ハバナ日記(5)

 2月5日、月曜日。なかなかの酷暑。Nの部屋を出て、朝食を食べられる場所を探して歩きまわっていたら、ケティの知り合いのおじいちゃんに遭遇した。おじいちゃんはアドルフォといってケティの卒論の指導教官だったらしく、柔らかな雰囲気、御年83歳。美しい英語をかくしゃくと喋る。いっぺんで好きになる。ケティ、ちゃんとやってるか?と確認して、私には哲学者であること、宗教を研究していることを自己紹介して、立ち話で核心に切り込んでくる。あなたには特定の信仰があるか?と聞くので、ないけど、自分のことをうるさい動物と呼んでいると話すと、面白がってくれる。アドルフォはタオイズムをもっと勉強したいのだそうだ。私たちは物事を一度まるっとひっくり返して考えなくちゃならない、なぜならいまの世界は完全に引っくり返っちゃっているんだから、と言う。仰るとおりです、と私、言う。

 連絡を取り合おうと約束してアドルフォと別れて、やっとこさ冷房の効いたカフェ、ベッキーに入って、ケティとふたり黙々と朝食を食べた。キッシュとデニッシュとコーヒー。昨日も今朝もシャワーを浴びていないので、汗でからだがべたべた。タクシーでシンポジウム会場へ移動する。蔓植物の棚のある前庭から続く、明るい、気持ちのいいレクチャールーム。私がパネリストとして参加したのは、自国と文学的アイデンティティの関係について各自が話す回で、トルコの詩人と同行していた通訳者が、その場で機転をきかせて私の英語をスペイン語に訳してくれた。ありがたい。子どもの頃から海外の絵本や童話が身近にあったこと、石井桃子さんのこと、現在の日本での翻訳文学の状況など、自分のことや知っていることを、簡単に話す。そのあと通訳者さんのそばに座れたので、メキシコやプエルトリコからの、他の参加者の話もおおまかに英語で聞くことができた。このミーティングの意味をようやく、なんとなく掴む。
 終了後、ふたりの黒人女性詩人、フランスからきたゾイ・アン、ドミニカ共和国のローリステリー・ペーニャ・ソラーノと知りあう。ローリステリーがくれた詩集には最初に女性たち、古今東西の作家や思想家や母親への献辞があって、中身がとても気になるのにスペイン語ですぐに読めないのがもどかしい。前庭の葉陰でランチ。例の肉と米のお弁当。胃が疲れていて、あまり食べられなかった。

