だめな日のクレー

日曜日はだめな日だった。
金曜の夜、会社のデスクの上にmacbook airを置いて帰ってきてしまったので、土日にやろうと思っていた仕事がほとんどなんにも手につかなかった。この春に買ったmacbook airはとても薄くてA4用紙より小さいので、キーボードの手前に積んだ書類の下に隠れてしまっていたのだった。土曜日ははじーのパソコンを借りたり書類を印刷したりしてなんとかいろいろやってみたけれど隔靴掻痒たあこのことだった。家にいるとむずむずしてきて叫びだしそうなので、夕方からスターバックスへ出かけた。先日人に教えてもらったリディア・デイビスの「ほとんど記憶のない女」を読んだ。それから少しメモをとったりした。
このメモをとるというのが曲者で、macbook airを持つようになってからというもの、ほとんどメモ的なこともmacbook airに書きとめているからか、ペンで紙にメモをとるというのがとても情緒的な大正浪漫的な何かのフリっぽい行為に思えてきて、それだけでメモの内容までが情緒的で大正浪漫的で何かのフリっぽい内容に思えてくるのだった。そういう邪念をふりきってメモをとった。
日曜日は昼前に起きた。カルディで買った冷麺にきゅうりとみょうがとゆで玉子をのせたのを食べて、それからもう部屋で仕事をするのは諦めて、髪を結んで紺色のキュプラの最近気に入りのワンピースを着て、竹橋まで「パウル・クレー展 —おわらないアトリエ」をみに行った。
お金がお財布に千円しか入っていなかったので、どこかでおろそうおろそうと思っていたのに結局フワフワと竹橋まで行ってしまった。クレーは1500円だった。竹橋にはATMがいっこもなかった。お堀の周りをジョギングしている集団がいる。車通りの少ない車道を、自転車が何台も走ってゆく。ホテルではブライダルフェアが開催されている。駅員さんに聞いても、ATMはなかった。竹橋には、ATMがない! 国立近代美術館ではチケット代を払うのにクレジットカードは使えない。それで、ばかみたいに九段下まで戻って九段下のATMでお金をおろして、こんなにも必要以上にばかになっているのはやっぱりmacbook airが手元になくて気が抜けているからかなぁと思ったら腹立たしくて、やけになって缶入りの炭酸飲料(mellow yellow)を自動販売機で買って、九段下から竹橋へ戻る地下鉄のなかで一気飲みした。それからやっとクレーをみた。
「振り返って見る」という作品があった。鉛筆と、油彩転写の、同じ名前のふたつの作品が、隣同士に並んでいた。目はただの丸で、身体はひねったりねじったりした一本線。その人が振り返ったとき、首をまわす基点になったところ、首という円筒形の中心の底に近いあたりに、黒丸のしるしがある。線しかないのに、その円筒が、円筒の中心が、はっきり見える。とくに鉛筆の「振り返って見る」をわたしは、じーと見た。
数十分前まで、竹橋周辺をばかみたいにうろうろと移動したことはもうすっかり忘れていた。クレーのアトリエを訪ねたような気分になれるキュレーションがとてもよくて(ディズニーランドでミッキーの家を訪ねる感覚に似ていた)、最後の大きい部屋の展示壁の迷路のような据えかたもたのしくて、混雑していたけど、ほとんど疲れずに最後までみた。展示室から出てすぐにカタログを買った。ポストカードはほしいものがありすぎて選べないので買わなかった。
帰り道、皇居のお堀を渡っていると数人の男子たちの声が「この川、何川かな?」「隅田川じゃね?」「荒川じゃね?」「あと何あったっけ、あー、多摩川。」「多摩川ってもっと遠くじゃなかったっけ?」と喋りながらわたしの後ろを歩いていった。