働かない日の銀座

私、働かない日に銀座に行くのはとても珍しい。私の働かない日、銀座は歩行者天国資生堂ギャラリーで「初心」展をみて、三角みづ紀さんの詩が載っている花椿を手にいれて、あまりにもパッケージのかわいいボンボンフロマージュをうろうろと買って、歩行者天国の歩行者のひとりになって、ぽかぽかと電車に乗って、帰ってきた。休日の人たちの顔、どれもぽかぽかして見える。

行きも帰りも、耳にあいほんのイヤホンを繋いで、矢野顕子さんがピアノで歌う「赤いクーペ」を聞いていた。ひのやまの ひろがる その ゆるやかに ほどける みちを。モーツァルトが うたってくれる。矢野さんの歌う赤いクーペは「裾野」じゃなくて「その」。この「その」が好き。

銀座はとても晴れて、人が大勢いた。ついこないだまで松坂屋があった場所が更地になっていて、工事の白い壁の向こうに、エメラルドグリーンの重機の背骨が見えていた。

土曜日、晴れ、大野山

山北駅ー大野山山頂ー丹沢湖 落合館〕

土曜日、午前10時半をまわる頃、山北駅から歩き始め。山北駅には若いツバメがいっぱい飛んでいる。のどの赤が薄いので、若いと分かる。翼に心配な斑点のある個体が一羽。駅舎の梁に、巣が無数にある。駅の近くの商工会議所の駐車場の天井とか、個人商店や民家の軒先にも無数にある。

何日か前から続いている晴れで空気は乾き、蛭なんていそうもない。川が流れているのかなと思って覗きこんだ、低く続く谷のようなところを、電車の線路が走っている。その上にかかった橋を渡って、車の多い広い道路も渡って、頭上高くを突っ切っている高速道路をくぐって、山の入り口へ向かった。

ほんとうの山道に入るまで、舗装された細い道路を、たまに車とすれ違いながら歩いていった。濃緑の山を背後にいただいた小学校がある。廃校になっているのか、校庭には小学校とは関係のなさそうなトラックが停まっている。歩いている人はいない。山道にさしかかったところで、朝から登ってもう降りてくる人たちとすれ違った。

正月の沼津アルプス以来の山で、冬から体力づくりを全然していなかった私は9合目あたりでかなりしんどくなってきて、林が切れて牧場の草原が広がる最後の登りの階段を、手すりにしがみついて、歌をつくって歌いながら歩いた。アナグマはー、夜行性だけどー、帽子があればー、昼も元気さー、とか、そんな歌。

山頂はもう休んでいる人が何組もいて、いつも思うけど山道はあんなに誰もいないみたいに静かなのに山頂にはこんなに人がいるってことがふしぎだ。ご飯をガスバーナーで炊いて、サンマの蒲焼の缶詰の卵とじオンザライスを食べた。一羽のスズメが、ヒトの昼ごはんのおこぼれを狙って回っている一羽のカラスに対して、ぴーぎゃーと不服を申し立てている。はじーは山頂で牛乳を飲みたいと言っていたのに、絞りたて牛乳を飲めるような場所はなくて、ひっそりショックを受けている。牛の放牧をしているはずの見渡す限りの草原に牛は一頭も見えなかった。でも、湖に向かって下りの道を歩き出すと、別の角度から見た山際に牛のシルエットが見えた。

山頂から丹沢湖に向かう道は人がほとんど歩いていないらしく、去年の落ち葉がたくさん積もって滑りやすい、難儀な道だった。どちらへ進むのかパッとは分からなくなる、伐木の点在する黒い斜面もあったし、行けば行くほど急な登り下りが増えて、最後には足の爪が痛かった(前日に爪を切るのを忘れていたこともある)。

もうあと少しで湖に着くというとき、歩いている道の前方を、キョーンと鹿が跳んで渡った。アッと思っているうちに、最初のより少し小さい鹿がキョーンキョーンと続けて二匹、同じようにして渡った。ついに山で、鹿に会った。

明るいうちに落合館に着いてすぐお風呂に入った。檜の香りの湯気がお風呂場に充満して、フレスコ画の天使か何か出てきそうな西日が丹沢湖の向こうから差しこんでいた。

 

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こんどはファレル

LordeのRoyalsの脳内ループがやっとおさまったと思ったら、こんどはPharell旋風がうちにも吹き、HAPPYの動画をみていたら久しぶりに踊りに行きたくなったけど、いまってダンスミュージック浴びるためには、どこへ行けばいいのだろう。あ、そうか、ないのか、いまの私が行きたいようなそういう場所が、東京に。そうなのか? ていうか、闇にまぎれて、音楽を愛してる大人たちに混じって、もくもく瞑想しながら、夜明けを待ちながら、夜中に踊るのに許可が要る制度ってなんなんだろうまじで。