 午後、ケティは別会場のプレゼンへ出かけ、私はディウスメルと一緒にバスでAlamarへ。どうもオスマイルのところに転がりこんだらしいアダに、民泊の部屋から荷物を持ってきてと頼まれる。バスに乗るのに街中を歩きまわらなければならず、私は疲れ果てているのに、ディウスメルがずーっと英語で、こみいった文学的な話を続けようとするので、苛々してくる。ディウスメルの英語は、お互いがゆっくり集中して話していれば問題ないけど、移動しながらだと、ときどきすごく意味不明なときがある。
 Alamarの公民館の廃墟の庭で開かれていたオープンマイクふうの小さな朗読会にすこしだけ参加。公民館は何年も前に自治体が維持できなくなってからは、文学有志によってなんとか維持されているという。
 民泊に向かう途中、ケティの叔母さんに偶然会う。家にはお父さんがいるから声かけてとのこと。砂漠から脱出した人のようにシャワーを浴びて、やっとさっぱり生き返る。出ると叔母さんが戻っていて、生トマトやタマネギのサラダ付きの夕飯を出してくれた。ありがたく、急いで食べる。部屋に戻ってお化粧。アダのベッドの下に置かれたスーツケースから、頼まれた荷物を見つけるのに苦労する。交換用のバイリンガル詩集と、背中の大きくあいたドレスを何枚かと、下着と、マテ茶葉の袋をまとめてトートバッグに放り込む。アダのパンティはびっくりするほどセクシーなのばっかり。
 隣の家のディウスメルに声をかけにいった頃には、とっくに日が暮れていた。ディウスメルが準備するのを待つあいだ私は、台所で手で洗濯をしている私と同じくらいの年齢の母親のそばで、彼女の小さな娘を見ていた。小さな女の子は、ぬいぐるみをたくさん紹介してくれた。
 もうおなじみになったAlamarの停留所からバスに乗って、暗闇のなか中心地へ帰還。私は念願のシャワーでさっぱりできてさっきよりは機嫌がよかった。ディウスメルが片言の英語で、私の詩のスペイン語訳についてつぶさに確認しようとしてくれたけど、バスがものすごく揺れるので、私は頭のなかで言葉をうまく一列に並べることができなかった。それに、正直、その翻訳を検討するのは私の仕事じゃない、という気持ちもあった。私は私の翻訳者を信頼して、委ねているのだから。
 ベダード(新市街)方面にある大学の敷地の一角にみんなが集まっていて、ギターじゃかじゃか系のアットホームなコンサートが始まっていた。アダを見つけて荷物をパス。ローリステリーを見つけて詩集を贈呈。ちょっとだけ音楽にあわせて一緒に踊る。エミリオやパウラもいる。音楽はいい感じだったけれど、私は今夜“招待”されているほうのライブのことで頭がいっぱいだった。それに行くためにはケティと合流しなくちゃならない。ところが、ここで落ち合うはずだったケティがいない。コンサートは終了してしまって、他の参加者たちはどこかへぞろぞろ夕飯を食べにいってしまった。ディウスメルは携帯を持っていないので、ミーティングディレクターのヤネリスを探しだして事情を話して、ケティに電話してもらうとやっと繋がって、グアヤキルで私も会ったアルゼンチンの詩人/編集者のダニエルとこの近くのレストランでご飯を食べているという。やれやれと思いながら、レストランまで歩く。
 レストランの入口で、悪びれもせずにケティが待っていた。私は内心エーッと思いつつも、ダニエルとの嬉しい再会で連絡不足のことは水に流してハグ。ダニエルとは、エクアドルではほとんど話さなかったのに、再会となると急に親密度が増すのがふしぎだった。ビールを飲んで、すこし食べる。

 夜11時ごろ、4人でビバンコのライブへ駆けつけた(正確には、のんびり歩いて向かった)。ライブは10時スタートだと聞いていたけど、まだ始まっていなかった。ビバンコに「来たよ〜」と挨拶して、私は自分の詩集を渡した。メッセージには「魂(soul)を分け合ってくれてありがとう」と書いた。私たちが飲みはじめるとライブもはじまり、ケティは「サヤカを待ってたに違いない、サヤカのために歌うかもよ」と言うけど、よく言うよ!と私、思う。ギターとボンゴとサックスの、すばらしいライブ。ダニエルもディウスメルもすっかり愉しんでいた。ライブが終わるとヒットチャートが流れだして、そこは簡易ダンスフロアになったけど、私たちは別に踊りたい気分じゃなかった。帰り際、ビバンコと握手した。こんなにかっこいいライブをするミュージシャンと、こんなふうに知りあって、そしてもう二度と会えないかもしれないなんて、人生ってむなしい。ダニエルはベダードの民泊に歩いて帰っていき、ディウスメルとも別れて、ケティと私はタクシーでNの部屋に帰った。私たちはライブの興奮で何だかへんなテンションになっていて、タクシーを降りるとケティは「迷った」とか言って角をあっちこっち曲がった。私は憶えていたアパートの番地を笑いながら繰りかえした。ささいな冗談でばか笑いしながら、そんなに酔っぱらってるわけでもないのに千鳥足で、やっとこさNの部屋に辿りついた。アパートの前の道路では何かの工事をしていて、真っ白いバルーン照明が、ここですよと諭すみたいに煌々と灯っていた。