あたかも雲に賀して行くように

同居人がついにカリマーの青いバックパックを買った。彼は私のほとんどゆいいつの山友達である。私のバックパックは赤いので、赤と青でふたりでぐりとぐらみたいになって歩きまわるのが楽しみで、5月にはさっそく丹沢へ行くのだけれど、吉祥寺の山ショップののんびり人のいい店員の男の子に5月くらいから丹沢は蛭が出ると教わり(男の子は首すじからいつのまにか入られて背中が真っ赤に染まったそうな)、ヤマビルファイターあるいはヒルさがりのジョニーという撃退スプレーがあることも教わって、その流れでなぜか「高野聖」を読んだ私は完・全に山蛭の恐怖にうちのめされたのであった。

それと同時に「高野聖」の語りのものすごさにもうちのめされ、これからしばらく私には鏡花ブームが訪れると思います。何か心に迫るものがあるとき、人の胸は〈キヤキヤ〉するんだ。

きょうの風景(4/5)

白いシュワシュワした花がこんもりと咲いている木が目の先にみえて、りんごの木だろうかと思ってよく見たら、ウォーターフロントの白い桜の並木なのだった。光の反射が眩しいせいか、気がかりなことがあるせいか、景色のトーンが明るい方に飛びすぎてよく見えないまま、浮かんでいるような気持ちで歩いた。芝生では寝転んでいるおじさんの胸のうえでダックスフントが日向ぼっこしたりしていて、まるでスーラの絵みたいだった。

あんなちゃんと私はガラーンとしたほとんど開店休業みたいなジャイカのカフェでコーヒーを飲んでアイスもなかを食べながら、こんどの夏の計画をした。あんなちゃんは派手なピンクのキラキラした太い化繊でなみなみと編んだチープなバッグを持っていてそれがとてもかわいかった。あんなちゃんはいつも、そういうふうにかわいい。ガラスの向こうではとんびやかもめが飛んでいて、ぽつぽつ並んだ植木にはスズメが来ていた。

それからもうすぐ撤収してしまうというハンマーヘッドスタジオに行った。アートを浴びながら、アートの見方を忘れている感じがして、でもこれまでもアートの見方を知ってたことなんて一度もないような気がした。ひとつひとつの作品がぐっと心に入ってくるわけではないのに(だからか)、妙に居心地がよかった。

ロード「王族」

 

本物のダイアモンドは見たことがない
私の見たのは映画のなかの結婚指輪
私の住所は自慢するような場所じゃない
さびれた町で、郵便番号の嫉妬ごっこもない

なのにどんな歌もこればっかり
金歯だの高級ウォッカだの
バスタブでトリップするだの
殺人事件に舞踏会のドレス
ホテルの部屋のどんちゃん騒ぎ

私たちにはどーでもいいわ
キャデラックなら夢で乗り回してる

なのに誰だってこればっかり
水晶だの高級車だの
時計を飾る宝石だの
ジェット機に夢の島
金の鎖で繋いだ虎

私たちにはどーでもいい
あんたたちの火遊びにつきあってる暇はない

私たちは王族にはならない
その血は流れてないの
そういう贅沢は要らない、もっとべつの興奮がほしい
私にあなたをのっとらせてよ
女王蜂って呼んでもいいよ
そしたらベイビー、決めてあげる、私が、私が、私がね
そういう想像のなかで生きていたっていいでしょう

私は友達と暗号をやぶって
パーティーに向かう電車のなかでお金を数えてる
私たちを知ってる人はみんな知っている
私たちがこれでじゅうぶんなこと、
私たちはお金から生まれたわけじゃないから

私たちは夢見てたよりずっといい
私はこの女王の地位がすっかり気に入ってる

誰にも守られない毎日は素敵
あんたたちの火遊びにつきあってる暇はない

私たちは王族にはならない
その血は流れてないの
そういう贅沢は要らない、もっとべつの興奮がほしい
私にあなたをのっとらせてよ
女王蜂って呼んでもいいよ
そしたらベイビー、決めてあげる、私が、私が、私がね
そういう想像のなかで生きていたっていいでしょう

 

 

From lyrics of Lorde - 'Royals'

http://www.youtube.com/watch?v=nlcIKh6sBtc

Lorde - Royals Lyrics | MetroLyrics

 

