女の子ものがたり

「女の子ものがたり」という映画の、マスコミ向け試写会に行ってきた。
東京の渋谷の小さい試写室で、その映画をみていた女の子たち、多かれ少なかれ故郷を離れ、上京してマスコミ関係の仕事をしている女の子たちは、わたしたちは、この映画が、びっくりするほど自分のことだったので、みんな泣いた。たぶん、自分を描いてくれたことが嬉しくて泣いたのではなく、東京でてきぱき働いているだけでなんとなく満足している自分をとことん反省させられて、ひとつの映画に、こんなふうにばしっと叱ってもらえたことが嬉しくて、泣いたのだ。私は正確なせりふは思い出せないけれど、まだ東京に出てくる前の高校生のなつみが、「なんにも見ないで、なんにも聞かないで、なんにも知らないで、生きていくのは、とっても、恥ずかしいことやろ」と言いながら、自分の言っているその言葉を聞いて、しんしんと胸がいたくなり、片方の眼から涙がずーっといっぽんの線をかいて流れてきてしまうというのは、わたしたちには、とてもよく身に覚えのあることだった。漫画家になったなつみが、編集者に謝らずにはいられなかったのは、「あの頃」の友だちともう会うことのできない言い訳に、手段に、自分の仕事を都合よく使ってしまったからだった。
前にはじーと、こうして上京することを選ばなかった女の子、あの場所にとどまったきいちゃんやみさちゃんのような、なんぜんなんまんの女の子のことを考えて話したことがある。わたしは小学校のときの友達が地元の駅の下の薬局でバイトしはじめたと人づてに聞いたときのことを思い出していた、でもなんにもわからなかった。結局、なんにもわからなかったのだ。それでもそのわからなかったを書くことがわたしたちにはできる、できればできるほどわからなかった先にいた誰かが遠くなってしまうことを受け入れてわたしたちは書くしかない。できるということは、いつまでもいつまでも、それしかできないということなのだ。

女の子ものがたり」8月下旬公開。