大島・よあけ・台風(2)

9月19日、月曜日。
 岡田港から出たバスはトンネルをひとつ抜けて元町港へ向かった。トンネルに入る前、岩場で女の子たちが朝日を見ているのが見えた。わたしは夜明けがとてもきれいだったことや、もう猫を見たことを、興奮したままの文体ではじーにメールした。元町港に着く頃に「御神火温泉に行く方はご乗車のままお待ちください」とアナウンスが入ったのでそのまま乗っていると、御神火温泉へ着いた。このバスで着いたのは、カップルひと組と私だけ。降りぎわに運転手さんが、バス運賃と温泉施設の入場料がセットになった割引券という、便利なものを売ってくれる。八〇〇円。
 御神火温泉はプールの匂いのする、水色の、清潔な、ぬるめの温泉だった。朝のからだにぬるいお湯が気持ちよかった。広い和室の隅に小さいテレビがあって、台風のことやワイドショーを流している。それからホリなんとかさんという九十歳の画家のおばあさんのドキュメンタリーをやったり、連続テレビ小説をやったり。わたしは船に乗るところからバスに乗るところまでの日記を書いて、セルフサービスの水とお茶を交互に飲んで、6時半を待った。6時半になると、食事処がオープンする。食券機でモーニングおかゆ、五五〇円。岩のりと、梅干しと、きゃらぶきが付いてきた。
 オアシスを予約したとき、深夜に出る客船で行くと言ったら、「御神火温泉という温泉があるから、そこの和室でしばらく寝ててください」と言われたような気がしたから、迎えに来てくれるのかなと思い、でも歩いていってみたいような気もして、「父の終焉日記」を「臨終」まで読んで、一眠りして、八時五〇分に電話をかけてみた。(わたしはリュックを枕にして、1の字になって寝ていた。すると目覚めたとき、すぐ隣にまったく同じように1の字になって寝ていた男の人がいたから、びっくりしてちょっとどきどきしてしまった。)すると、「あと三〇分したら部屋に入れるよ、散歩がてら歩いてきたら」と電話のママさんの声は、言ってくれた。
 右にまっさおな海をみながら、大島周遊道路を南下していく。元町港のほうから、カカカカカカカカカココココココココという不思議な乾いた機械の音が聞こえてくる。真夏のような暑さ。元町港の前から島の中央に伸びている道へ左折してのぼっていく。土産物屋はまだ一軒も開いてない。どさんこラーメンの前の日陰に、猫が二匹だらっとしている。
 オアシスに着いて「こんにちはー」と奥のほうへ呼びかけると、手前の扉のなかからジャーとトイレの水を流す音がしてママさんが登場、「まーちょうどよかった!」とにっこり、言ってくれた。猫みたいなまんまるの顔をしたママさんだ。チェックインの用紙の空欄を埋めていって年齢のところ29歳と書いたら、9の字がほそくなって「21?」と聞かれてしまった。「これ9です、わたし29。」と言うと、「21でもいけそうだね」とまたにっこり、言ってくれる。

