トレースする=折り合いをつける

土曜日、美術家の眞島竜男さんの作品のビデオ上映会をみに、blanClassへ行ってきた。
「北京日記」という作品があって、梅原龍三郎という日本近代美術の有名人が北京に滞在している間にかいた日記を、眞島さんが北京に行って「トレースする」という作品だった。
わたしは以前、武田百合子さんの「富士日記」上中下巻を何年もかけてほそぼそと読んで、すっかりわたしも富士山荘(武田夫妻の富士の別荘)の隅で一緒に過ごしているような気になって、読み終わるときには、自分の一生も一回終わってしまうような気がした。武田夫妻が竹内好と一緒に参加したロシア旅行にも、ついていった気がした。でも、あのロシア旅行を同じようにやろうとしても、なかなかできるものではないよなーと思っていた。第一、あのツアーで百合子さんが出会ったお金持ちのおじいさん、銭形老人がどこにもいない。
眞島さんの作品は、「北京日記」の内容をどんなに忠実にトレースしようとしても、絶対にできないということを引き受けたうえで、梅原が滞在していたホテルが高すぎてずっとは泊まれないので別のホテルに移るとか、梅原がどんどん買った骨董品のかわりにヨーグルトのびんを眺めるとか、梅原が女のモデルさんをつかって絵をかいたのでなんとかしてモデルさんを探してくるとか、そういう折り合いのつけかた、というよりは、折り合いをつけるという行為そのものが、とても面白かった。
トレースするとき、わたしにとっての銭形老人は、銭形老人ではないのだろうな。
(つづく)