きょうの風景(8/1)

日曜日にmujikoboで渡邊聖子さんの個展をみた。私は渡邊聖子さんの展示を、なんども見たことがある。でも、展示をみて、写真をみたのか部屋をみたのだったかわからない、とここまで痛烈に思うことができたのは、初めてだった気がする。写真をみにきたのだか赤子をあやしにきたのだか黄金町の川沿いのカウンターだけのカフェで初対面の人々と話しながらアイスチャイを飲むということをしにきたのだか、わからない、と思うことができた。「思うことができた」という言葉で思うのは、聖子さんが展示しようとしているのは、そのわからなさそのものだと思うからだ。
mujikoboという場所が、以前は特殊飲食店だったこと(それは、ギャラリーの狭い階段、細かくわかれた部屋のかたちからもよくわかる)をきちんと思いださせてくれたことが、わからなさの一端を、がっしりと担っていたと思う。窓の外で流れる緑色の川を眺め、畳の部屋の黒い壁に貼られた一枚の紙のうえの赤い文字を読んでいると、私は自分がだれなのか、とんとわからなくなってきた。

最近読んだ郷原佳以さんの「芸術作品といかに出会うか」という文章に、美術館の暴力のことがかかれていた。私はその文章を読んで〈ホワイトキューブ〉という言葉を知った。郷原さんの文章には、「中立的な「ハコ」としての美術館像、もしくは美術館への期待を表したもの」と説明されている。この文章には、美術館という制度が行使してきた暴力と、芸術作品がその暴力をどう無効にしようとしてきたかということがかいてある。
mujikoboは内装こそ真っ白と真っ黒に塗り分けられてモダンだけれど、運営者がどこまで意図してなのか、ただ偶然が重なってか、その場所の記憶をとどめて、"中立的な「ハコ」"とはちがった。それでも、暴力は確実に行使されているはずだ。そして、どんなホワイトキューブのばあいでも、暴力を行使することを単純に「わるい」ということはできない。展示物(内容)と場所(形式)の関係のこと、お互いがお互いに関わる力の強さ、想いの強さ、その関係の複雑さ、というようなことを、いま私は考えている。(つづく。)

きょうの風景(7/16)

馬車道での用事のあと、渋谷に戻ってくると、東横線の駅のホームまで、原発反対デモのシュプレヒコールが聞こえてきた。きょう代々木公園で原発反対運動の集会が行われたはずだと思って、私は駅から自宅まで、代々木公園を突っ切って歩いてみることにした。17時すぎで、公園内ステージでの挨拶やライブは全部終わっている時間だった。西武の脇を歩いている辺りで、「原発撤×」というプラカードを首から提げた、厳しい表情の小柄なおじさんとすれ違った。もっと大変な数の集会参加者が、そういう感じで公園通りを駅に向かって降りてくるかと思ったけど、公園通りはほとんど普段の休日の夕方と変わらなかった。やたらと黄色い袋(ドンキのやロフトの)を持っている人が多い気もしたけど、気のせいかもしれない。洋服の大きなショップの前に黒いTシャツの店員の男が出てきて、「皆さん、暑いです! Tシャツが必要になります!いらっしゃいませーいらっしゃいませー」とメガホンで客引きの声をあげていた。
公園にはいつもの祭り屋台が少し多めに出ていた。主催イベント関連と思われる出店の人々は、自分たちをねぎらう拍手をしたり、けりをつけ難そうに世間話をしたりしているところだった。ステージ上はほとんど片付いて、黄色い布に大きくNO NUKESとかかれた垂れ幕だけが、ぐずぐずと残っている。警官がふたり、ステージの前を歩いて行く。ザアッという風がふいて、警官のひとりの帽子が飛ばされたのを、慌てて拾いにいっている。舞っている砂埃がみえる。

公園を横切って原宿から富ヶ谷へ抜ける車道に出ると、いままさにデモ隊が出発するところだった。23区や神奈川の労組連合とか、年金関連の団体とか、「医療」とか「生活」とかかれたノボリを持っている人々だった。デモ隊が車道に出るのを待って、私はかれらの隣を、歩道を歩いていった。デモは富ヶ谷の交番前交差点を右折して、これから新宿まで行くらしい。デモの人々はみんな私のと同じような色の薄い日よけ帽をかぶっている。日傘を差している人もいる。ビニール傘に反対の文字をかいてかかげている人もいる。この隊列に参加しているのは、五〇代とか六〇代の男女がほとんどのように見える。たまに、小学高学年くらいの男子や、二〇代後半らしいカップルが混ざっている。神奈川の隊列の一番前でメガホンのマイクを持ち音頭を取っている人は、髪の毛が全部おさまる黒い帽子をかぶりぴったりしたデニムをはいた、白い肌のきれいな女の人だ。「原発の"虜"か?」という印象的なプラカードを提げている人を、ドイツ人ふうのガッチリした体格の女性が、歩道側から写真に撮っている。児童公園の柵に座ってデモを眺めている人がいる。私も少しその並びに座って眺めた。向こうから子どもを後ろに乗せて走ってきた自転車の女の人が、デモの声に合わせて「さいかどー、はんたい、」とうたうように言う声が私の耳に届いた。
帰ってきて、シャワーを浴びて、ベランダのゴーヤを眺めた。

