめてトートバッグに放り込む。アダのパンティはびっくりするほどセクシーなのばっかり。
 隣の家のディウスメルに声をかけにいった頃には、とっくに日が暮れていた。ディウスメルが準備するのを待つあいだ私は、台所で手で洗濯をしている私と同じくらいの年齢の母親のそばで、彼女の小さな娘を見ていた。小さな女の子は、ぬいぐるみをたくさん紹介してくれた。
 もうおなじみになったAlamarの停留所からバスに乗って、暗闇のなか中心地へ帰還。私は念願のシャワーでさっぱりできてさっきよりは機嫌がよかった。ディウスメルが片言の英語で、私の詩のスペイン語訳についてつぶさに確認しようとしてくれたけど、バスがものすごく揺れるので、私は頭のなかで言葉をうまく一列に並べることができなかった。それに、正直、その翻訳を検討するのは私の仕事じゃない、という気持ちもあった。私は私の翻訳者を信頼して、委ねているのだから。
 ベダード(新市街)方面にある大学の敷地の一角にみんなが集まっていて、ギターじゃかじゃか系のアットホームなコンサートが始まっていた。アダを見つけて荷物をパス。ローリステリーを見つけて詩集を贈呈。ちょっとだけ音楽にあわせて一緒に踊る。エミリオやパウラもいる。音楽はいい感じだったけれど、私は今夜“招待”されているほうのライブのことで頭がいっぱいだった。それに行くためにはケティと合流しなくちゃならない。ところが、ここで落ち合うはずだったケティがいない。コンサートは終了してしまって、他の参加者たちはどこかへぞろぞろ夕飯を食べにいってしまった。ディウスメルは携帯を持っていないので、ミーティングディレクターのヤネリスを探しだして事情を話して、ケティに電話してもらうとやっと繋がって、グアヤキルで私も会ったアルゼンチンの詩人/編集者のダニエルとこの近くのレストランでご飯を食べているという。やれやれと思いながら、レストランまで歩く。
 レストランの入口で、悪びれもせずにケティが待っていた。私は内心エーッと思いつつも、ダニエルとの嬉しい再会で連絡不足のことは水に流してハグ。ダニエルとは、エクアドルではほとんど話さなかったのに、再会となると急に親密度が増すのがふしぎだった。ビールを飲んで、すこし食べる。

 夜11時ごろ、4人でビバンコのライブへ駆けつけた(正確には、のんびり歩いて向かった)。ライブは10時スタートだと聞いていたけど、まだ始まっていなかった。ビバンコに「来たよ〜」と挨拶して、私は自分の詩集を渡した。メッセージには「魂(soul)を分け合ってくれてありがとう」と書いた。私たちが飲みはじめるとライブもはじまり、ケティは「サヤカを待ってたに違いない、サヤカのために歌うかもよ」と言うけど、よく言うよ!と私、思う。ギターとボンゴとサックスの、すばらしいライブ。ダニエルもディウスメルもすっかり愉しんでいた。ライブが終わるとヒットチャートが流れだして、そこは簡易ダンスフロアになったけど、私たちは別に踊りたい気分じゃなかった。帰り際、ビバンコと握手した。こんなにかっこいいライブをするミュージシャンと、こんなふうに知りあって、そしてもう二度と会えないかもしれないなんて、人生ってむなしい。ダニエルはベダードの民泊に歩いて帰っていき、ディウスメルとも別れて、ケティと私はタクシーでNの部屋に帰った。私たちはライブの興奮で何だかへんなテンションになっていて、タクシーを降りるとケティは「迷った」とか言って角をあっちこっち曲がった。私は憶えていたアパートの番地を笑いながら繰りかえした。ささいな冗談でばか笑いしながら、そんなに酔っぱらってるわけでもないのに千鳥足で、やっとこさNの部屋に辿りついた。アパートの前の道路では何かの工事をしていて、真っ白いバルーン照明が、ここですよと諭すみたいに煌々と灯っていた。

ハバナ日記(4)

Alamarからバスで、ケティのママの住むLautonへ。ディウスメルも一緒。ママとママの彼氏に挨拶する。アパートの二階にあるママの部屋のベランダからは、ハバナの中心街とその向こうの海が見える。隣の家からレゲトンが聞こえてくる。朝ごはんをいただいて、みんながのんびりした日曜の気分を味わうなか、ひとりそそくさと絵本の原稿を仕上げさせてもらう。壁掛けテレビでは録画の「GOT TALENT」のスペイン語版を流していて、ママがときどき笑っている。昼ごはんもいただき、今度はケティがディウスメルの助けを借りながらブックフェアのプレゼン資料をつくる間、リビングのソファベッドですこし昼寝。ここでもいい風が吹いている。夕方、近くの公園でネット回線を拾って、業務メールをいくつかやっつける。ケティが自分の携帯のメールを見て嬉しそうに「サヤカ、今夜はちゃんとパーティーがあるよ!」と言う。

