札幌でぐるぐる

 8月22日午後、新千歳空港着。空港からバスに乗って地下鉄澄川駅前で降り、天神山アートスタジオまで歩く。思いのほか暑くて、坂を登ったら汗だくになった。到着すると眼鏡のスタッフさんが扇風機を私に向けてくれ、私は手続きをして、自分の部屋に落ち着いた。大きな窓いちめんに背の高い楓の緑がそよいで、その窓を網戸にすると気持ちのいい風が入ってきた。今日から8日間、ここが私の部屋。シャワーを浴びて、来る途中で見かけた純連まで歩き、みそラーメンを食べながらお店のテレビでニュースを見た。ニュースは札幌の暑さのこと、百年記念塔が解体か存続かで揺れていること、市街地でクマの出没が相次いでいることなど。部屋に戻って、連載の詩を書く。天神山の風景がもう身体に入っていることが、書いているとわかる。

 23日、お昼頃から豊平川へ出かける。暑い。途中で通った精進川の小川は木々に包まれて涼しいのに、そこを抜けるときつい日光の下を歩かなければならなかった。川の手前には広い車道が、家々の玄関よりも高く敷かれて、念入りに護岸されている。車道を渡ると川べりではジョギングしている人がまばらにいた。川は低く広く流れて、その向こうに藻岩山が見えた。精進川との合流地点で釣りをしている人もいた。私はその光景をすすすーと見て、すぐにまた道を渡ってショッピングモールのミスタードーナツに駆け込んだ。少し読書。それから自炊の買い出しをして部屋に戻って、今回のいちばんの目的である原稿の事始め。

 24日、朝はパンと豆サラダ。午前中から昼過ぎにかけて、昨日の原稿の続きを仕上げる。一段落したので、台風の近づく雨のなか「がたんごとん」に行ってみる。お兄さんがひとり、黙々と箒を作っている。カフェドクリエに移動して少し読書。夜、会いたかった詩人と澄川駅で待ち合わせて、スープカレーと焼き鳥の店へ。夜10時頃まで、生きること=書くことの話をした。栄養。

 25日、@SIAF_HACKさんの計らいで「たべるとくらしの研究所」へ。所長(?)の安斎さんにお話を伺う。私は今度の自分の詩集を編んでいたとき、頭のどこかにずっと、福島を出た親子のイメージがあった。でもこれまで一度も、あのとき福島を出た(と公言している)人に会ったことがなかった。だから安斎さんに話を聞いて、そもそも最初は震災で余儀なくされた移動の先でいまは(もっと)ハッピーになるために自ら移動のために動いていると聞いて、深く頷いたし、果樹園や畑の仕事をしてきた安斎さんと、私が書きながら考えてきた放射性物質の話をあんなにスルッとできてしかも(わかるなぁ)と思えたことは、素敵な驚きだった。安斎さんは自分のことをあまのじゃくだと言っていた。二時間かそこら話を聞いただけで(わかるなぁ)は傲慢かもしれないけれど、それでも会って話すことで、じんわり伝わってくることがさまざまにあるのだった。安斎さん、 @SIAF_HACKさん、ありがとうございました。
 夕方、オープン前の「喫茶こん」に移動して、午後5時から朗読会。風は強かったけれど晴れて、当日のお客さまも見えて、いい会になりました。夜は道民おすすめのチェーン居酒屋「炎」でザンギなど。

 26日、北海道新聞のI本さんに教えてもらったギャラリー「テンポラリースペース中森」へ。この日が最終日だった個展の作家、齋藤周さんに声をかけたら、文月悠光さんの美術の先生なのだった。びっくりして帽子をとる。中森さんにもご挨拶することができた。吉増剛造さんとの出会いのことから、スペースの間取りと歴史のこと、北海道から海経由でロシアに渡りトナカイの旅をした夫婦のこと、沖縄のアーティストのことまで、いろいろ話してくださる。スペースのふしぎな居心地良さもふくめて、ものすごい情報量の何かを受けとった気がして、南へ向かって歩きながら、何を受けとったのか確かめようとした。北海道大学ミュージアムショップに寄って、はがきと、小さな家のかたちに切り出された軟石のアロマストーンというものを買う。さらに歩いて、モリヒコというカフェで休憩。ノート。夜は部屋で、トマトサラダとレトルトカレー