自分の演技

それにしても記者会見である。記者会見をする側になるなんてもちろん初めてのことだった。でも私は映画の仕事で、いろんな製作発表記者会見とか舞台挨拶の記者席で写真を撮ったことはたくさんあって、フランス映画祭の記者会見の一列目の席でジェーン・バーキンを撮ったことを、いつもひとに自慢してしまう。生でみるバーキンはほんっっっっとに格好よくて、サルエルのジーンズの裾を細く巻いてコンバースのミドルカットの靴紐を足首で一周させて結んでいて、それはみんながやってることだけど、私もその日から速攻真似した。ブルース・ウィリス(という名前よりも先にジョン・マクレーンと思いだしてしまう)も見たし「アバター」のゾーイ・サルダナも見た。私はスチル担当だから、そのうちの誰とも、ひとことも口をきいたことはない。少しだけ距離をおいて見る映画人はみんな穏やかな、にこやかな、もしくは、エンターテインすることが大好きでオーディエンスをいつ笑わせようか虎視淡々と狙っている、…...なんていうか要はみんな、すっごくいい人たちだった。

ばかばかしいくらい当たり前のことだけど、いくら見ても、いくら生の俳優を見ても、その俳優が演じている映画のなかの人間を見たことにはならないことが、愉快だなァと思う。俳優たちは自分でいるときには、きちんと自分の演技をしている。南方熊楠の「タクト」、天から与えられた自分の演技。服装、生活、笑いかた、指の長さ、毛の生えかた。いま私が大好きな「自分の演技」をする俳優さんは、山田孝之さん。

中也賞を授与されました

月曜日から水曜日まで、中也賞授賞式のために、山口へ行きました。授賞式のスピーチは人生で最高に緊張しましたが、記念パーティーのほうのスピーチではするっと喋れました。なんだか見守られてる感じがして。その日は中也の107回目の誕生日で、空の下の朗読会には350人もの人出があったそうです。谷川賢作さんと谷川俊太郎さんや川上未映子さんや、三角みづ紀さん野口あや子さんのパフォーマンスはリハーサルのために全部みのがして残念だったけど、こどもたちの詩を聞くことができてよかったです。川上未映子さんと穂村弘さんのトークは記念館で中也を浴びまくったあとの身体の浸透力をさらに高める感じで、頷きながら聞きました。穂村さんが「推敲のある中也の資料は貴重だよね」と言ったのと、未映子さんが「トタンがセンベイ食べて春の日の夕暮は穏かです」のセンベイは音のことじゃなくて丸い赤い夕陽のことで、中也は静かで静かで静かなのだと言ったことが、とても記憶に残っています。谷川俊太郎さんにも会うことができました。ほんとうに私は、谷川さんと隣どうしに立ってあの映画「オロ」の話をすることができる日がくるなんて、夢にも思っていませんでした。

データの彗星

ずっと行きたかったYCAM山口情報芸術センター)をやっと訪ねることができた。映画館と図書館とアートスタジオがひとつになった巨大な建築もすばらしくて、明るい吹き抜けのホワイエで宿題をやっている女子の二人組をみて、いいなぁ、そりゃ、中学生の私がここに住んでたら、毎日ここに入り浸るよと思った。

YCAMで、電子音楽作曲家・池田亮司さんの新作“supersymmetory”の展示を見た。純粋なデータの流れ、数学が形成する彗星、アルファベットの新しい言語列、そのたてる音! みはじめて5秒くらいで私が何も考えずに「エヴァンゲリオンみたい」と言うと、「庵野さんが大喜びするな」とはじーが言った。

池田さんが滞在したというCERNとは、いったいどんな場所なのだろう。アーカイブも全部見たかったけど、新作を15分くらい見てアーカイブ30分くらい見たところで脳がチカチカしだして、やめた。数2の教育は受けておらず物理は赤点の私が、その黒と白の、圧倒的な無人称の空間に、完全にやられた。こんな場所に、私たちはいたんですか? 知らなかった、知らなかった。

リオデジャネイロの暗いビーチいっぱいにコピー機みたいなスキャニングの細い光線がグリッドと線状のデータを映しだす、それを何度も何度もスキャンする、スキャンする光を夏の格好の子供たちがジャンプして飛び越えたり追いかけて追い抜いたりする、大人たちの点在する、いちばん奥では海の波が、移動する光線に映しだされた波打ち際が白い蛇のようにうねる“the radar”という作品にはうっとりと陶酔までした。

YCAMを出るとさらさらした雨が降っていてビニール傘を差したらビニールに雨粒があたって、この傘にあたっている雨粒、道路に落ちる雨粒、芝生に落ちる雨粒、その落ちるサーフェスのへりを思い浮かべようとして、クラクラした。感化されてこれから「ロウソクの科学」を読むところ。

 

山口情報芸術センター(YCAM)
池田亮司 新作インスタレーション“supersymmetory”
 
6月1日まで