 中心街へ向かうバスを、ディウスメルは途中で下りて家族のいる家に帰り、ケティは人に道を何度も尋ねながら私を会場まで連れていった。見ず知らずの怪しいお兄さんが声をかけてきたと思ったら、若手作家ミーティングの参加者だよ!と言うのでホッとする。道を渡って住宅ふうのビルに入り、屋上まで階段であがると、見覚えのある面々がギターを囲んで歌ったり踊ったりしていた。テーブルにはラムの大きなボトルがドンっと置いてあってみんなストレートでぺろぺろ飲んでいる。ビールなんかないのだ、ラムなのだ。クールだ。ちびちびそれを舐めていると、キューバ人の黒人の男の子、ヤンシーが話しかけてくれる。ぜんぶスペイン語なのに理解できる。ゆーーーっくり話してくれるのだ。アダはいつのまにか見つけた男と仲よさそうにいちゃいちゃしている。その男オスマイルは確かに好青年で、それでキューバはどう?と私に、ざっくりした質問。ソーミュージカルでソーエモーショナルだよ、オールディフェレントフロムジャパンだよ、と私もざっくり答える。メキシコからの素敵な人びと、おっとりしてかわいらしいアドリアナ、ぽっちゃりゲイの愉快なチェぺ、名前の由来は緑の王冠だと教えてくれたほっそりのステファニーと知りあう。メキシコのみんなのノリは、ほっぺで挨拶するカリブの超近距離コミュニケーションの世界に比べてとても控えめで、ふしぎと日本人の友だちノリと共通するものがあって、すぐに仲良くなってしまう。アメリカを挟んで、私たちは文化をシェアしてる。みんなでひとしきりトランプに悪態をついて悲しくなってから、何やってんの私たち、政治なんてやめよやめよ、詩が必要なんだったわーと我に返る。チリのスキンヘッドの女性作家パメラが、私の朗読がすごくよかったと言ってくれる。彼女は経血を聖なる血と表現するような人で、本の題は「月の狂気」で、情熱的で深くて強いものを愛している。私は深さと柔らかさの共存は無理だと思っていたけどあなたはそれをやっていた、深くて柔らかくてセクシーだった、私たちはすごく違うけど、同じことを表現していると言ってくれた。すごく嬉しかった。いくらでも話していられて、パーティーはあっという間におひらき。みんなでマレコンに移動してもう少し喋る。エミリオに会うと、パウラは風邪をひいて寝てると言う。歩きながら好きな監督を3人あげるゲームをやった。エミリオはタルコフスキーとトリアーを挙げて、私は北野武アンゲロプロス。もうひとりがどうしても思いつかなかった。後になって、あっエドワードヤンだ!と思った。

私の面倒を見なければならないケティがお疲れ気味なので、名残惜しい気持ちでマレコンを後にした。遅すぎてAlamarへ帰るのは危険だというので、Nに来てもらって、ハバナ大学の近くの空き部屋を貸してもらう。ぶよぶよのスプリングのダブルベッドでケティと眠った。

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ハバナ日記(3)