 27日、部屋で一日、新しい企画の構想を練るなど。様々な人に聞いた様々な話が脳内をぐるぐる巡っていて、ばくはつ気味。夕方、昨日中森さんのところで知りあったかりん舎を訪ねる。ご縁を大切にいろんな書籍を刊行したり展示を企画したりしている、女性ふたりの出版社。猫もふたりいて、ででんと私の前のテーブルに伸び広がる大きな雄さんと、そそくさと動きまわる小回りのいい雌さん。窓から藻岩山の夕陽が見えた。昨日中森さんに「夕飯でも食べたら」と言われたのをいいことに、ラーメンサラダなどいただいてしまう。おいしい。それからかりん舎で作った絵本や記録集や、展示で使った陶板アートや、石牟礼道子さんが参加していた九州のカルチャー誌などを見せてもらった。車で送っていただいて20時頃帰宅。読書。

28日、朝はごはんと納豆とウィンナーと目玉焼き。少し多く用意しすぎた。人生12年周期問題について考える。2006年の自分の生き迷いっぷりと確かに重なる部分のある今年だけど、その後の12年を思い返せば、全く心配ない気もしてくる。午後、呼吸を整えるために、旅先恒例のチェーン系カフェ。土地のものを吸収しすぎて膨らみすぎたとき、これがとてもいい。大通り公園の近くにモスバーガーを見つけて入る。アイスコーヒー。それから庭ビルへ移動して@SIAF_HACKさんとのトークイベント。喫茶こんのまり奈ちゃん、昔の同僚のI神くん、来てくれる。

29日、朝から読書。日が暮れてから古本とビールの店、アダノンキへ。ひと晩くらいおいしいお酒が飲みたいと思っていたので、嬉しかった。

30日、降ってるのか降ってないのかわからないくらいの雨模様。パッキングと部屋の掃除をして、スーツケースは送ることにして、身軽な身体で回転寿司のトリトンへ。サンマと本まぐろがとてもおいしかった。新千歳空港で時間が余ったので「オーシャンズ8」観る。レディースデー。

#私は黙らない0428

わたしはおとなしい人間です
守ってきました、規則に法律
ずっと黙って読んできました空気
痴漢にだって遭いました何度も
恐怖はいつのまに怒りに変わり
ひとりで怒りを鎮めてきました

知らない人に触られた
東京タワーのお土産売り場
中央線の満員電車
一緒に被害に遭った友達
履いてたシマロンのスキニーパンツ
10年経っても20年経っても
忘れることはありませんでした

徹底的にばかにすることでしか
徹底的に無視することでしか
自分を護れませんでした
護りきれたかも怪しいものですが
わたしはこうして書いています
まだまだ鍛錬足りないペンで

わたしはうるさい動物です
デモや集会はちょっと苦手
だけど私は賛同します
黙らない人たちに加わります
わたしの書くのはいつも壊れた物語
それをみんなが詩と呼んでくれます
だけど今日書くのは主張の言葉
そしたらラップみたいになりました
黙らないみんなと連帯します
わたしはうるさい動物です

祝辞

神里雄大バルパライソの長い坂をくだる話」岸田戯曲賞受賞によせて

Hola, buenas noches. Estoy muy feliz de celebrar el premio de Yudai con todos ustedes. Felicidades!

こんばんは、大崎清夏と申します。
神里くん、きょうはほんとうにおめでとうございます。

私たちが出会ったのは、早稲田大学の学生だったときです。せっかく早稲田に入ったのに演劇がよくわからなかった私に、おもしろい演劇、新しい演劇を初めて見せてくれたのは、岡崎藝術座でした。

岡崎藝術座の演劇は、人間がことばを喋るんじゃなくて、ことばが肉体をもって人間の顔をしてうろうろしてるように見えるところが、面白いなーといつも思います。どんな人間もその人の生きてきた言葉を血や肉にしているわけですが、神里くんはその血や肉を、頭や手足や胴体と同じくらいフィジカルにとらえているように思います。

