グアヤキル国際詩祭(2)

  夜7時から、Casa de la Cultura(文化の家)という建物で、詩祭のオープニングが始まることになっていた。スケジュールを見ると7時ちょうどから関係者の挨拶があって、7時15分から朗読が始まることになっていた。噂には聞いていたけれど、ここの人たちはそんなこと、誰も気にしていなさそうだった。7時半頃からようやく、プログラムスタート。

 5人ずつ壇上にあがってそれぞれ2、3篇読むという進行が、3.5回繰りかえされた。私が耳で聞いて理解できるのは、ウェールズから来たゾエの英語の詩のみ。中国出身でロス在住のミンディのパフォーマンスは、白い糸と赤い糸を組み合わせたものを繰りだしたり、巻物状の紙に漢字で書かれたものを使ったり、工夫が効いている。
 私は「テロリストたち」1篇だけを、スペイン語と日本語で読む。少なくともこれだけはスペイン語で読めるようにしておこうと思って、練習しておいたのだった。私が練習したから読めただけで、ほんとうにスペイン語を喋ることはできないと知っている人たちも、アフターパーティーで私にスペイン語で話しかけてくる。よくわからないけれど、何人かの人たちは、すごく褒めてくれていた。ひとえに、自分で読むことを薦めてくれた管啓次郎さんと、翻訳してくださった南映子先生と、ネイティブチェックしてくださったヒメーナ・エチェニケ・サンチェスさんのおかげです。
 9時頃終わるはずだったオープニングイベントは、すべて終了してみると10時をとっくに過ぎていた。あーやれやれ、という雰囲気は漂いつつも、誰も文句を言う人はいない。ゾエと私は、お腹すいたね…とこっそり言いあう。

 主催のひとりのシオマーラさんの家でアフターパーティーがあるというので、バンに乗り合わせて向かう。街の中心部から車で20分くらい走ると壁に囲まれた高級住宅地があって、警備員の詰めた関所を通らないと、そのエリアには入れない。エリアのなかは日本の郊外の家と同じかもっと大きな家が建ち並んで、見るからに住み心地がよさそう。ミンディは、poorなのは中心街だけで、richな人もいるんだね、もうpoorな国とは言えないかもね、とニュートラルな面持ちで感想を言う。壁の内側に入れる人たちが当然のように行使している権利は、やっぱり翻って、こうして壁で隔てなければ共存できないほどの格差が存在することを裏付けている。でも、この国ではそれが関所や壁の形で目に見えるだけで、そのことにセンチメンタルになるなら、自分の国だって同じじゃないかと思った。「テロリストたち」なんていう題名の詩を読んだ直後に、こんなふうに壁の内側に入っていく自分を発見することは、自分の甘さを誰かに見透かされているような気がして、かなしかった。
 今回の旅に連れてきた村上慧さんの「家をせおって歩いた」(夕書房)は、この見えたり見えなかったりする壁について徹底的に考察=行動したことの記録で、読んでいると息が、苦しくなってくるほどなのだけれど、いま読めてすごくよかったと思う。なんとなく豊かっぽいのに、私たちの生活に開放感が全く感じられないのはなぜかという、とても見えづらい問題を、実行したことに基づいて、ちゃんと言葉のかたちにしてある。まだ読んでいる途中だけど、すごく貴重な本なんじゃないかと思った。
 シオマーラさんの家の表札には、Aqui vive una Poeta(詩人ここに住まう)とある。