 2月3日。気持ちのいい朝。民泊にはシャワーがないのでケティの叔母さんの家まで浴びに行って、Nとテラスで涼む。昨日あのミュージシャンが言ってたライブに招待の話、あれほんとかな、うん、あれはマジのやつじゃない?とNと確認しあう。そういえば、あれからアダはどうしたのだろう、Alamarへは帰ってこなかった。
 今日もバスに乗って〈詩の家〉へ。Nとどこで別れたのだったか思いだせない。ケティがミーティングでプレゼンしている間、私はがらんとした食堂で絵本の仕事の原稿にとりかかる。開け放した中庭への扉から、いい風が入ってくる。
 パウラに会えたので、持ってきていた「はっぱのいえさがし」を差し上げる。さっきの食堂でみんなに昼ごはんの配給。胃にもたれる系の、お米と肉のお弁当。食べられるだけ食べる。午後、ケティが親友のディウスメルを紹介してくれた。この人はとても優しく思慮深い人なのだけれど、その優しさと思慮深さが行きすぎて、こちらにすこし圧を感じさせる。彼に悪気はないので、私もがんばった(が、数日後に限界をみることになった)。ついに私のネット禁断症状が現れてきて、3人で旧市街をうろうろして道ばたのお兄ちゃんから1時間分のwifiカードを買って、マレコンで繋いだ。まる2日ぶりのインターネット。たった2日間接続していなかっただけで、なんだかとても頭がすっきり整理されている気がした。
 マレコンの防波堤にあぐらをかいて座ると、脳内に「世界ふれあい街歩き」の音楽が流れた。夕方からは、マレコン通りに面したイスパノアメリカ会館で朗読会。壇上で合奏団が、うっとりするような曲や感傷的な曲を奏でて、その合間に詩人が壇上に呼ばれて朗読する。音楽はどの曲もどの曲も、こういう機会に演奏される音楽としての最高峰の音楽だった。昨日はいなかったオランダやトルコからの詩人も来ている。あらっ、ちょっとあんた、どーしてたの?なんつって、壇上で1日ぶりのアダに再会。ほんとボヘミアンな性格なのだ。昨日よりは元気そうな顔で、しれっと自分の出番をこなしている。私はケティにチェックしてもらった片言のスペイン語であいさつして、「テロリストたち」を読んだ。読みおえると大きな拍手をもらった。誰かがブラボー!と言ってくれたのが聞こえた。終わったあとは会場のテラスでスナックをつまみながら雑談。メキシコから来たミゲルが「Por Favor, Lea La Poesía」と書いた赤いステッカーを大量にくれる。
 ディウスメルとケティと、マレコンから昨日のパスタ屋まで移動して夕飯。ケティ、パスタを注文したまま、ちょっとと言って出かけたまま、私とディウスメルが食べ終わっても帰ってこない。パスタ屋の閉店時間になって、ディウスメルが探しにいくのと入れ違いで戻ってくる。何をしていたのかよくわからない。またマレコンに戻ってみるとまだみんないて、アダもいて、これからみんなでどこかでパーティーをするというので集団についていったけど、どこまで歩いてもどこが会場なのか誰もよくわかっていないみたいだった。疲れてしまったのでもう帰ることにして、中央広場の前で乗り合いタクシーを拾って今夜はディウスメルと3人でAlamarへ。彼の親戚の家が、ケティの叔母さんの家のすぐ裏手にあるのだった。

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ハバナ日記(2)

 2月2日。涼しい朝。Alamarの民泊のご夫婦は、ちんみたいな犬を3匹飼っている。家の外にも黒い犬がいて、あれもお父さんの犬?と聞くと、あれは違う、知らない犬だと言う。犬が多い。団地の壁の色はカラフルなパステルカラー。団地のまわりはゴミだらけ。どこかから音楽がきこえる。シャワーを浴びてバスに乗って、ハバナの旧市街へ。Alamarから旧市街まで、車でゆうに30分くらいかかる。

 旧市街のカテドラル広場に面した〈詩の家〉に向かう途中、メキシコから来た高校生の団体と出会う。彼らも若手作家ミーティングの参加者なのだ。若いというより、子どもたちに見える。引率の先生とケティが話しはじめ、アダは「おなか空いたよ〜、だから団体行動は嫌いだよ〜」と言ってひいている。私も彼らとついつい自己紹介しあいっこを始めてしまい、気がつくとアダとケティは広場の反対側にある猫の看板のカフェに入るところだった。トーストとコーヒーで朝ごはん。猫が寄ってきて、じーと見る。

 〈詩の家〉ではミーティングのプログラムがどんどん始まって、思ったよりパンクチュアルだ。休憩時間に、アルゼンチンから来た雑誌編集者で作家のエミリオと、その彼女で日系の女の子、パウラに出会う。日本語であいさつ。アダの風邪が悪くなる一方なので、ケティはお医者さんの友達を呼ぶと言って、アダを別の人に任せて、私をハバナ観光へ連れ出してくれた。旧市街のそこらじゅうに音楽が溢れていて、あっちを見てもこっちを見ても踊っている人や歌っている人や楽器を鳴らしている人がいる。音楽音痴のニッポン人の私でさえ、リズムにあわせて揺れだしたくなる。がまんしながら歩く。有名なヘミングウェイのバーを覗くだけ覗いて、写真を撮る。どんどん歩いていって、銀行でおかねをCUCに換金(昨日の空港ではすっかり忘れてた)。ケティの行きつけのパスタ屋さんで、遅めのランチ、トマトパスタ。そこからまた少し歩いて、ジャングルみたいに迫力のある緑に彩られた庭園に入っていくとそこは出版社の敷地で、ケティの女上司が、何人かの著者?や出版関係者?と午後のお喋り?をしていて、ケティはその女上司から、現金でお給料らしきものを受け取っている。同じ庭園に、エッセイストのおじさんや、彼女連れの編集者のラファエル・グリーリョがいて(なんて敏腕編集者っぽい名前!)、ケティは彼らにいちいち私のことを紹介してくれた。ラファエルはすでに私の詩を読んでくれていた。さくさくした、実務処理能力に長けた、有能そうな、私の昔のボスみたいな感じの人。ラファエルとその彼女と、ケティと4人で、ハイネケンの缶ビールで乾杯。