神里くんの戯曲が、戯曲かどうかという議論がいつかどこかであったそうですが、私にとってはその議論はどうでもよくて、それについて話すなら、神里くんの戯曲は、たいていの場合、詩だと思うのですが、俳優を通してしか感受できないかたちで存在する詩があるとしたら、それは戯曲と呼ばれるんじゃないかと思います。

私たちは偶然、別のルートを辿ってラテンアメリカの文化に触れることになりました。私はつい先日、キューバの文学祭で、日系アルゼンチン人の女の子と出会いました。彼女の親友のお兄さんは「バルパライソの長い坂をくだる話」の出演者でした。この国の多くの人は、自分のことを移民ではないと思っているかもしれないけど、移民というのは、異なる文化のなかに移って、住む人のことです。私たち自身、もしくは私たちの両親や祖父母が、一度もそんな経験をしていないなどということがあるでしょうか。そう考えれば、私たちには、誰でも、移民の血が流れています。受賞作は、とても普遍的なテーマに挑戦していると思います。

もう10年以上前に上演された、私の大好きな岡崎藝術座の初期の作品、2007年の作品ですが、私はこの作品がいまでもいちばん好きで、それを見た日のことを書いた文章があるので、それも10年前の文章なんですけれども、きょうはそれを読んで、祝辞にかえたいと思います。

 二〇〇七年の暮れのこと。わたしたちは高田馬場のふるいバーでお酒を飲んでいた。岡崎藝術座の一人芝居「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」を観たあとのことだった。ついさっきまで、そのカウンターの向こうでひとりの若い女優さんが、バーのママの四〇年分の「いま」を演じていた、その同じカウンターの向こうで、そのバーの実のママであるりつこさんが、手に持った大きな氷を割り続け、ロックのウィスキーをつくり続けていた。その時、黒いコートのおじさんが入ってきた。狭いカウンターのまんなかの席に黒いコートのおじさんは座った。りつこさんが、あら、二年ぶりじゃない?と言った。言った傍から、こないだ誰それが電話してきたのよ、と喋りだしたりつこさんとそのおじさんは、とても二年ぶりとは思えなかった。りつこさんの四〇年全部がいまなのだと、その会話はあかしていた。
 カウンターの向こうに、いまはりつこさんというひとがいる。でもあと四〇年経ったら、りつこさんを血や肉にしているバーそのものが、陰もかたちもなくなっているかもしれない。四〇年もバーを続けるという、嘘みたいなことをやっている、りつこさんという現象。四〇分かそこら、嘘をつき続ける、演劇という現象。どちらもあまり変わらない、とわたしは思った。
(詩集『地面』あとがきより)

神里くん、ほんとうにおめでとうございました。

ハバナ日記(7)

 2月7日、水曜日。朝、ケティは着替えてくると言ってNのところへ行き、私はダニエルと近所の八百屋でパパイヤのようなトロピカルフルーツを買って、戻ってカットしてダイニングで食べた。甘く熟れていておいしい。ケティがNを連れて帰ってきて、ダニエルが持ってきた特別なワインのボトル(詩集の表紙がエチケットになっている)や、ネルーダの伝記の豪華本などをみんなで見た(ダニエルはアルゼンチン出身だけど、いまはチリに住んでいるそうだった)。昨晩の寝際の話をすると、N爆笑。ラテンアメリカンはtouchy touchy touchyよね〜と他人事のように言う。

