艸にも酒を(4/7)

晴れ。佃島を歩いた。勝どきから、清澄通りをずっとまっすぐ、ときどき脇道を縫いながら、門前仲町まで。
あとになって、どうして同じ島に「月島」と「佃島」があるのかと思って調べたら、佃島のほうが全然歴史が長いのだった。佃島は大阪の佃村のひとたちが1590年に移住してきて拓いた土地、月島は明治の埋立計画で出来た土地なのだそーだ。知らなかった。区役所のウェブサイトじゃ、月島は「ここに月の名所があったことに因んで…」なんて説明されているけど、「つきしま」も「つくだじま」も、ついでに「つきじ」も、埋立臭がぷんぷんする名前だ。なにかのはずみで「月島」が「築島」、「築地」が「月地」だった可能性も、十分あるんではと思ってしまう。
大衆食堂「月よし」で、私はまぐろなかおち、メンチカツ、マカロニサラダ。はじーはアジフライ(2枚)、豆腐煮込み、ポテトサラダ。どのお皿も山盛りいっぱい、ふたりともごはんと味噌汁がついて、合計2050円。特にまぐろなかおちの350円は信じられないくらいリーズナブルだった。そして、注文してから出てくるまで、いままで入ったどの定食やにも勝る、マクドナルドすらメじゃない、断トツのスピードであった。壁にはサインと、このお店で撮影されたFMVのポスターが飾ってある。木村拓哉が定食をかっこみながらパソコンをみているポスター、日焼けして全体的に青く染まっているポスター。
「佃島で運河をみながら飲む」といって、はじーは酒屋で缶ビールを買った。お昼時で、月島では路地のもんじゃ屋に行列が出来ていた。駐車場の脇に放置された壊れた椅子や、家々の前の緑にまみれた、黒猫、虎猫。わたしは和菓子屋でお団子を買った。醤油味の、のりを巻いたのと、みたらし。狭い店内は私の前後のお客さんでいっぱいになり、私の後ろにいたおばさんはやっと自分の番がくると、常連さんらしい口調で「混んじゃったわね」と言った。
いつかの年末だったかに会社の人たちと入ったもんじゃ屋を通りすぎた。佃島の橋のそばに二軒ならんだ駄菓子屋、両方はいって200円つかった。黄色い水飴、ソーダ味の水色の糸付き飴、串刺しののしいか、金平糖、かるめ焼き、ヨーグル、フルーツの森、プチプチ占い、梅ジャムせんべい。目が輝いてしまう。駄菓子屋の向かいの家に、また、木村拓哉の青く褪せたポスターがある。これは、駄菓子屋の隣にある、戦前から建っていそうな木造家屋のベランダで渋い顔をしている木村拓哉だ。
住吉神社で、諸芸上達のおみくじつきの、新じゃがくらいの大きさの青いだるまを買ってほくほくしていたら、壁のむこうからプープープーーーーと高音の汽笛の鳴る音がして、階段をあがると、土手の公園の向こうを長細い砂利船が横切っていった。運河の水面は川の水面ではない、海の、メディテレーニアンの、ちゃぷちゃぷいう凪いだ水面。その水面を、個人用ジェットだの、遊覧船だの、屋形船だのが、日曜の銀座のほこてんを歩く人のように、プラプラと通りすぎる。(ジェット船は高速だけどどうも呑気な高速で、やっぱりプラプラしている。)さっきの汽笛の砂利船は、これら花見舟にイラッとしてたのだろうなとわかる。土手にはひとがいっぱいで、子どもがいっぱいで、桜が満開だった。桜のことはすっかり忘れていたので、びっくりした。なんだか今年は桜のことを忘れがちだ。
私たちの斜め後ろで、まだ盛り上がらない、おぼつかない大学生の男女グループが探り合っている。男同士で買い出しにいったり、女同士でトイレにいったり。風が強くなって、プラスチックのパックや紙袋やビニール袋が、運河の手前を横切っていく。散歩のダックスフントが人の多さにきょどって、とうとう抱きかかえられている。
イギリス風の赤と青で塗られた遊覧船の屋上デッキに人間が寿司づめになっている。まるでほんとに「頭山」だ。こっちの土手で酔っぱらったお兄さんが、奇声を発して合図を送っている。寿司づめのほうも手を振っている。ここでは、こういうふうに毎年毎年まーいとし、やってきたのだろうか? たしかにただの花の下の酔っぱらいたちなのに、私にはいままで目にしたどの花見客よりも花見を心得ている人たちに見えた。東京のいちばんふるい場所のもっている何かかなぁと思えて、ジンとしてしまった。

春の風艸にも酒を呑ますべし /小林一茶

きょうの風景(3/17)

