こんどはファレル

LordeのRoyalsの脳内ループがやっとおさまったと思ったら、こんどはPharell旋風がうちにも吹き、HAPPYの動画をみていたら久しぶりに踊りに行きたくなったけど、いまってダンスミュージック浴びるためには、どこへ行けばいいのだろう。あ、そうか、ないのか、いまの私が行きたいようなそういう場所が、東京に。そうなのか? ていうか、闇にまぎれて、音楽を愛してる大人たちに混じって、もくもく瞑想しながら、夜明けを待ちながら、夜中に踊るのに許可が要る制度ってなんなんだろうまじで。

自分の演技

それにしても記者会見である。記者会見をする側になるなんてもちろん初めてのことだった。でも私は映画の仕事で、いろんな製作発表記者会見とか舞台挨拶の記者席で写真を撮ったことはたくさんあって、フランス映画祭の記者会見の一列目の席でジェーン・バーキンを撮ったことを、いつもひとに自慢してしまう。生でみるバーキンはほんっっっっとに格好よくて、サルエルのジーンズの裾を細く巻いてコンバースのミドルカットの靴紐を足首で一周させて結んでいて、それはみんながやってることだけど、私もその日から速攻真似した。ブルース・ウィリス(という名前よりも先にジョン・マクレーンと思いだしてしまう)も見たし「アバター」のゾーイ・サルダナも見た。私はスチル担当だから、そのうちの誰とも、ひとことも口をきいたことはない。少しだけ距離をおいて見る映画人はみんな穏やかな、にこやかな、もしくは、エンターテインすることが大好きでオーディエンスをいつ笑わせようか虎視淡々と狙っている、…...なんていうか要はみんな、すっごくいい人たちだった。

ばかばかしいくらい当たり前のことだけど、いくら見ても、いくら生の俳優を見ても、その俳優が演じている映画のなかの人間を見たことにはならないことが、愉快だなァと思う。俳優たちは自分でいるときには、きちんと自分の演技をしている。南方熊楠の「タクト」、天から与えられた自分の演技。服装、生活、笑いかた、指の長さ、毛の生えかた。いま私が大好きな「自分の演技」をする俳優さんは、山田孝之さん。

中也賞を授与されました

月曜日から水曜日まで、中也賞授賞式のために、山口へ行きました。授賞式のスピーチは人生で最高に緊張しましたが、記念パーティーのほうのスピーチではするっと喋れました。なんだか見守られてる感じがして。その日は中也の107回目の誕生日で、空の下の朗読会には350人もの人出があったそうです。谷川賢作さんと谷川俊太郎さんや川上未映子さんや、三角みづ紀さん野口あや子さんのパフォーマンスはリハーサルのために全部みのがして残念だったけど、こどもたちの詩を聞くことができてよかったです。川上未映子さんと穂村弘さんのトークは記念館で中也を浴びまくったあとの身体の浸透力をさらに高める感じで、頷きながら聞きました。穂村さんが「推敲のある中也の資料は貴重だよね」と言ったのと、未映子さんが「トタンがセンベイ食べて春の日の夕暮は穏かです」のセンベイは音のことじゃなくて丸い赤い夕陽のことで、中也は静かで静かで静かなのだと言ったことが、とても記憶に残っています。谷川俊太郎さんにも会うことができました。ほんとうに私は、谷川さんと隣どうしに立ってあの映画「オロ」の話をすることができる日がくるなんて、夢にも思っていませんでした。

データの彗星

ずっと行きたかったYCAM山口情報芸術センター)をやっと訪ねることができた。映画館と図書館とアートスタジオがひとつになった巨大な建築もすばらしくて、明るい吹き抜けのホワイエで宿題をやっている女子の二人組をみて、いいなぁ、そりゃ、中学生の私がここに住んでたら、毎日ここに入り浸るよと思った。