 まったりした朝を4人で過ごしたあと、ハラルの店で昼ごはん、フムスなど。ビールも飲んじゃう。今日もラ・カバーニャ。Nはどこかでビールを大量に買ってきて、リュックに入れてちょっと怖いくらいの勢いで飲んでいる。ブックフェアの人混みに揉まれて、ケティの後をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしているうちに、スペイン語がわからないことに、というより、何もわからないまま誰かの後をついていくしかないことに、いい加減ばくはつしそうになってきた。さらに、実はAlamarを水曜日に引き払わなければならないということがわかり、それって今日じゃん。いつ行くの?次はどこに泊まればいいの?とケティに詰め寄るはめになってしまった。さすがにまたダニエルのベッドに3人で寝るのは気持ち的に無理がある。なんとかベダードの民泊を2泊分押さえてもらう。Alamarは明日の引き取りでOKということになる。ディウスメルに会うなり、君のことがすごく心配だったんだよ、何かほしいものはないか、アイスいるか、これ持ってあげようか、とものすごい勢いで話しかけてきた。その話し方がまるで幼女を相手にしてるみたいで、気持ち悪かったので避けようとしたけど、何度も近寄ってくるので、ケティが割って入ってサヤカは子どもじゃないんだよ、くどいよと怒鳴ってくれた。だってサヤカが喋らないから心配で、というディウスメルに、満足してるから喋らないだけ、心配してくれなくて結構ですと私も怒鳴ってしまう。

 日暮れどき、バスに乗って、また別会場へ移動。例のお弁当の夕飯が出る。チェペと、一緒にいたメキシコのマイノリティ言語詩人のシュンと、小さなテーブルを囲んだ。私はウチナンチュやアイヌ語の話をした。シュンは去りぎわに、私のためだけにニチム語で詩をひとつ朗読してくれた。その音は星か小さな火花みたいに美しくて、しずかな、きれいな、癒しだった。
 ライブ会場のようなところで若いヒップホップ歌手のお兄さんが歌いだして朗読会が始まったけど、私は混乱の一日にもうぐったりだった。おまけにこの会場のトイレの汚さがこの一週間のなかでも最悪だった。ラ・カバーニャで昼間、簡単に挨拶しただけだったメキシコのマリエルたちと、会場の暗い玄関先ですこし話した。会場に戻ると、私がよっぽど不機嫌な顔をしていたのか、アダとオスマイルが水筒に入れて持ってきたキューバリブレをすすめてくれて、キューバリブレの謂われを教えてくれたり、ふたりで代わる代わる朗読会の通訳をしてくれたりした。優しさだ。あなたにどんなふうにこの景色が見えてるのか想像を絶するよ、字幕なしの映画みたいなもんかしら、とアダ。そのカジュアルな朗読会でやっとケティの朗読を聞けた。私に捧げる、と言って、アラーキーをモチーフにした詩をケティは読んだ。
 ものすごく疲れちゃったので、できるだけ早く帰って寝たいと言って、会場を早めに抜けだした。ケティが私とダニエルどちらの部屋に泊まるかという話になって、もしよければ久しぶりにひとりで眠りたいんだけど、でもダニエル、いい?と私が言うと、ダニエルは労るように私の手の甲にキスしてくれて、ユーアーグレイトと言った。君はものすごくがんばってる、という意味だと思った。帰る途中、公園で10分だけネットに接続。ダニエルの部屋からほど近い、ラウラというケティの知人のこぢんまりした民泊にチェックインして、初めてひとりきりになって眠った。今回のハバナでNとディウスメルの顔を見たのは、この日が最後になった。

ハバナ日記(6)