点字とボンド(6/14)

仕事のあと、パソコンをひらいたまま、仕事をしていたその同じ机でひとりでビールを飲むという、贅沢で堕落的なことをしていると、机の上の棚に前から置いてある木工用ボンドのケースに、点字が打ってあるのに気がついた。グーグルさんの画像検索で点字の表を引っぱりだしてきて読むと、表に「ボンド」裏に「モッコーヨー」とかいてあった。すこし前、「ギルガメシュ叙事詩」を読んだとき、楔形文字の図を世界史便覧以来で見たけど、改めて点字を見ると、楔形文字よりも洗練されていて、(私には古風にウツクシイものを愛でてしまうところがあるので、)点字、この実用美、ウツクシイナー、とビールを飲みながら、木工用ボンドのケースをまじまじ眺めた。ハッと、机の上の文房具のかずかずーーカッター、カッターマット、スティックのり(Prittと無印)、フェルトペン、MONO消しゴム、ハサミ(無印)ーーをひっぱりだしてみたが、コニシ株式会社のボンドだけが、点字つきなのだった。セメダインの木工用ボンドにすら、点字は打っていなかった。コニシ株式会社のウェブサイトをあさってみると、このボンドはいつのまにかグッドデザイン賞をもらっていた。子供用のQ&Aに、「ボンド 木工用や木工用速乾(そっかん)の点字は、目の不自由な方が、これは接着剤だとわかるように入れました。」とだけかかれているのだった。きっと何か思想があるはずだと思う。でもそういうことをことさらにかかないところが、いかにもシャイで、昔ながらの木工用ボンドの会社らしくて、いいではないか。

きょうの風景(5/27)

自宅から代々木上原駅まで行く路の途中に細い私道ふうの急な下り坂があって、急な下り坂の急な下りぎわ、T字路を左に曲がる角に、家一軒ぶんの空き地がある。そこが空き地になってから、春も夏も秋も、茎が強くて葉もかたそうな、切ったら白い血がじゅっと出そうな野の草が大小問わずごびごび生えて、埋め尽くして、一度刈られたくらいでは屁でもないのだった。それで私はこの空き地が気にいっていた。きょう、坂を下りていってみると、私の左半身が受けとる感じがばかにひっそりして、目をあげてみたら、そこは一面の、紺碧なのだった。紺碧の、あの、青春映画のなかで夕陽に照り映える海のような、光をきらきら弾く、塗りたての、アスファルトなのだった。その海を、しいてひとつあげるとするなら、『緑の光線』の海なのだった。私は、あんなに図太く繁茂している緑が一掃されるときにはさぞ寂しい気がするだろうと決めてかかっていたので、アスファルトが紺碧の青春映画の海でもあるなんて、やるじゃんか、と思ったのだった。

神様の庭は円い(5/19)

「タイム」で一緒に舞台に立った毛利悠子さんの個展を見に、東京都現代美術館へ行った。毛利さんの作品が入っているブルームバーグ・パヴィリオンというのは、美術館の前庭に設置された、離れのような建てもので、白いパキパキした、屋根だか壁だか見分けのつかない、折り紙を途中で放置したような凹凸のある、青空によく似合う板で覆われている。似合うにもいろんな似合いかたがあると思うけど、その似合いかたは、青空に向かってエッヘン!と自己主張しているような感じがする。
でも建てもののなかにはいると、毛利さんの作品たちの空間は、とても静かで、自己主張とは遠い、ある生態系に支配された、神様のお庭のような空間だった。「タイム」のときも、毛利さんが準備した空間のことをわたしはずっと「祭壇」と呼んでいて、新しい儀式のためにモノたちがたてる音を聞いていると、知らない宗教の教会にいる気がした。
こんどの展示は、「サークル」「サーキッツ」「サーカス」と続く三部作の三部作目にあたるのだそうで、もらったハンドアウトに、これらの3つの言葉が同じ語源をもっていることが書かれていた。以前アメリカの詩の研究者・金関寿夫さんの本を読んだとき、アメリカインディアンの言葉で「インディアンがすることは何でも丸い。『四角』には、どんな力も宿っていない。」と書いてあったのを、私は後になって思いだした。
扇風機がまわっている。昔のほこりのこびりついた、半透明の青い羽根の、背の低い、おばあちゃんちにありそうな扇風機だ。部屋のブラインドが、パシャンと音を立てて外からの光を遮断する。しばらくすると、またカシャンと音を立てて角度の変わったブラインドの隙間から光が入ってくる。スプーンが鐘を鳴らす。アイスクリームを食べたいくらいのサイズのスプーンだ。時計盤の数字のように円状に置かれた幾つもの方位磁石、その針がほうぼうで揺れている。その時計盤の針のように、木製の定規が、秒針と分針の間くらいの速さで、ゆっくり回っている。部屋の中央に、白いカーボン紙の幕が、でろりと垂れ下がっている。ひっくり返ったレトロな玩具の真上に吊されたシェードランプが時折りぼうっと明るくなると、玩具の蛾がジジジジッと震えだす。白い水玉模様の赤い傘が回転している。傘に張られた布はところどころ焼けて穴が空いていて、わたしに石内都さんの「ひろしま」の服たちを思いださせた。磁力と音、回転と静止、光と震え、はじめは何がどこで繋がっているか探そうとしたけれど、それを探しても意味がないように思えてきた。
磁石の力、光の力、風の力。そういう力を感じたり、それぞれの生活の果てにこの部屋に集まったモノたちをみていると、見えないものと見えるものがあるんじゃない、という気がしてきた。磁力や光の力が見えないもので、傘やスプーンが見えるもの、とは分けることができない。磁力も光の力も傘もスプーンも、みんなこの部屋で、見えるようになったのだ。
見ているうちに、部屋はどんどん大きく感じられてきて、いつまでもこの庭で遊んでいたいような気持ちになった。