 11時10分前にオアシスを出て、開きはじめた土産物屋にはいったり出たりしながら、かあちゃんへ行った。11時開店のはずなのに、もうお店の半分くらいは食べている人で埋まっている。食べている地元のおじさんのひとりが「あしたばのおしたし出来る?」と調理場へ向かって言っている。調理場から「いま切らしてるのよーごめんなさーい」と返ってくる。おじさんは「ちょっと行ってそこで採ってきてやろうか、」と言いながら笑っている。わたしは、もう使っていないらしい寿司カウンターの席に座って、オアシスのママに言われたとおり、刺身定食を注文した。
 「ありゃあ(台風が)来てるよ、(波が)うねってるもん」と、おじさんたちの話題が台風に移っているのを耳の後ろで聞きながら、まりちゃんに葉書を書きながら、しばらく待っていると、小鉢が十個くらいつぎつぎと並べられて、煮物、豚肉巻き、わかめとしらす、ワカサギの南蛮漬けふうのや、こんにゃくの和え物や、なますや、ブロッコリー。それからごはんとあら汁。あら汁の中には、赤い魚のあらが入っている。鯛かなと思うけれど、わからない。おいしい。わたしの背後に、今朝到着した観光客の大学生くらいのカップルが座っていて、カップルの男が外へ出た隙に、おじさんたちは女の子にどんどん話しかけはじめた。おじさんたちは女の子に名物のべっこうのことを一所懸命説明したりして、女の子は、素直にいろいろな情報に感心したり驚いたりしていた。団体客が来るとおじさんたちは、じゃあまた来るねーと調理場のほうへ言って、すたすたと帰って行った。
 あとから来た団体客の男が私に「それは何ですか」と聞いたので、「刺身定食の小鉢です、まだこれからお刺身が来ると思うんですけど」と教えてあげた。うねっているとは思えない青い海を入り口の格子越しに眺めていて、ふと振り返ると、ゲタにのったお刺身がいつのまにか用意されていた。
 店には、暑い暑いと言って水をどんどん飲んだり入り口の引き戸開けたり閉めたりしている老けた女優みたいな女とその旦那みたいな男と、学生ふうの男子三人組と、男のひとり客もはいってきた。

 かあちゃんを出てしまうと、三原山に行くバスの時間まであと一時間もあった。元町港の待合室は冷房が効きすぎていて、少し座っていただけで具合が悪くなってくる。うみがめがいるかもとママさんが教えてくれたふ頭の方へ行ってみた。ふ頭の左側の海は、波がモグラ叩きのように出っぱったり引っ込んだりしている。おじさんたちの言っていた「うねってる」はこれだ。右の海はちゃぷちゃぷいっているだけ。うみがめはいない。日陰のベンチに座って、左の海と右の海と、まんなかに伸びて先がくいっと右に曲がっているふ頭をぼんやり見た。白いワゴンをふ頭のまんなか辺りに泊めて、右の海で釣りをしている人たちがいる。たまに、観光の女の子たちが連れだって来て、右の海をのぞき込む。左の海の近くには黄色い重機が止まっている。重機の音が聞こえないから、昼休みしてるんだな、と思っていると、12時50分きっかりに、またカカカカカカカカカココココココココというコンクリートを掘削する音が始まった。

 今朝ママさんに、何かしたいことある?と訊かれたとき、つい、お鉢巡り、と言った。車がないならバスだね。バスの時間、何時がある? 調べてみると、元町港から出るバスは一日二本で、一時二〇分が最終だった。バスのりばの石のベンチに座って、これから登る山のほうを見ると、真っ白い雲が凄いスピードで山の頭をかすりながら通りすぎていくのが見えた。あの雲のなかに入って歩くのかな。三原山山頂口行きのバスに乗る人は私しかいなかった。運転手さんも「三原山行きですが」と念を押した。座席につくと、ちいさい蟻が、スパッツにくっついてきていた。バスは発車してすぐに坂道を登りはじめて、両側の狭い緑の間を走った。途中で乗る人もいなくて、バスは山を登りながら、女の人の録音の声を流して、「大島の主要な産業は農林、水産、なんたら、かんたら、そして皆様をお迎えする観光です」とか、「大島の歴史は流罪人の歴史と火山の歴史です」とか、「大島の直径は…」とか、私のためだけに観光ガイドをしてくれるのだった。
 バス山頂まで、八四〇円。「ここから見えないかもしれないけど、つきあたり左に曲がると、展望台ですから」と運転手さん、教えてくれる。霧が頭上すれすれのところをどんどん流れていく。教えられたとおりに行くと何組か観光客がいて、土産物を売る店やお茶屋さんがぽつんぽつんとある先に、ジオラマみたいに、もくもくと緑が貼りついた地面が、一面に広がっていた。