国立へ髪を切りにいって、ブルックリンに行きたくなった。いつも、店のよしださんと、外国の話をする。よしださんはいまはイタリアへ激安インテリアを調達しに行きたいらしく、イタリアの名を連呼していた(それがとっても、かわいかった)。ヨーロッパのインテリアの雑誌を何冊も引っぱりだしてきてくれて、それらの雑誌に載っている不思議な、肥大化した空豆みたいなかたちの椅子や、マーガレットの花のような円形ソファや、ながーい茎が斜めに伸びてしなっている照明器具を眺めて一緒にワクワクした。店にあるランプが載っているページもあった。
パーマをあてながら読んでいた雑誌に、ブルックリンの特集と北欧の特集があった。それでブルックリンに行きたくなった。北欧にはなぜかそんなに行きたくならなかった。

きょうの風景(3/12)

 新しい冷蔵庫がきて一日たった。こんどの冷蔵庫は、高さが前の冷蔵庫の1.5倍くらいある。冷蔵が上で、冷凍が下。背が高くなったせいか、どーもくんみたいな誰かが佇んでいるようにみえる。扉の上段はたまごケース置き場の代わりにペットボトル置き場になっている(おそらく、ひとり暮らし用に開発されたため)。わたしはそのペットボトル置き場に金麦とか缶酎ハイとかチチヤスヨーグルトを入れてにやにやしている。新しい冷蔵庫って、中に入れた食べものが輝いて見える。おいしそうというより、それぞれが透明な膜でぴったり覆われているような感じ。悪い感じじゃない。前の冷蔵庫は、10年近く連れ添ったのに、仕切り板が割れて無残なすがたになり、さよならも言わずに回収業者に引き取られていった。

きょうの風景(3/11)

 カニエナハさんの詩のイベントを体験するために吉祥寺のOngoingへ行った。こないだ買った、春用のばら色の靴をおろして。そのイベントの内容を、さいしょから順を追って説明しようとすると、どうも全然、わたしの体験したこととは違ってしまうので、書かないことにする。屋上で、白い曇り空のなかに逆さづりに吊されていた青ネギがとてもきれいだった。そして、きちんとポエジーを感じさせてくれる瞬間があって、静かではればれとした気持ちになった。帰り道、屋上の青ネギが遠くから見えないかと思って何度か振り返ったけど、建物も屋上も青ネギも、幅広のクリーム色のマンション(?)に遮られて見えなかった。
 青ネギに海と同じ効果があるなんて、わたしは知らなかった。

きょうの風景(3/10)

 朝10時、そぼそぼの雨。はじーとバス停まで歩いていくとき、ちょうど青いゴミ収集車と鉢合わせて、私たちの歩いていく後ろからずっとゴミ収集車がゴミを回収しながらついてきた。「ついてきちゃったね」とはじー言う。「おかげで私たちの歩いた道がきれいになった」と私言う。はじーとあんなちゃんと「ピナ 夢の教室」を渋谷でみて、フレッシュネスでお昼ご飯を食べた。はじーが、そういえば地震のときにこのフレッシュネスにいた、といってそのときの風景の話をした。LABIで冷蔵庫を買った。東急の斜め向かいにいつのまにか鳥貴族(こないだ新宿で鳥貴族に入って感動したので、鳥貴族の看板には敏感になっているのだ)が出来ていたので、ビルの前までせんさくしにいった。ヴェローチェでコーヒーを飲んでいる間に雨がやんだ。陽が暮れる前に、うちまで歩いて帰った。渋谷も代々木八幡も、冷たい空気がゆるんで、人が出ている。山手通りはもうほとんど完成して、中央分離帯にドウダンツツジが整然と植わっている。

きょうの風景(3/8)

 吉野せい「梨花」を読んだ。これは、うそ寒くて、湿った土地の、死児写真だ、とわたしは思った。魯迅の「明日」という短い作品も、同じように、貧しい母親がまちがった看病によって乳児を亡くす話だ。でも、「梨花」を読んで「明日」を思いだしたのは、物語の類似のせいだけじゃない。”無知な人”という存在をどう描くか、ただただ"母親"であるだけの人にどう近づくか、なにかを知っている自分をどう反省するか、知っている自分が知らなくて"無知な人"が知り尽くしているのはどういうことなのか、そういう問いかけを諦めない姿勢が、似ているとおもった。一方は一人称で、もう一方は三人称で語られている。
 きょう「梨花」を読む前、近所の道を歩きながら、自分の母親のかかえた苦も、ふたりの祖母のかかえた苦も、わたしがキョロキョロと愉快に生きることで昇華させる、きっとそうしてやると、理由なくおもったことを思いだす。祖母たちも母も、人に比べて苦しい人生を生きた/生きているわけじゃない。ただわたしが、ふとそういうものを背負いたくなった、そういう日に、偶然にも「梨花」という作品に出会ったことは、不思議なことだなぁと思う。