◎毛利悠子 個展「サーカス」
5月19日(土)〜6月17日(日) 無料
東京都現代美術館ブルームバーグ・パヴィリオン

きょうの風景(5/5)

満月と、月が楕円状の周期のなかで最も地球に接近するのが重なる日だった。23時に、日本の原子力発電所がぜんぶ停止するので、そのカウントダウンの集会が代々木公園でひらかれていて、おおぬきさんたちが出掛けているというので、どんなふうになっているか観察しに、はじーと散歩がてら出掛けた。DJブースはステージ上ではなくて、歩道脇に設置されて、夜店みたいにピカピカ光っていた。その隣にテントがひとつだけ設営されて、お酒とホットドッグ的なものを売っていた。歩道を挟んで公園の端に、というかほぼ歩道も埋めながら、人が音楽を聞きながら揺れていて、写真や映像でしか見たことのない70年代の風景みたいだった。はじーはおおぬきさんに、初めてきちんと自らの原発に関する立場を述べたらしい。月のことと原発停止のことを並べて象徴的に話している人もいた。DJブースから少し離れた広い階段の下で、聞こえてくる音楽をBGMに、おじさんが地面に寝るしたくをしていた。23時が近づくにつれて、いちばん熱狂的な感じで聞こえてくる声は、「ここで気を抜いちゃいけない」けど、「今日は祝おう、騒ごうぜ」というメッセージを伝えていた。でも、踊っている人たちの大部分はそんなに熱狂しているわけではなくて、ただ音楽をゆらゆら聞いている人たちに見え、その人たちの隙間で私もゆらゆらして、気持ちよかった。みんなでカウントダウンをして、23時になると、拍手が起こった。
缶ビールを飲みながら座っていたベンチで、しのちゃんが、旅行してきたばかりのタイの写真を見せてくれた。料理がぜんぶおいしくて安いんだそうだ。タイのクラブは、さっぱりした若々しいライブっぽいノリだったそうだ。アンコールワットの、カラフルな花のレリーフがとてもきれいだった。

きょうの風景(5/8)

両国で「トルネード! 21人のキリヌキイラストレーション展」を見てから、会社に行くために大江戸線に乗った。私の前に、小さい子と大きい子を連れた母親が座っていて、三人は門前仲町駅で、小さい子はベビーカーに乗って、降りたのだけど、ドアが閉まる直前に大きい男の子が、座席にあんしんケータイを置き忘れたことに気がついた。そういえば大きい男の子は乗車中、母親のiPhoneで遊ぶのに夢中だった。男の子が悲鳴をあげて、そのときちょうど同じドアから乗りこんだおじいさんが、必死でドアを閉じさせまいとした。私は慌てて青いあんしんケータイをおじいさんに渡したけど手遅れで、ドアは閉まってしまい、もうひとりベビーカーをひいて乗りこんできた女性が、閉まったドアの向こうで母親が携帯の画面に「次の駅で」とかいて車内に見せているのを読みとって、おじいさんに伝えた。おじいさんは、青いあんしんケータイを握ったままむっつり座っていたのだけど、次の駅(月島)に着くと、私が(えっ??)と思うほどの、あーもーババひいちまったーっ、というのがありありと表現された大声の咳払いをして電車を降りようとしたので、私は思わず「私ここで降りるので、預かりましょうか」といって、そのあんしんケータイを引き受けて、降りるつもりのなかった月島駅で降りてしまった。結果的に、月島で降りてルート的にも正解だったので私は一石二鳥だったのだけど、なにより人助けしてあんなにつまらなそうな顔してる人をはじめて見て、びっくりしてしまった。