YCAMで、電子音楽作曲家・池田亮司さんの新作“supersymmetory”の展示を見た。純粋なデータの流れ、数学が形成する彗星、アルファベットの新しい言語列、そのたてる音! みはじめて5秒くらいで私が何も考えずに「エヴァンゲリオンみたい」と言うと、「庵野さんが大喜びするな」とはじーが言った。

池田さんが滞在したというCERNとは、いったいどんな場所なのだろう。アーカイブも全部見たかったけど、新作を15分くらい見てアーカイブ30分くらい見たところで脳がチカチカしだして、やめた。数2の教育は受けておらず物理は赤点の私が、その黒と白の、圧倒的な無人称の空間に、完全にやられた。こんな場所に、私たちはいたんですか? 知らなかった、知らなかった。

リオデジャネイロの暗いビーチいっぱいにコピー機みたいなスキャニングの細い光線がグリッドと線状のデータを映しだす、それを何度も何度もスキャンする、スキャンする光を夏の格好の子供たちがジャンプして飛び越えたり追いかけて追い抜いたりする、大人たちの点在する、いちばん奥では海の波が、移動する光線に映しだされた波打ち際が白い蛇のようにうねる“the radar”という作品にはうっとりと陶酔までした。

YCAMを出るとさらさらした雨が降っていてビニール傘を差したらビニールに雨粒があたって、この傘にあたっている雨粒、道路に落ちる雨粒、芝生に落ちる雨粒、その落ちるサーフェスのへりを思い浮かべようとして、クラクラした。感化されてこれから「ロウソクの科学」を読むところ。

 

山口情報芸術センター(YCAM)
池田亮司 新作インスタレーション“supersymmetory”
 
6月1日まで

あたかも雲に賀して行くように

同居人がついにカリマーの青いバックパックを買った。彼は私のほとんどゆいいつの山友達である。私のバックパックは赤いので、赤と青でふたりでぐりとぐらみたいになって歩きまわるのが楽しみで、5月にはさっそく丹沢へ行くのだけれど、吉祥寺の山ショップののんびり人のいい店員の男の子に5月くらいから丹沢は蛭が出ると教わり(男の子は首すじからいつのまにか入られて背中が真っ赤に染まったそうな)、ヤマビルファイターあるいはヒルさがりのジョニーという撃退スプレーがあることも教わって、その流れでなぜか「高野聖」を読んだ私は完・全に山蛭の恐怖にうちのめされたのであった。

それと同時に「高野聖」の語りのものすごさにもうちのめされ、これからしばらく私には鏡花ブームが訪れると思います。何か心に迫るものがあるとき、人の胸は〈キヤキヤ〉するんだ。

きょうの風景(4/5)

白いシュワシュワした花がこんもりと咲いている木が目の先にみえて、りんごの木だろうかと思ってよく見たら、ウォーターフロントの白い桜の並木なのだった。光の反射が眩しいせいか、気がかりなことがあるせいか、景色のトーンが明るい方に飛びすぎてよく見えないまま、浮かんでいるような気持ちで歩いた。芝生では寝転んでいるおじさんの胸のうえでダックスフントが日向ぼっこしたりしていて、まるでスーラの絵みたいだった。

あんなちゃんと私はガラーンとしたほとんど開店休業みたいなジャイカのカフェでコーヒーを飲んでアイスもなかを食べながら、こんどの夏の計画をした。あんなちゃんは派手なピンクのキラキラした太い化繊でなみなみと編んだチープなバッグを持っていてそれがとてもかわいかった。あんなちゃんはいつも、そういうふうにかわいい。ガラスの向こうではとんびやかもめが飛んでいて、ぽつぽつ並んだ植木にはスズメが来ていた。

それからもうすぐ撤収してしまうというハンマーヘッドスタジオに行った。アートを浴びながら、アートの見方を忘れている感じがして、でもこれまでもアートの見方を知ってたことなんて一度もないような気がした。ひとつひとつの作品がぐっと心に入ってくるわけではないのに(だからか)、妙に居心地がよかった。