データの彗星

ずっと行きたかったYCAM山口情報芸術センター)をやっと訪ねることができた。映画館と図書館とアートスタジオがひとつになった巨大な建築もすばらしくて、明るい吹き抜けのホワイエで宿題をやっている女子の二人組をみて、いいなぁ、そりゃ、中学生の私がここに住んでたら、毎日ここに入り浸るよと思った。

YCAMで、電子音楽作曲家・池田亮司さんの新作“supersymmetory”の展示を見た。純粋なデータの流れ、数学が形成する彗星、アルファベットの新しい言語列、そのたてる音! みはじめて5秒くらいで私が何も考えずに「エヴァンゲリオンみたい」と言うと、「庵野さんが大喜びするな」とはじーが言った。

池田さんが滞在したというCERNとは、いったいどんな場所なのだろう。アーカイブも全部見たかったけど、新作を15分くらい見てアーカイブ30分くらい見たところで脳がチカチカしだして、やめた。数2の教育は受けておらず物理は赤点の私が、その黒と白の、圧倒的な無人称の空間に、完全にやられた。こんな場所に、私たちはいたんですか? 知らなかった、知らなかった。

リオデジャネイロの暗いビーチいっぱいにコピー機みたいなスキャニングの細い光線がグリッドと線状のデータを映しだす、それを何度も何度もスキャンする、スキャンする光を夏の格好の子供たちがジャンプして飛び越えたり追いかけて追い抜いたりする、大人たちの点在する、いちばん奥では海の波が、移動する光線に映しだされた波打ち際が白い蛇のようにうねる“the radar”という作品にはうっとりと陶酔までした。

YCAMを出るとさらさらした雨が降っていてビニール傘を差したらビニールに雨粒があたって、この傘にあたっている雨粒、道路に落ちる雨粒、芝生に落ちる雨粒、その落ちるサーフェスのへりを思い浮かべようとして、クラクラした。感化されてこれから「ロウソクの科学」を読むところ。

 

山口情報芸術センター(YCAM)
池田亮司 新作インスタレーション“supersymmetory”
 
6月1日まで

あたかも雲に賀して行くように

同居人がついにカリマーの青いバックパックを買った。彼は私のほとんどゆいいつの山友達である。私のバックパックは赤いので、赤と青でふたりでぐりとぐらみたいになって歩きまわるのが楽しみで、5月にはさっそく丹沢へ行くのだけれど、吉祥寺の山ショップののんびり人のいい店員の男の子に5月くらいから丹沢は蛭が出ると教わり(男の子は首すじからいつのまにか入られて背中が真っ赤に染まったそうな)、ヤマビルファイターあるいはヒルさがりのジョニーという撃退スプレーがあることも教わって、その流れでなぜか「高野聖」を読んだ私は完・全に山蛭の恐怖にうちのめされたのであった。

それと同時に「高野聖」の語りのものすごさにもうちのめされ、これからしばらく私には鏡花ブームが訪れると思います。何か心に迫るものがあるとき、人の胸は〈キヤキヤ〉するんだ。

きょうの風景(4/5)

白いシュワシュワした花がこんもりと咲いている木が目の先にみえて、りんごの木だろうかと思ってよく見たら、ウォーターフロントの白い桜の並木なのだった。光の反射が眩しいせいか、気がかりなことがあるせいか、景色のトーンが明るい方に飛びすぎてよく見えないまま、浮かんでいるような気持ちで歩いた。芝生では寝転んでいるおじさんの胸のうえでダックスフントが日向ぼっこしたりしていて、まるでスーラの絵みたいだった。

あんなちゃんと私はガラーンとしたほとんど開店休業みたいなジャイカのカフェでコーヒーを飲んでアイスもなかを食べながら、こんどの夏の計画をした。あんなちゃんは派手なピンクのキラキラした太い化繊でなみなみと編んだチープなバッグを持っていてそれがとてもかわいかった。あんなちゃんはいつも、そういうふうにかわいい。ガラスの向こうではとんびやかもめが飛んでいて、ぽつぽつ並んだ植木にはスズメが来ていた。

それからもうすぐ撤収してしまうというハンマーヘッドスタジオに行った。アートを浴びながら、アートの見方を忘れている感じがして、でもこれまでもアートの見方を知ってたことなんて一度もないような気がした。ひとつひとつの作品がぐっと心に入ってくるわけではないのに(だからか)、妙に居心地がよかった。

ロード「王族」

 

