トマト、アボカド、ムクドリ

あっというまに週末が終わってしまった。
帽子屋さんで帽子を買った。風邪を治した。
トマトとアボカドの料理を大量につくる新年会をした。

夕方、甲州街道沿いの緑道でムクドリのつがいを見た。
猫や犬に比べて、鳥のおすめすが見分けやすいのはどうしたことだろう。

タオを読んだ

風邪はすこし良くなった。部屋で仕事。
今月から、毎月一度ずつ、私も夕飯の料理を担当することにした。その最初である明日は、コロッケときのこのマリネを作ることにした。

昨日は寝ながら「タオ 老子」を読みきった。語りがとてもよかった。たまに入ってくるカタカナの英語、ライフとか、ベビーとか、マザーとかがよかった。

選挙があると、対立候補のつぶしあいのワルクチとか、過去を漁ってひろげて言うようなことがある、がりがりした言葉ばかりになる、選挙のそういうところが嫌いだ。多数決で勝つことがすべてみたいになるところが嫌いだ。タオはよかった、言葉がスーッとひらたくて、風邪のときに読むのにぴったりだった。

眠ったら、兵隊に掴まって殺されそうになり、死にものぐるいで逃げる夢を見た。

おひさしぶりです

昨晩から風邪気味。
朝、暮らしの手帖に載っていた苺のサンドイッチを作る。
マスクして加島祥造さんの「タオ 老子」を読む。

イケアで買ってきたものがどれもすんなりと部屋にはまって、使いかけのスパイスやパン粉や茶葉やパスタの山になっていた台所のテーブルもすっきりしたし、私が流しの上のものを取るための踏み台も整備されたし、段ボール箱で代用していたベッドサイドテーブルもちゃんとガラス張りになって鏡月がよく似合うようになった。イケアのせいでこのうちにはどんどん家具が増えている。次に引越すときは前回の値段じゃすまないだろうということを考える。次に引越すときは猫を飼わなければいけない、庭のある家に住まないといけない、また大きな公園の近いところに住まないといけない、そうそう野鳥の餌付けもしなくちゃなんないということを、セットでだーっと思いだす。

去年の暮れにベランダに設置した餌台には、見事なくらい一羽も鳥が来ない。誰も、ひと粒も食べにこない。ふーん。「とりぱん」読んだりネット見たり頑張ったんだけどなー。ふーん。暮れに霧島アートの森に行ったとき、鳥のこえのよく聞こえるその森のなかで友達と友達のお父上にその話をして「落花生のリースまで作ったのに」と文句したら、お父上に「ビールが足りない」と言われたのだった。そのとおりだ。
引越す予定はまだない。

 

今日の風景(9/16)

三角みづ紀さんの朗読をききに、京橋へ行った。

台風がきたので、この連休に静岡へ行こうとしていたのを延期して、台風が去ったので、朗読会へ行くことができたのだった。久しぶりに聞く三角さんの声が、あー、あー、と浸みた。朗読のあとには、会場のすみにきれいなお姉さんのコーヒー屋サンが出現して、おいしいレモネードを飲んだり、手作りのおいしいパウンドケーキをいただいたり、少しぶりのOさんに遭遇してお喋りできたりしてたのしく、朗読会、かくあるべしと、おもわれた。行ってよかった。あとたぶん、私は旅寝の詩がどうしたって好きなのだ。三角さんが今回朗読したのは、スロヴェニアから、イタリア、ドイツを旅するあいだに、毎日ひとつずつ書いた詩ということだった。私は、自分の詩集が完成してからここ数週間、魂が抜けたようにぽかんとしていたのが、やっと地上に戻ってきたここちがした。

帰りぎわ、その旅の途中に三角さんが集めたというポストカードを一枚おみやげにどうぞと言われて、後ろに並んでいる人のいないのを確認してから、そのどっさりある束を一枚ずつぜんぶ真剣に見て、きれいな水色の、駅舎か学校のような建物の写真のポストカードを選んだ。よく見ると、それが駅舎でも学校でもないことは、薄い靄のかかったような天気のなかのその無人の建物を写した写真がきちんと語っているようにおもわれた。裏に、オラニエンブルグと書いてあった。ポストカードの束のなかには、リベスキンドのユダヤ博物館の写真もあった。朗読のあいだじゅう壁に映し出されていた写真のスライドショーのなかには、ビオナーデが二本並んでいるのもあった。会場を出て、私はトートツに、ベルリンがなつかしくなった。

燕岳(1)

 九月六日金曜日夜八時、はじーと出発。ドラッグストアで炭酸水、カロリーメイト。初台交差点の吉野家で牛丼と瓶ビール、ちょうど千円。そのまま新宿まで歩いていく。涼しい。小学生向けの進学塾の前に、母親たちがたむろしている。こどもが出てくるのを、鳩のように待っている。ワシントンホテルの建物にはパチンコ屋がはいっている。このホテルに泊まる人はこれを見てどういう気分かしらと思う。 

