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どこにもいない人

「イリュージョニスト」という映画を観た。観ているあいだ、ずーっと泣いていたような気がする。なぜだかわからなかった。手品師のおじいさんが羊の群れと一緒に小さい船で、山に囲まれた孤島に向かっていく、そういう、それだけのシーン。列車が湖を渡っていき、湖面にいた鴨が飛び立つ、そういう、それだけの。暗くなった小さい部屋の窓がばたんと開いて風が吹きこみ、ノートのページが魔法のトランプのようにめくれていく、その影が壁に映っている、それだけの。だれも知らない風景を見ている人は、どこにもいない人だ。手品師はどこにもいない。いつも移動しているから、どこにもいない。舞台のうえでスポットライトを浴びているときのほかは、どこにもいない。どこにもいない人はかなしい、でも、どこにもいない人だけが、だれも知らない風景を見ていることができる。いつでも、その風景にさようならを言いながら。