トマト、アボカド、ムクドリ

あっというまに週末が終わってしまった。
帽子屋さんで帽子を買った。風邪を治した。
トマトとアボカドの料理を大量につくる新年会をした。

夕方、甲州街道沿いの緑道でムクドリのつがいを見た。
猫や犬に比べて、鳥のおすめすが見分けやすいのはどうしたことだろう。

タオを読んだ

風邪はすこし良くなった。部屋で仕事。
今月から、毎月一度ずつ、私も夕飯の料理を担当することにした。その最初である明日は、コロッケときのこのマリネを作ることにした。

昨日は寝ながら「タオ 老子」を読みきった。語りがとてもよかった。たまに入ってくるカタカナの英語、ライフとか、ベビーとか、マザーとかがよかった。

選挙があると、対立候補のつぶしあいのワルクチとか、過去を漁ってひろげて言うようなことがある、がりがりした言葉ばかりになる、選挙のそういうところが嫌いだ。多数決で勝つことがすべてみたいになるところが嫌いだ。タオはよかった、言葉がスーッとひらたくて、風邪のときに読むのにぴったりだった。

眠ったら、兵隊に掴まって殺されそうになり、死にものぐるいで逃げる夢を見た。

おひさしぶりです

昨晩から風邪気味。
朝、暮らしの手帖に載っていた苺のサンドイッチを作る。
マスクして加島祥造さんの「タオ 老子」を読む。

イケアで買ってきたものがどれもすんなりと部屋にはまって、使いかけのスパイスやパン粉や茶葉やパスタの山になっていた台所のテーブルもすっきりしたし、私が流しの上のものを取るための踏み台も整備されたし、段ボール箱で代用していたベッドサイドテーブルもちゃんとガラス張りになって鏡月がよく似合うようになった。イケアのせいでこのうちにはどんどん家具が増えている。次に引越すときは前回の値段じゃすまないだろうということを考える。次に引越すときは猫を飼わなければいけない、庭のある家に住まないといけない、また大きな公園の近いところに住まないといけない、そうそう野鳥の餌付けもしなくちゃなんないということを、セットでだーっと思いだす。

去年の暮れにベランダに設置した餌台には、見事なくらい一羽も鳥が来ない。誰も、ひと粒も食べにこない。ふーん。「とりぱん」読んだりネット見たり頑張ったんだけどなー。ふーん。暮れに霧島アートの森に行ったとき、鳥のこえのよく聞こえるその森のなかで友達と友達のお父上にその話をして「落花生のリースまで作ったのに」と文句したら、お父上に「ビールが足りない」と言われたのだった。そのとおりだ。
引越す予定はまだない。

 

今日の風景(9/16)

三角みづ紀さんの朗読をききに、京橋へ行った。

台風がきたので、この連休に静岡へ行こうとしていたのを延期して、台風が去ったので、朗読会へ行くことができたのだった。久しぶりに聞く三角さんの声が、あー、あー、と浸みた。朗読のあとには、会場のすみにきれいなお姉さんのコーヒー屋サンが出現して、おいしいレモネードを飲んだり、手作りのおいしいパウンドケーキをいただいたり、少しぶりのOさんに遭遇してお喋りできたりしてたのしく、朗読会、かくあるべしと、おもわれた。行ってよかった。あとたぶん、私は旅寝の詩がどうしたって好きなのだ。三角さんが今回朗読したのは、スロヴェニアから、イタリア、ドイツを旅するあいだに、毎日ひとつずつ書いた詩ということだった。私は、自分の詩集が完成してからここ数週間、魂が抜けたようにぽかんとしていたのが、やっと地上に戻ってきたここちがした。

帰りぎわ、その旅の途中に三角さんが集めたというポストカードを一枚おみやげにどうぞと言われて、後ろに並んでいる人のいないのを確認してから、そのどっさりある束を一枚ずつぜんぶ真剣に見て、きれいな水色の、駅舎か学校のような建物の写真のポストカードを選んだ。よく見ると、それが駅舎でも学校でもないことは、薄い靄のかかったような天気のなかのその無人の建物を写した写真がきちんと語っているようにおもわれた。裏に、オラニエンブルグと書いてあった。ポストカードの束のなかには、リベスキンドのユダヤ博物館の写真もあった。朗読のあいだじゅう壁に映し出されていた写真のスライドショーのなかには、ビオナーデが二本並んでいるのもあった。会場を出て、私はトートツに、ベルリンがなつかしくなった。