蜂・ベージュの頭巾

20日・木
 8時に目がさめる。うす曇りのしとしと雨。ラベンダーの入ったハーブティーを入れ、まりちゃんとの朗読稽古に、オリンピックセンターへ。声もからだも正直で、乗らないときはことごとく乗らない。いくつかの決め事のあと、気持ちよくなり、声もからだも伸びることはなはだし。
 それから参宮橋のおいしいパンを買って駅で食べたりしながら、代々木上原駅のホームではじーと落ち合って新百合ヶ丘へ。ピナ・バウシュの「パレルモパレルモ」をみる。劇場という場所では聞いたことのない音を立てて壁が崩れる、ダンサーたちがゴミを撒き散らす、発砲、曲芸、波音、とてもとても気が散る=散文である。パレルモの怒り、とわたしは思う、怒りは散文の力強さだ。その、怒りの、散逸の後で、宵のくらやみに全裸の男がこちらに背中を向けてからだを洗っている、サックスが吹かれ始め、その音にピアノが重なる、やさしいやさしい、とてもやさしい音楽に、ベージュの頭巾をかぶってしゃがんだ女が、猫のように耳をすましている。そのときだけ、私の目は濡れてしまう。

15日・土
 昼、休日半分返上で某映画の初日舞台挨拶取材のため、有楽町へ。その帰り、春の陽気にうかれて日比谷駅まで歩き、地下鉄のなかで布鞄をあさっていると、底の方に大きな蜂がいるではないか。
 途端に身体は硬直・夢からさめたような気分になり、おそるおそる必死で布鞄のくちを閉め、閉めた手を一ミリも動かさない決意で代々木公園駅までじっとして座っている。駅から出て観念してくちを開けても蜂の気配がしないので、不安なままできるだけ鞄を身体から離して片手でつまんで(たぶん)青い顔で部屋に戻って、玄関先ではじーを呼び、鞄のなかをあらためてもらっても出てこない。どこかで出たのかなぁ、などと言いながらベランダの方に鞄をもっていくと、ぶぶ!と不穏な音。あ、いま、ぶぶっていった! やっぱいるよ、ぶぶっていったもん!と私騒ぎ、今度はベランダに鞄を出して、中身をひとつひとつ出してもらう(もちろん私は鞄には一歩も近づかない)。全部出してもやっぱり出てこないので、携帯の音だったかと自分の心配性がいやになっていると、もう一度不敵にぶぶ!といって蜂が、ベランダの窓の中央の桟のところにホバーリングしているではないか。はじー、初めて合点がいったという感じで「こっちに入っちゃったか」と言い、私「刺されたら死ぬ?」
はじー「いや、死なないけど、痛い」
私「スズメバチ?」
はじー「いやー、アシナガバチだね。刺されたときは、こども心に、そりゃないよーと思ったよ、クワガタを掴もうとしたらアシナガバチ掴んじゃったんだよね」などと言いながらゴキブリ用の殺虫剤を手に窓を開けると、蜂は窓の二枚のガラスの間に入ってその隙間から外に出たと見え、どこを探してもいなかった。
この日のことは、それ以外、あまりよく覚えていない。