都会の花火、田舎の花火

神宮外苑の花火をみに、国立競技場へ行きました。私はれっきとしたお祭り娘です。会社の人が譲ってくれるという4000円もするチケットに飛びついて、日も暮れないうちから仕事を切り上げて、千駄ヶ谷に向かいました。こんどいっしょに浴衣遊びをする予定のNちゃんと、女の子たちの浴衣を物色しながら、それでも本当にかわいく浴衣を着てるのは100人に1人くらいだねーと言いながら、会場に入るや花火の前座に歌っているBerrys工房(?)のファンの盛り上がりにおののき、走り戻って競技場の外に出て、それぞれの地元の夏祭りや花火の話をしながら、KIMONO姫ユカタ編をみながら、まったりビールを飲んでいると、ふいにアイドルたちの声がやみ、一発目の花火の音が、どんと響きわたりました。
帰りぎわ、「花火大会って、なんか、野蛮ー」とNちゃんが言い、「うん、なんか、“ニンゲン”って感じー」と私もうなずき、人、人、人の波を縫って表参道までぺこぺこ歩いてゆくと、ロータス通りのちいさいビルの屋上で、花火をみにこぢんまりと集まった人たちの、なんとも羨ましいパーティーが開かれていました。屋上のてすりにもたれかかった大人の背中は、都会の人の背中でした。
北海道から、静岡から、はるばる出てきた私たちは、函館の人なら誰でも知っているというイカ踊り、宇崎龍童がつくった清水の港かっぽれの振り付けを、それぞれ思い出していました。私が日本平で草の上に寝ころがって花火をみたのや、Nちゃんが函館の港で花火をみた、それらはただ単に花火をみるということだったのではなく、家族や友達とそこへ出かけるということが大事だったのだということ、そこへ出かければ知ってる人がいて、憧れの先輩もいたりする、そういうことが大事だったのだということを、いまさらに思い返したのです。ただ、だからこそその場所に一目散に戻りたいと思っているわけではない私たちは、とても複雑な気持ちで、なにやら分けのわからぬ思いでむねをいっぱいにして、帰り道を歩いたのです。