本物のダイアモンドは見たことがない
私の見たのは映画のなかの結婚指輪
私の住所は自慢するような場所じゃない
さびれた町で、郵便番号の嫉妬ごっこもない

なのにどんな歌もこればっかり
金歯だの高級ウォッカだの
バスタブでトリップするだの
殺人事件に舞踏会のドレス
ホテルの部屋のどんちゃん騒ぎ

私たちにはどーでもいいわ
キャデラックなら夢で乗り回してる

なのに誰だってこればっかり
水晶だの高級車だの
時計を飾る宝石だの
ジェット機に夢の島
金の鎖で繋いだ虎

私たちにはどーでもいい
あんたたちの火遊びにつきあってる暇はない

私たちは王族にはならない
その血は流れてないの
そういう贅沢は要らない、もっとべつの興奮がほしい
私にあなたをのっとらせてよ
女王蜂って呼んでもいいよ
そしたらベイビー、決めてあげる、私が、私が、私がね
そういう想像のなかで生きていたっていいでしょう

私は友達と暗号をやぶって
パーティーに向かう電車のなかでお金を数えてる
私たちを知ってる人はみんな知っている
私たちがこれでじゅうぶんなこと、
私たちはお金から生まれたわけじゃないから

私たちは夢見てたよりずっといい
私はこの女王の地位がすっかり気に入ってる

誰にも守られない毎日は素敵
あんたたちの火遊びにつきあってる暇はない

私たちは王族にはならない
その血は流れてないの
そういう贅沢は要らない、もっとべつの興奮がほしい
私にあなたをのっとらせてよ
女王蜂って呼んでもいいよ
そしたらベイビー、決めてあげる、私が、私が、私がね
そういう想像のなかで生きていたっていいでしょう

 

 

From lyrics of Lorde - 'Royals'

http://www.youtube.com/watch?v=nlcIKh6sBtc

Lorde - Royals Lyrics | MetroLyrics

 

トマト、アボカド、ムクドリ

あっというまに週末が終わってしまった。
帽子屋さんで帽子を買った。風邪を治した。
トマトとアボカドの料理を大量につくる新年会をした。

夕方、甲州街道沿いの緑道でムクドリのつがいを見た。
猫や犬に比べて、鳥のおすめすが見分けやすいのはどうしたことだろう。

タオを読んだ

風邪はすこし良くなった。部屋で仕事。
今月から、毎月一度ずつ、私も夕飯の料理を担当することにした。その最初である明日は、コロッケときのこのマリネを作ることにした。

昨日は寝ながら「タオ 老子」を読みきった。語りがとてもよかった。たまに入ってくるカタカナの英語、ライフとか、ベビーとか、マザーとかがよかった。

選挙があると、対立候補のつぶしあいのワルクチとか、過去を漁ってひろげて言うようなことがある、がりがりした言葉ばかりになる、選挙のそういうところが嫌いだ。多数決で勝つことがすべてみたいになるところが嫌いだ。タオはよかった、言葉がスーッとひらたくて、風邪のときに読むのにぴったりだった。

眠ったら、兵隊に掴まって殺されそうになり、死にものぐるいで逃げる夢を見た。

おひさしぶりです

昨晩から風邪気味。
朝、暮らしの手帖に載っていた苺のサンドイッチを作る。
マスクして加島祥造さんの「タオ 老子」を読む。

イケアで買ってきたものがどれもすんなりと部屋にはまって、使いかけのスパイスやパン粉や茶葉やパスタの山になっていた台所のテーブルもすっきりしたし、私が流しの上のものを取るための踏み台も整備されたし、段ボール箱で代用していたベッドサイドテーブルもちゃんとガラス張りになって鏡月がよく似合うようになった。イケアのせいでこのうちにはどんどん家具が増えている。次に引越すときは前回の値段じゃすまないだろうということを考える。次に引越すときは猫を飼わなければいけない、庭のある家に住まないといけない、また大きな公園の近いところに住まないといけない、そうそう野鳥の餌付けもしなくちゃなんないということを、セットでだーっと思いだす。

去年の暮れにベランダに設置した餌台には、見事なくらい一羽も鳥が来ない。誰も、ひと粒も食べにこない。ふーん。「とりぱん」読んだりネット見たり頑張ったんだけどなー。ふーん。暮れに霧島アートの森に行ったとき、鳥のこえのよく聞こえるその森のなかで友達と友達のお父上にその話をして「落花生のリースまで作ったのに」と文句したら、お父上に「ビールが足りない」と言われたのだった。そのとおりだ。
引越す予定はまだない。