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もとこさんとミケレ(ふたりのきちんとしたダンサー)

ローマの空港についたのは、日付が変わるぎりぎりの時間だった。私たちはベルリンからローマへ行くのにまだ日本でも乗ったことのないLCCというものを使った。地上階にある搭乗口に真正面から向かってくる飛行機や、日本の新幹線の清掃ばりにスピーディに機内を掃除しているらしいフライトアテンダントの人たちや、小さい子が通路をどたどたと走り回る、イタリア人だらけの、なんのサービスもない機内に目を見張っているうちにローマに着いた。私たち以外にアジア人はいなかったし、私たち以外は全員イタリア人だったかもしれない。何かに似ているなと思ったら、深夜の長距離バスで移動するのに似ていた。

出口のところで誰かが大きく手を振っているのが見えて、やっぱり、もとこさんとミケレだった。もとこさんは真ピンクの、ミケレは真みどりのポロシャツを着ていた。でもふたりが目立ったのはそのせいだけじゃなくて、ふたりともきちんとしたダンサーで、ふたりとも身体をどう動かしたら大きな身振りになるかを知っていたからじゃないかと思う。私たちは春以来の再会を喜びあって、はじーがベルリンで英語に揉まれて強くなったことや、ベルリンのみんなが優しかったことや、ヘルシンキが美しかった話を順番もなにもなくひとしきり笑いながら喋りながら車に乗って、すると、もう深夜だというのに、ミケレはEURを案内するといって、その日も仕事で疲れているに決まっているのに、まっすぐ家へ向かわずに寄り道してくれて、ムッソリーニのつくった夢の建てもののいろいろとか、比較的最近の建築家が作ろうとしている理想の建築(理想が高すぎてなかなか完成せずにいる建築)とかを、私たちはひとつひとつ車のなかから眺めた。

家に着くと、歓迎のしたくが整っていて、生ハムやビールやマスカットが、静物画みたいにランプの灯りのなかに浮かびあがっていた。ものすごくおいしいシャンパンを私たちは飲んだ。はじーともとこさんは、その晩ふたりで夜明けまで喋った。まだミケレが現れる前、東京の私たちの部屋でもとこさんとはじーがたいへんな喧嘩をしたのを私はよく憶えていたので、とても嬉しかった。ふたりは友達であるのとまったく同時に、兄妹なのだった。

出発しなければならない日には、ローマにいるあいだにすっかり好きになったバジリカ様式の教会で、知らないカップルの結婚式にふたつも立ち会った。誰も知らない私たちがいちばん外側の椅子に座って天井のモザイクや窓ガラスを眺めていても、新しい夫婦はバージンロードからにっこり笑って挨拶してくれた。

それからEATARYという巨大なデリのセンターみたいなところに行って、チーズや生ハムを買いこんだ。ミケレは旅のあいだじゅう私たちにローマの歴史や建物の成り立ちを説明してくれるので、周りの観光客やイタリア人まで、ミケレの説明を聞きに寄ってくるくらいだった。EATARYでさえ、ミケレは迷っているおじいさんにイートインスペースの使い方を教えてあげていた。

空港に向かう前に、四人でオスティアの海に行った。オスティアというのは映画監督のパゾリーニが愛した場所で、殺された場所でもあった。湘南みたいなビーチの風景に沿って少し北上すると、ぼうぼうに生えた藪のなかに、そこだけ整地されて芝生になった場所があって、パゾリーニのいろいろな業績の書かれた記念碑がたっていた。こんなうら寂しいところで殺されるなんてぞっとする。でも、パゾリーニにとってはどうだったのか、わからない。

海をバックに、釣りをしていた人に記念写真を撮ってもらった。ローマのさいごに海に辿り着くなんて、思ってもみなかった。静かな、湖のような海だった。

空港で私たちが搭乗ゲートに進むとき、ミケレはクルクル踊ったりジュテしたりして見送ってくれた。誰かをあんなふうに見送れたらなぁ! 踊れない私は、はじーの肩につかまってぴょんぴょんジャンプして、別れを惜しんだ。それをゲートの警備のおじさんが、やっぱりにこにこして見ていた。