祝辞

神里雄大バルパライソの長い坂をくだる話」岸田戯曲賞受賞によせて

Hola, buenas noches. Estoy muy feliz de celebrar el premio de Yudai con todos ustedes. Felicidades!

こんばんは、大崎清夏と申します。
神里くん、きょうはほんとうにおめでとうございます。

私たちが出会ったのは、早稲田大学の学生だったときです。せっかく早稲田に入ったのに演劇がよくわからなかった私に、おもしろい演劇、新しい演劇を初めて見せてくれたのは、岡崎藝術座でした。

岡崎藝術座の演劇は、人間がことばを喋るんじゃなくて、ことばが肉体をもって人間の顔をしてうろうろしてるように見えるところが、面白いなーといつも思います。どんな人間もその人の生きてきた言葉を血や肉にしているわけですが、神里くんはその血や肉を、頭や手足や胴体と同じくらいフィジカルにとらえているように思います。

神里くんの戯曲が、戯曲かどうかという議論がいつかどこかであったそうですが、私にとってはその議論はどうでもよくて、それについて話すなら、神里くんの戯曲は、たいていの場合、詩だと思うのですが、俳優を通してしか感受できないかたちで存在する詩があるとしたら、それは戯曲と呼ばれるんじゃないかと思います。

私たちは偶然、別のルートを辿ってラテンアメリカの文化に触れることになりました。私はつい先日、キューバの文学祭で、日系アルゼンチン人の女の子と出会いました。彼女の親友のお兄さんは「バルパライソの長い坂をくだる話」の出演者でした。この国の多くの人は、自分のことを移民ではないと思っているかもしれないけど、移民というのは、異なる文化のなかに移って、住む人のことです。私たち自身、もしくは私たちの両親や祖父母が、一度もそんな経験をしていないなどということがあるでしょうか。そう考えれば、私たちには、誰でも、移民の血が流れています。受賞作は、とても普遍的なテーマに挑戦していると思います。

もう10年以上前に上演された、私の大好きな岡崎藝術座の初期の作品、2007年の作品ですが、私はこの作品がいまでもいちばん好きで、それを見た日のことを書いた文章があるので、それも10年前の文章なんですけれども、きょうはそれを読んで、祝辞にかえたいと思います。

 二〇〇七年の暮れのこと。わたしたちは高田馬場のふるいバーでお酒を飲んでいた。岡崎藝術座の一人芝居「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」を観たあとのことだった。ついさっきまで、そのカウンターの向こうでひとりの若い女優さんが、バーのママの四〇年分の「いま」を演じていた、その同じカウンターの向こうで、そのバーの実のママであるりつこさんが、手に持った大きな氷を割り続け、ロックのウィスキーをつくり続けていた。その時、黒いコートのおじさんが入ってきた。狭いカウンターのまんなかの席に黒いコートのおじさんは座った。りつこさんが、あら、二年ぶりじゃない?と言った。言った傍から、こないだ誰それが電話してきたのよ、と喋りだしたりつこさんとそのおじさんは、とても二年ぶりとは思えなかった。りつこさんの四〇年全部がいまなのだと、その会話はあかしていた。
 カウンターの向こうに、いまはりつこさんというひとがいる。でもあと四〇年経ったら、りつこさんを血や肉にしているバーそのものが、陰もかたちもなくなっているかもしれない。四〇年もバーを続けるという、嘘みたいなことをやっている、りつこさんという現象。四〇分かそこら、嘘をつき続ける、演劇という現象。どちらもあまり変わらない、とわたしは思った。
(詩集『地面』あとがきより)

神里くん、ほんとうにおめでとうございました。