 2月6日、火曜日。朝早く起きて出発。途中のパン屋さんでおいしいチーズクロワッサンと水のペットボトルを買って、カフェのテラスでコーヒーを頼んで、朝食にする。カフェの給仕のおじさんが、笑いながらケティに何か言っている。私といると、ケティはすぐ観光客に間違われるみたい。
 角を曲がるとすぐ、あのジャングル・ガーデンの出版社があった。いつも旅先では紙の地図を入手するけど、今回はいまだに地図なしでケティについてまわっているので、場所の位置関係がさっぱりわからない。人待ちの間、りっぱな鉄製の白いロッキング・ガーデンチェアに座って、ふたりで出産についての意見交換など。前にここで会ったエッセイストのおじさんが来て、このときだけはタクシーじゃなく出版社のバンに乗って、ブックフェアのメイン会場であるラ・カバーニャへ向かった。
 ラ・カバーニャはスペインが作った要塞の遺跡だ。ブックフェアは盛大で、朝10時のオープンとともに続々とお客さんが乗りこんできた。家族連れも多くて、本だけじゃなく子ども用の雑貨やリュックやおもちゃ、食べものの屋台も出ているので、縁日みたいだった。ケティのはたらく雑誌社UNIONのブースで売られていた子供向け雑誌に、まどみちおの詩が掲載されていた。きょうもプレゼンで予定ぱんぱんのケティと別れて、ひとりになってあちこち歩いた。思えばこのとき、ハバナに来て初めてひとりになったかもしれない。木陰で深呼吸して、頭のなかでこれまでの出来事をおさらいした。雑誌や地図を買いたかったけれど、ここでの売買はすべてCUPで私の持っているCUCは使えないので、ネット回線を拾ってLINEしたりメールしたり、日記をつけたりして過ごした。要塞のなかは迷路のようになっていて、蟻の巣のように各部屋がさまざまな出版社や雑誌社に振り分けられてブースになっている。その迷路のなかを歩いているとき、初老の夫婦に声をかけられて挨拶すると、あなた先日の朗読会の方ね、「はだかんぼ」の詩(「テロリストたち」のこと)よかったわ〜!と言ってくださる。お礼を言って握手。知らない人にそんなふうに呼びとめてもらったのは初めてで、舞いあがってしまう。
 ブックフェアには毎年招待国というのがあるらしく、今年の招待国は中国ということで、会場の奥には大きな中国のブース。美しい絵本がたくさんある。私って中国人に見えるかなと思いながらうろうろする。誰も話しかけてくれないのでわからない。3時間近く歩くとさすがに疲れてきて、UNIONのブース前の道ばたにギャルみたいに座って今朝のチーズクロワッサンの残りを食べた。30分くらいそうしてぼーっとしていると、ケティがダニエルと一緒に来て私を見つけてくれた。ケティはまた別のプレゼンへ向かっていって、私は今度はダニエルとタクシーを捕まえて中心地へ戻った。青いきれいな車。ギャラリーのあるエキスポ会場で降りる(後になって、そこが最初にNと会った会場の反対側だったことに気がついた)。アダ発見。いつものお弁当をゲットする。ヤネリスに「食べ終えたらギャラリーに来てね」と言われる。スペイン語がだいぶ聞きとれるようになっている。
 ギャラリー内の教室で、エミリオやダニエルやチェペたちによる各国の文芸誌の紹介を聴講。すこし経つとケティも仕事を終えてきて、ダニエルと3人で、そこからほど近いホテル・ナシオナル・デ・クーバのテラスまでコーヒーを飲みにいった。ここは値段が高すぎるとケティは言ったけど、私やダニエルから見れば、都会のカフェの通常価格だった。このあたりから、3人で飲食したりタクシーに乗ったりするとき、私とダニエルがケティのぶんを軽くおごる感じになる。コロンビアから来ている詩人のお姉さま、カロリーナと相席になった。ホテル・ナシオナル・デ・クーバは見たところものすごい高級ホテルで、ゲイのカップルの席にはジャズを演奏しているバンドがいた。海の見える芝生の庭にはどこからか孔雀が飛んできた。風が強くなってきてテラス席のナプキンを飛ばした。ダニエルの民泊をケティと訪ねると、これがまたものすごく豪華で素敵な部屋だった。天井が高くて、調度品がたくさんあって、全部センスがよかった。ベッドだってキングサイズでスプリングはぶよぶよじゃないし、シャワーの水圧も高いし、庭はていねいに手入れされているし、さっきの高級ホテルより清潔なトイレがあった。一泊25CUC(2500円くらい)、Booking.comで見つけたという。そんな手があったのか…と私、思う。ケティがシャワーを浴びている間、ダニエルのベッドで小1時間休ませてもらった。官能的なまでに気持ちよくて、いいベッドのありがたみを思い知る。交代で私もシャワーを浴びた。それから近所の、かわいいボーイさんのいるイタリアンの店まで、夕飯を食べにいった。私はおなかの調子があまりよくなく、ほうれん草色のベジタブル・クリームスープというのを注文。その店でダニエルが赤ワインのボトルを1本買って帰って、家で続きを飲んだ。私は眠くなってしまって、この流れは、今日はもうここに泊まれるよね…と思いながら、またダニエルのベッドで寝た。ケティはこの数日の多すぎるプレゼンで疲弊していて、あの女上司への愚痴が溜まっていて、きょうは作家から酷い目にあったりもして散々だったらしく、飲まなきゃやってられないという感じだった。ふたりは遅くまで喋っていた。夜中、私の寝ているベッドに酔っぱらったケティとダニエルがおやすみのハグをしながらくすくす笑いながら転がり込んできて、私は(どういう展開…!?)と心配になったけど、そのあとは特に何事もなく3人で朝まで眠った。

