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鳥取や地震

3月のはじめ、鳥取砂丘へ行った。夕子さんと、はじーと。その次の週に地震が来て、砂丘の記憶は、地震の記憶といっしょになった。
鳥取砂丘へは、夜明けの飛行機に乗って、朝ついた。前の日の雪が残っていて、景色がぴかぴかして、地面が白かった。黄色い砂のむきだしになっているところを目指して、雪のうえを歩いていった。足元は、いつのまにか、黄色かった。とんびが二羽三羽、低く高く飛んでいた。わたしたちは三人ともカメラを構えて、自分のいない風景、ほかの二人のいる風景、誰もいない風景を、何かのスイッチが入ってしまったみたいに撮りつづけた。撮っても撮っても、何も撮った気がしなかった。景色が目からどんどん溢れて、自分の身体がどこにあるのかわからなくなってきた。
二時間くらいかけて歩いて、わたしたちは、白い雪のあるところから黄色い砂のところへ移動した。わたしたちの移動している間に、日が昇るにつれて雪が溶けていたことに、入ってきた辺りへ戻ってきたとき、気がついた。もうどこを探しても、来てすぐに見た雪一面の景色は見つからなかった。どこからが砂丘で、どこからが砂丘の外なのか、よくわからなかった。らくだのいるそばに道路はあったし、お土産を売る砂丘フレンズという店もあった。でもそれが砂丘の外とは、どうも、言いきれない。砂丘フレンズで、塩らっきょうを試食したら、おいしかった。
それから宿をとった岩美温泉に移動した。岩美駅の駅舎のなかに、「岩美駅の100年」というパネルがかけてあった。駅長さんに、鳥取大地震のはなしを聞いた。その地震で、岩美の温泉街の七割が焼けた。戦時中だったので、地震はなかったことになった。温泉街へ向かう橋のたもとに、大きな「火の用心」の横断幕が張られている。
温泉宿の夜には、かにが出た。お酢につけて食べたら、おいしかった。
次の日、岩美駅で電車を待っているとき、駅の入り口の柱の陰に、制服を来た女子高生の黒髪ポニーテールが見えた。顔は見えなかった。少し目を話したすきに、ポニーテールは消えてしまった。白木の柱があとに残った。何かに似ていると思った。「リアリズムの宿」という映画のラストシーンに出てくる風景とそっくりだった。調べてみたら、その風景は、その風景だった。
次の金曜日に地震が来て、わたしは会社のお昼休憩中でバナナパンケーキを食べはじめたばかりだった築地のスタバから歩きはじめて、偶然にもそのとき霞ヶ関にいたみえこっちを拾って、外堀通りをのぼり六本木通りを通り、トンネルの手前で青山通りへ抜けて渋谷まで、歩いていった。何日かあと、地震のことを片づけるために、地震のことを書こうとした。すると、砂丘の風景や、岩美駅できいた鳥取大地震の話が、ごっちゃになって思いだされた。砂丘の景色のあの溢れ加減と、地震の片付けられなさ加減は、とてもよく似ていた。海沿いの風景はどこも似ていた。この国の大地はゆれる、わたしは、ゆれることは怖くない。ただ、そのことが起こったとき、自分の足で登れないような高い場所にいることが怖い(だから、高所恐怖症ではないけど、高いビルが大嫌いだ)。おいしいものをつくろうとしている場所で火事が起こったら怖い。所有していると思いこんでいるものを失うのが怖い。もしも地震で大地がゆれるだけなら、わたしは、部屋のなかから台風の風雨があんなにバケツを飛ばすのを眺めるように、ゆれることをわくわくと感じるだろう。

漫画の「風の谷のナウシカ」を読んだ。ナウシカの世界といまの世界は、ぴったり地続きだ。
(つづく)