からだがひらいてる

水曜日、うちを出てしばらく歩いて、広い横断歩道を渡っている途中、きょうは仕事に行かなくてもいいんだわーと天啓が降ってきた。それで、その横断歩道の上りと下りの車線の間の中洲に置いてあるベンチにハタと座って、会社に電話して、ホワイトボードに「お休み」と書いてもらって、また横断歩道を渡って帰ってきた。
ゴーヤは期待の3株ばかりずいずい伸びていて、わたしは成長痛という単語を思い出す。あとの3株は、何か勘づいているのか、どうもふてくされている。
火曜日にまりちゃんに教えてもらったニジンスキー振付の「春の祭典」の舞台映像を、YouTubeで、パート1だけ観る。フォルクローレの衣装とメイク、それに舞台美術がかわいすぎだ。ダンスをみているときは、目の数えるものの単位が変わる。人ひとりという単位が消えて、脚のいっぽんいっぽん、輪のひとつひとつ、ジャンプのひと飛びひと飛びを、わたしはみる。たのしくてしかたない映像。
わたしが洗濯物を干し終わると、はじーがちょっと辛い味の札幌ラーメンを作ってくれて、食べる。はじーが辛くしたんではなくて、もともと辛い商品らしい。辛ラーメンほど辛くない。「いい商品だ」と言い合う。
それからわたしは仕事関係の試写を観に、東銀座へ。はじーは家で仕事。
19時、はじーと浅草のドトールで待ち合わせて、アサヒアートスクエアに、K里くんの朗読劇を観にいく。アルトーの「チェンチ一族」(読みかたはちぇんちいちぞく、わたしはずっとちぇんちーぞくって読んでた)のかっとあっぷ。ばかげていて、愉しかった。そのあとの飲み会(K里不在)もとても愉しかった。演劇をやっている女の子たちに混じって、漫画かきの女の子に出会う。みんな私と同い年だ。表現に立ち向かっている女の子たちは、皆、とりもなおさず、かわゆらしい。そのかわゆさに、勇気をもらう。