ハバナ日記(5)

 2月5日、月曜日。なかなかの酷暑。Nの部屋を出て、朝食を食べられる場所を探して歩きまわっていたら、ケティの知り合いのおじいちゃんに遭遇した。おじいちゃんはアドルフォといってケティの卒論の指導教官だったらしく、柔らかな雰囲気、御年83歳。美しい英語をかくしゃくと喋る。いっぺんで好きになる。ケティ、ちゃんとやってるか?と確認して、私には哲学者であること、宗教を研究していることを自己紹介して、立ち話で核心に切り込んでくる。あなたには特定の信仰があるか?と聞くので、ないけど、自分のことをうるさい動物と呼んでいると話すと、面白がってくれる。アドルフォはタオイズムをもっと勉強したいのだそうだ。私たちは物事を一度まるっとひっくり返して考えなくちゃならない、なぜならいまの世界は完全に引っくり返っちゃっているんだから、と言う。仰るとおりです、と私、言う。

 連絡を取り合おうと約束してアドルフォと別れて、やっとこさ冷房の効いたカフェ、ベッキーに入って、ケティとふたり黙々と朝食を食べた。キッシュとデニッシュとコーヒー。昨日も今朝もシャワーを浴びていないので、汗でからだがべたべた。タクシーでシンポジウム会場へ移動する。蔓植物の棚のある前庭から続く、明るい、気持ちのいいレクチャールーム。私がパネリストとして参加したのは、自国と文学的アイデンティティの関係について各自が話す回で、トルコの詩人と同行していた通訳者が、その場で機転をきかせて私の英語をスペイン語に訳してくれた。ありがたい。子どもの頃から海外の絵本や童話が身近にあったこと、石井桃子さんのこと、現在の日本での翻訳文学の状況など、自分のことや知っていることを、簡単に話す。そのあと通訳者さんのそばに座れたので、メキシコやプエルトリコからの、他の参加者の話もおおまかに英語で聞くことができた。このミーティングの意味をようやく、なんとなく掴む。
 終了後、ふたりの黒人女性詩人、フランスからきたゾイ・アン、ドミニカ共和国のローリステリー・ペーニャ・ソラーノと知りあう。ローリステリーがくれた詩集には最初に女性たち、古今東西の作家や思想家や母親への献辞があって、中身がとても気になるのにスペイン語ですぐに読めないのがもどかしい。前庭の葉陰でランチ。例の肉と米のお弁当。胃が疲れていて、あまり食べられなかった。

