読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

官能的な演劇

俳優の仕事ってなんなんだろう。岡崎藝術座の演劇をみるといつもそのことを思うし、今回「アンティゴネ/寝盗られ宗介」をみて、ほんっと、なんなんだろ?と思った。俳優は、演出家の指示を受けて動く。やれ、と言われたことを受けいれる。すべてを受けいれることが俳優の仕事だとしたら、俳優は俳優そのものであるまま「アンティゴネー」のアンティゴネーであり、また「寝盗られ宗介」の座長だなぁ! アンティゴネ—はクレオンの命に背いてまでも神の命を受けいれる(つまり自分の属する国に反逆したからといって自分の兄との関係を断ち切らない)し、座長はレイ子をどんどん男に寝盗られても断固としてレイ子とも男たちとも関係を断ち切らない、どころか、ついには男の親戚の飼っている馬のアオの鼻をなでてやる約束をしてあげる。座長はアオのことを頼んだ男に言う、「こんな男は世界中どこを探してもいない、俺が最後の男だと思ってくれ」と。それはパンチラインで、観客はみんな笑うけど私も笑うけど、涙が出てくるよーと思う(これはほんとに、つかこうへいの台詞の凄さだと思う)。だってそれは、座長が自らの意思で誰かとの関係を断ち切ることはありえないという宣言であると同時に、そんな人はどこにもいないよね、というしみじみした述懐でもあるのだから。でも、そんな人はどこにもいなくない、俳優ってそんな仕事なんだ、きっと。少なくとも岡崎藝術座の作品における俳優の仕事は、どこまでも役を受けいれるという、ただそのことに尽きてると思う。今回の作品には、そのことがもっとも顕わになるテキストが二つ選ばれていたと思う。自分からもっとも遠い場所にいる誰かと契約をむすぶひと、それが俳優=アンティゴネ—=座長なんだ。そして、俳優=アンティゴネ—(は神と契約することでクレオンも伝令も自分のうちに含みこむ)=座長(はレイ子もジミーも自分のこととして面倒をみる)が喋り、動くと、髪は乱れ、コップから水がこぼれるように汗が滴り、汗の臭いと湿気が充満し、敷布は縒れ、息づかいが荒くなる。でもそれは、誰の髪だろう? 誰の汗で、誰の息づかいだろう? わからなくなりながら、目や耳で受け取る以上のことを私は受け取っている。「アンティゴネ/寝盗られ宗介」は、官能的な演劇だった。

4/23 岡崎藝術座
アンティゴネ/寝盗られ宗介」