 そのあと、ホテル・カプリの斜め向かいにあるエキスポ会場の入口で、ケティはまた別の友達と待ちあわせた(カプリはアレナスの「エバ、怒って」に出てくる)。その友達はNといって、ほとんどアルコール中毒といって差し支えないほどビールが大好きな女性だった。ケティと同じ大学を出ていて、英語はぺらぺら、昼間は観光客のためのお土産市場でものを売っている。私が写真を撮ろうとすると、写真撮られるのとSNSにあげられるの嫌いなんで、やめてねと言う。はっきりしていてかっこいい。テラス席でビールを飲んでいると風がどんどん強くなって、雨も混じってきた。ケティが、あそこにウィリアム・ビバンコがいる、と言って声をかけに行った。その人は、ハバナで活躍している有名なミュージシャンだった。ケティがビバンコに「私はあなたの大ファンで、今日は日本から詩人が来てる」というようなことを(多分)言って彼を自分たちの席に招いたので、私は自分の詩をスペイン語で朗読したり、いくつかの日本語を彼に教えたりすることになった。ビバンコも自分の話をした。今回が私の初めてのキューバで、今日は私のハバナの初日なんだと言うと、ビバンコはわーお!という感じで子どもみたいに喜んでくれて、月曜日に近くのバーでやるライブに招待するよと言う。ライブに招待? 初日から展開早すぎませんかねハバナさん。ビバンコはいかにも有名人らしく、会場の隅でテレビの取材を受けて、あっちやこっちへ挨拶したり、握手したりと動き回っていたけれど、いつのまにかどこかへ行ってしまった。ステージではキューバ音楽の野外フェスが繰り広げられていた。フェスの会場の後ろのほうで踊った。ケティはビバンコが近くにくるたびにダンスをせがんだので、3回目で断られていた。だけどふたりが最初に踊ったダンスの巧みだったこと! 南国に生息する鳥の求愛のダンスを見てるみたいで、ほんとうにほれぼれしちゃった。フェスがはけて会場が閉まるまで、女子3人で何杯もビールを飲んだ。路地で乗り合いタクシーを捕まえて、Nも一緒にAlamarへ帰った。

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ハバナ日記(1)

 午後遅く、出発。羽田空港の搭乗ゲートで、イヤホンをつけて音楽を耳に流しこみながら、出かける前の最後の仕事、新しい詩集の装幀についてのやりとりを片づける。ふだんそんなに忙しいわけじゃないのに、ジェットセッターみたいに空港で仕事のメールを高速で書いている自分がおもしろい。除菌ウェットティッシュを買った売店になぜか、数ヶ月前に壊れたカシオの腕時計とほとんど同じモデルの時計があって、免税品で六千円くらい。エイッと買ってしまう。ゴールドのレトロなやつ。カシオの腕時計が好きだ。このゴールドのは、アクセサリーをつけているようなうれしさもあるし、時間のことだけに集中して仕事をしてくれるので、まじめな友達といるみたいに安心なので好きだ。トロントまでの飛行機の相席は、団体旅行らしい女子大生(?)ふたり。「オリエント急行殺人事件」と「スリー・ビルボード」と「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」観る。トロントの乗り継ぎはとてもスムーズ。空港の窓から見える景色はいちめんの雪だった。ハバナへの便には日本人観光客がたくさん乗っていた。

 2月1日、夜のハバナに降りたち、アダとケティと再会。女子高生みたいにきゃーきゃー騒ぎながら出迎えてくれるふたりとハグ。タクシーの運ちゃんも来ている。空気はむわっと暖かい。4人で一緒に、空港の外のカフェで小さいコーヒーをくっと一杯、テキーラショットみたいに立ち飲み。1時間くらいドライブして、滞在先のAlamarに到着した頃にはもう真夜中だった。いつも思うけど、旅先で、空港から宿泊先へ向かうときだけに感じる気持ちがある。もう着いてるのにまだ着いてない場所を眺めながら移動する、ふしぎな時間。ハバナなんだ、ここ、まじでハバナなんだ、ときょろきょろしながら驚いて、でもそのときに見ている風景は、あとから考えると全然ハバナじゃない(東京モノレールから見える風景が全然東京じゃないみたいに)。タクシーを降りると、団地だった。暗くてよく見えないけれど、すぐそばで海が海鳴りしていた。ケティの叔母さんが起きてきて、暖かいお茶を出してくれた。泊まる部屋は、叔母さんの家のお隣さんの激安民泊で、アダと相部屋。そのアダは風邪を引いて咳をしている。日本からもってきたトローチと頭痛薬をあげて、シャワーも浴びずに眠った。

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