 午後、ケティは別会場のプレゼンへ出かけ、私はディウスメルと一緒にバスでAlamarへ。どうもオスマイルのところに転がりこんだらしいアダに、民泊の部屋から荷物を持ってきてと頼まれる。バスに乗るのに街中を歩きまわらなければならず、私は疲れ果てているのに、ディウスメルがずーっと英語で、こみいった文学的な話を続けようとするので、苛々してくる。ディウスメルの英語は、お互いがゆっくり集中して話していれば問題ないけど、移動しながらだと、ときどきすごく意味不明なときがある。
 Alamarの公民館の廃墟の庭で開かれていたオープンマイクふうの小さな朗読会にすこしだけ参加。公民館は何年も前に自治体が維持できなくなってからは、文学有志によってなんとか維持されているという。
 民泊に向かう途中、ケティの叔母さんに偶然会う。家にはお父さんがいるから声かけてとのこと。砂漠から脱出した人のようにシャワーを浴びて、やっとさっぱり生き返る。出ると叔母さんが戻っていて、生トマトやタマネギのサラダ付きの夕飯を出してくれた。ありがたく、急いで食べる。部屋に戻ってお化粧。アダのベッドの下に置かれたスーツケースから、頼まれた荷物を見つけるのに苦労する。交換用のバイリンガル詩集と、背中の大きくあいたドレスを何枚かと、下着と、マテ茶葉の袋をまとめてトートバッグに放り込む。アダのパンティはびっくりするほどセクシーなのばっかり。
 隣の家のディウスメルに声をかけにいった頃には、とっくに日が暮れていた。ディウスメルが準備するのを待つあいだ私は、台所で手で洗濯をしている私と同じくらいの年齢の母親のそばで、彼女の小さな娘を見ていた。小さな女の子は、ぬいぐるみをたくさん紹介してくれた。
 もうおなじみになったAlamarの停留所からバスに乗って、暗闇のなか中心地へ帰還。私は念願のシャワーでさっぱりできてさっきよりは機嫌がよかった。ディウスメルが片言の英語で、私の詩のスペイン語訳についてつぶさに確認しようとしてくれたけど、バスがものすごく揺れるので、私は頭のなかで言葉をうまく一列に並べることができなかった。それに、正直、その翻訳を検討するのは私の仕事じゃない、という気持ちもあった。私は私の翻訳者を信頼して、委ねているのだから。
 ベダード(新市街)方面にある大学の敷地の一角にみんなが集まっていて、ギターじゃかじゃか系のアットホームなコンサートが始まっていた。アダを見つけて荷物をパス。ローリステリーを見つけて詩集を贈呈。ちょっとだけ音楽にあわせて一緒に踊る。エミリオやパウラもいる。音楽はいい感じだったけれど、私は今夜“招待”されているほうのライブのことで頭がいっぱいだった。それに行くためにはケティと合流しなくちゃならない。ところが、ここで落ち合うはずだったケティがいない。コンサートは終了してしまって、他の参加者たちはどこかへぞろぞろ夕飯を食べにいってしまった。ディウスメルは携帯を持っていないので、ミーティングディレクターのヤネリスを探しだして事情を話して、ケティに電話してもらうとやっと繋がって、グアヤキルで私も会ったアルゼンチンの詩人/編集者のダニエルとこの近くのレストランでご飯を食べているという。やれやれと思いながら、レストランまで歩く。
 レストランの入口で、悪びれもせずにケティが待っていた。私は内心エーッと思いつつも、ダニエルとの嬉しい再会で連絡不足のことは水に流してハグ。ダニエルとは、エクアドルではほとんど話さなかったのに、再会となると急に親密度が増すのがふしぎだった。ビールを飲んで、すこし食べる。

 夜11時ごろ、4人でビバンコのライブへ駆けつけた(正確には、のんびり歩いて向かった)。ライブは10時スタートだと聞いていたけど、まだ始まっていなかった。ビバンコに「来たよ〜」と挨拶して、私は自分の詩集を渡した。メッセージには「魂(soul)を分け合ってくれてありがとう」と書いた。私たちが飲みはじめるとライブもはじまり、ケティは「サヤカを待ってたに違いない、サヤカのために歌うかもよ」と言うけど、よく言うよ!と私、思う。ギターとボンゴとサックスの、すばらしいライブ。ダニエルもディウスメルもすっかり愉しんでいた。ライブが終わるとヒットチャートが流れだして、そこは簡易ダンスフロアになったけど、私たちは別に踊りたい気分じゃなかった。帰り際、ビバンコと握手した。こんなにかっこいいライブをするミュージシャンと、こんなふうに知りあって、そしてもう二度と会えないかもしれないなんて、人生ってむなしい。ダニエルはベダードの民泊に歩いて帰っていき、ディウスメルとも別れて、ケティと私はタクシーでNの部屋に帰った。私たちはライブの興奮で何だかへんなテンションになっていて、タクシーを降りるとケティは「迷った」とか言って角をあっちこっち曲がった。私は憶えていたアパートの番地を笑いながら繰りかえした。ささいな冗談でばか笑いしながら、そんなに酔っぱらってるわけでもないのに千鳥足で、やっとこさNの部屋に辿りついた。アパートの前の道路では何かの工事をしていて、真っ白いバルーン照明が、ここですよと諭すみたいに煌々と灯っていた。

