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ジンガロ、またはお馬とどじょう

お馬を観た。疾走するお馬。ギャロップするお馬。ひたひたとあるくお馬。円形の劇場の赤い土のうえを、えんえんと、お馬はゆくのだった。中央で垂直に流れ落ちる水に濡れ、くるっと寝転んで背中を土にこすりつけた。(それらすべてが始まる前の暗みで、十数頭もの馬たちが、ぴたりと影になっていた、その光景のぞくぞくしたこと!)演劇、ショー、サーカス、どの言葉も違うのだった。ルーマニアの民俗音楽を生演奏するふたつの楽団が、円の外に真向かいに向き合って交互に音楽を奏でた。しまいには同時にふたつの音楽がなりひびいた。馬たちがどんなに速く走っていても、その馬たちのうえでどんな曲芸が繰りひろげられていても、そしてなおかつ、どんなに楽団の音色がずんちゃんやっていても、劇場ぜんたいに、驚くほどの静けさが満ちているのだった。黒い馬の、目のまわるような疾駆のあと、白い馬が、白いドレスの白いむくむくしたレースで胸や肩を埋めつくされ、白い帽子をまぶかにかぶった女のひとを乗せ、白い風船に吊られた白い布をなびかせて、うすぐらい蒼い光のなかを、亡霊のように歩いていった。いっしゅん、お馬の孤独に、触われたのかとおもった。

ジンガロ(日本語のサイト)ジンガロ(英語とフランス語のサイト。ろばに乗っている座長バルタバスさんの写真があります)

お馬を観たあと、このお馬を観る夕べに誘ってくれたとき緒さん、はじー、わたしの三人で、お馬についての興奮を語りあいながら、はじーが事前に調べてくれていた森下のどじょう料理のお店、伊せ喜に行った。どんとした平屋のかっこいい店構え。厨房が、客席と同じくらいか、それ以上に広くてぴかぴかである。お座敷に通されて、わたしが履いていたマルジェラのつま先割れスニーカーを脱ぐと、お店のおばさんは興味しんしんに「こんなになってるのねぇ!」とそれを見たらしい(とき緒さん談)。どじょう鍋を初めて食べた。おいしい。わたしはどじょうというのはもっと大きくて、どじょう鍋っていったらどじょうが一匹どーんと鍋に浸かっているのを想像していた(それはなまずだった)。どじょうはわたしの中指くらいのサイズだった。平たい鉄鍋のなかにちちちちちちーと二列で整列していた。
とき緒さんを筆頭に三人ともねぎが大好きなので、箱いっぱいに用意されていたねぎを全部どじょう鍋のうえにのせて食べた。どじょう汁、うなぎハム(うなぎのにくが渦巻き状になっているスライス)、どじょうの蒲焼き、うなぎの白焼き丼も食べた。ぜんぶおいしかった。お会計をしたとき、お店のおばさんが「ジンガロ観てきたの?」と興味しんしんに訊いてきたので、わたしたちは「とてもおもしろかった」と言った。はじーが「でもここも目的だったんです」というと、おじさんも奥から出てきて「いやいや、ついででいいんですよ。しょせんどじょうは馬には勝てないからねぇ」といって笑った。
それからエスプレッソをとてもおすすめしている小野コーヒーというお店をみつけて入って、コンパナをのみながら、はじーの坂口安吾の話をふむふむときいた。きいた内容はよく憶えていないのだけど、きいていたらなんだかやる気が出てくる話だった。
お馬を観たあとの感じは、ピナ・バウシュのダンスを観たあとの感じに、とてもよく似ていた。最後にお馬と曲芸師たちが拍手を受けるとき、そこに走った馬が「いる」、そこに踊ったひとが「いる」、この「いる」ということがとても強く迫ってくる感じ。かれらがそこに「いる」こと自体に、すごく意思がある感じ。それと、はじーは、ろばも走るということにとても感心した。


※後日補記:どじょうのお店「伊せ喜」のウェブサイトがありました→http://www.dozeu-iseki.com/