 深夜バスを待つあいだ、西新宿の繁華街にあるスターバックスで私はアイスラテ、はじーはブレンドコーヒー。そのスタバのすぐ近くの立ち食い寿司を食べようと思っていたのに、牛丼でお腹がいっぱいになってしまったため。アイスラテを飲みながら(本は文庫で「ひかりごけ」と「怪談」を持ったのだけど)、山の地図ばかり見てしまう。これから行く場所の標高ばかり確認してしまう。セブンイレブンでおにぎりやビールやほろよいを買う。雑誌のコーナーに、安達祐実のヌードが表紙のがあって、何度も見てしまう。

 バス停、単独山行の三〇代らしい女の子や、長野・新潟方面へ帰省するらしい人や、見本のような山ファッションのおばさんの三人組など、集まってくる。このバスのとまる停留所のなかで、安曇野はいちばん近い。私たちがいちばん先に降りるらしい。

 バスが走りだしてから「怪談」を少し読んだ。「耳なし芳一」に出てくる甲冑のがちゃがちゃいう音が聞こえてくるようで怖い。「おしどり」で自害するめすのおしどりが怖い。怖いが、面白い。

 山梨のサービスエリアに「月の雫」(ぶどうを白い砂糖でコーティングしたもの)や「桔梗信玄餅」があって、帰りにお金が残っていたら買って帰りたいと思う。でもきっとそんなお金残ってないだろうなと思う。

 三時四四分、安曇野穂高停留所に時間通りに到着。まだまっくら。水の音が、じゃぶじゃぶ、ごぼごぼ、近い場所から聞こえてくる。なんという水量だろう。さすが北アルプスの天然水の源だと思う。あの動物のアニメのCMが好き。星がいくつか出ている。穂高神社の暗闇を通りすぎてセブンイレブンにはいり、また戻って穂高神社とバス停を通りすぎ、まだ灯りのついていない穂高駅の前に腰掛けた。駅前の暗がりでギターを爪弾いている人がいる。ロマンチックなようで、少し不気味。安曇野の案内板を見ていた私にタクシーの運ちゃんが近寄ってきて話しかけてくるので「バスを待つので大丈夫です」と断る。バスの時間までは二時間くらいある。運ちゃんがもう一度近づいてくる。今度ははじーのほうで「ほっといてくれ」と語気強めに言う。私は、女(私)の言ったことをちゃんと聞けばこんなふうに言われないのに、男のほうに怒られるまで分からないんだからなぁ、としつこい運ちゃんに呆れている。そのうち駅があいたので、待合室に逃げ込んだ。待合室の窓から、だんだん夜が明けていくのが見えた。霞に包まれた北アルプスも見えてきた。

(続く)

ひさごや

ひさごやが、なくなった。
ひさごやは、女がひとりで切り盛りする店だ。
ひさごやは、おむすびや団子を売る店だ。

 

ひさごやが予定外にやすむとき、
出来たてのおむすびの名前を貼りだすとき、
いつも同じ筆ペンの字体だった。
あれはあのおばさんの、字だったのだろうか。
たぶん、そうだと思う。

 

ひさごやは、なくなったのではなくて、八王子に移転したらしい。
でも、私の町からは、なくなってしまった。

寂しい。

きょうの風景(5/4)

ゴールデンウィーク折り返しの土曜日。品川駅で野村さんと待ちあわせて、北品川を歩いた。びっくりした、品川というのは、海辺であった。旧東海道というのは海沿いの道なのだった。品川神社、というか御殿山は、小高い桜の名所であった。江戸の人は春の品川の海辺で花見をしたのだろうなぁ。

一度、案内板の古地図と海抜を見てしまった目には、旧東海道を左へそれてなだらかな坂をくだった先へ、波がちゃぷちゃぷ打ち寄せているのがハッキリ見える。でも、もう一度目をこすってみると、アスファルトはその先へも続いていて、住宅街の向こうに天王洲アイルのビル群が見える。吹いている風には潮の匂いが混じっているのに、足は地面を践んでいるので、ソワソワしてくる。

鯨塚の近くには、錦鯉のうようよ泳いでいる小さないけすと、またがるとぽよぽよ跳ねる鯨の遊具があった。

品川神社のりっぱな富士塚に登った。山頂からはずっと向こうまで見渡せた。すぐそこに海があるはずなのに、立ち並ぶビルのせいで見えない、というよりは、私の目には確かに海が見えているのに、なぜかそこにビル群のかたちのもやがかかっているという感じだった。旧東海道沿いの軒並みは同じ色調・同じ高さに揃って、不揃いなたてものの並ぶ埋め立て地との境界線がよくわかる。富士塚の山頂には鯉のぼりがたっていた。六月の新潟への旅の安全を祈っておみくじを引いた。

賀茂真淵の墓を見た。四角く削られていない、自然なまるみの、洒落た墓石なのだった。

いい風の通るカフェで、ガッパオと、温かいコーヒーをいただいた。お店の女の子が、これからパラオへ行くと言って、出掛けていった。