ハバナ日記(4)

Alamarからバスで、ケティのママの住むLautonへ。ディウスメルも一緒。ママとママの彼氏に挨拶する。アパートの二階にあるママの部屋のベランダからは、ハバナの中心街とその向こうの海が見える。隣の家からレゲトンが聞こえてくる。朝ごはんをいただいて、みんながのんびりした日曜の気分を味わうなか、ひとりそそくさと絵本の原稿を仕上げさせてもらう。壁掛けテレビでは録画の「GOT TALENT」のスペイン語版を流していて、ママがときどき笑っている。昼ごはんもいただき、今度はケティがディウスメルの助けを借りながらブックフェアのプレゼン資料をつくる間、リビングのソファベッドですこし昼寝。ここでもいい風が吹いている。夕方、近くの公園でネット回線を拾って、業務メールをいくつかやっつける。ケティが自分の携帯のメールを見て嬉しそうに「サヤカ、今夜はちゃんとパーティーがあるよ!」と言う。

 中心街へ向かうバスを、ディウスメルは途中で下りて家族のいる家に帰り、ケティは人に道を何度も尋ねながら私を会場まで連れていった。見ず知らずの怪しいお兄さんが声をかけてきたと思ったら、若手作家ミーティングの参加者だよ!と言うのでホッとする。道を渡って住宅ふうのビルに入り、屋上まで階段であがると、見覚えのある面々がギターを囲んで歌ったり踊ったりしていた。テーブルにはラムの大きなボトルがドンっと置いてあってみんなストレートでぺろぺろ飲んでいる。ビールなんかないのだ、ラムなのだ。クールだ。ちびちびそれを舐めていると、キューバ人の黒人の男の子、ヤンシーが話しかけてくれる。ぜんぶスペイン語なのに理解できる。ゆーーーっくり話してくれるのだ。アダはいつのまにか見つけた男と仲よさそうにいちゃいちゃしている。その男オスマイルは確かに好青年で、それでキューバはどう?と私に、ざっくりした質問。ソーミュージカルでソーエモーショナルだよ、オールディフェレントフロムジャパンだよ、と私もざっくり答える。メキシコからの素敵な人びと、おっとりしてかわいらしいアドリアナ、ぽっちゃりゲイの愉快なチェぺ、名前の由来は緑の王冠だと教えてくれたほっそりのステファニーと知りあう。メキシコのみんなのノリは、ほっぺで挨拶するカリブの超近距離コミュニケーションの世界に比べてとても控えめで、ふしぎと日本人の友だちノリと共通するものがあって、すぐに仲良くなってしまう。アメリカを挟んで、私たちは文化をシェアしてる。みんなでひとしきりトランプに悪態をついて悲しくなってから、何やってんの私たち、政治なんてやめよやめよ、詩が必要なんだったわーと我に返る。チリのスキンヘッドの女性作家パメラが、私の朗読がすごくよかったと言ってくれる。彼女は経血を聖なる血と表現するような人で、本の題は「月の狂気」で、情熱的で深くて強いものを愛している。私は深さと柔らかさの共存は無理だと思っていたけどあなたはそれをやっていた、深くて柔らかくてセクシーだった、私たちはすごく違うけど、同じことを表現していると言ってくれた。すごく嬉しかった。いくらでも話していられて、パーティーはあっという間におひらき。みんなでマレコンに移動してもう少し喋る。エミリオに会うと、パウラは風邪をひいて寝てると言う。歩きながら好きな監督を3人あげるゲームをやった。エミリオはタルコフスキーとトリアーを挙げて、私は北野武アンゲロプロス。もうひとりがどうしても思いつかなかった。後になって、あっエドワードヤンだ!と思った。

私の面倒を見なければならないケティがお疲れ気味なので、名残惜しい気持ちでマレコンを後にした。遅すぎてAlamarへ帰るのは危険だというので、Nに来てもらって、ハバナ大学の近くの空き部屋を貸してもらう。ぶよぶよのスプリングのダブルベッドでケティと眠った。

f:id:chakibear:20180417223530j:image