ベルリンで朗読した

 この夏、ベルリンで、初めて英語で朗読した。

 英語での朗読は、ずっとやってみたかったことだった。今回ベルリンに行くことが決まってからも、ぐずぐず迷っていたのだけど、この機会を逃したらもうまたいつできるかわからないのだからと思って、勇気を出して、2年前に知り合ったPequod Booksのアルヴァロに相談した。向こうで私は誰にも知られていないし、お客さんが集まるかもわからないんだけど、とメールした。アルヴァロは、自分の店で朗読会をひらくことを、すぐ快諾してくれた。

 とにかく英語の詩がなければ何も始まらないので、自分で翻訳をやることにした。目的としめきりがあると、意外とぐいぐい進むもので、出発直前に四篇を訳した。できるだけ単純なことばを選んで、訳していった。伝わるかどうか、謎だったけれど、それは日本語で書いていても同じことなので、気にしないことにした。

 当日は、12人くらいのお客さんが集まってくれた。日本語を話す人は、そのうち3人いた。日本語をまったく知らず、縦書きの文章を下から読むのかと思っていた人もいた。私は「外国語の朗読をきいて、音楽のように響きをたのしむという人もいますが、意味というのは、いつでも伝わりたがっているものだと思うので」と説明して、英語訳の詩を読んだあとに、日本語の原文を読んだ。そしたら、おもしろいことが起こった。

 私にとっては、日本語のほうがもちろん英語よりも身近な言語であるはずなのに、英語を読んでいるときのほうが、実感をこめて読むことができて、日本語を読んでいるときのほうが、なんだか地に足のつかない感じ、ただ行を追って発音しているだけのような感じがしたのだ。たぶん、なにかひとつ言葉が発されると、意味が伝わっている空気みたいなものが生まれて、言葉はその空気のなかで生きていくものなのかもしれない。ふしぎなことに、その場にいた日本人の友達(日本語が母語で、英語も解る人)も、後になって「英語のほうが、身体にはいってきた」と言っていた。

 ベルリンにも詩人がいるはずだと思うのだけど、その人たちに会えなかったことが心残りだ。でも、詩人と呼びたいような人には、たくさん出会った。

 知らない場所で、知らない人と、意味が伝わる空気を、また味わいたい。だから、いつでも出かけられる準備をしておこうと思う。