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すごくよくてすごくダウナー

日曜日、チェルフィッチュの「現在地」という演劇作品を観た。劇中に出てくる台詞で「私、ふるさとって言葉の感触って、なめくじみたいだって思っちゃうの。」というのがあって、あまりにも的を射ている(つまり、私がふるさとということばに感じてる感触というのはこれだったのか)と思って、その台詞を何度も口のなかで繰り返してしまった。
ミニマムな動き、ものごとのゆるやかな経過だけが示されるような動き(ゆっくりと曲がっていく女優さんの背骨や、昼の月に雲がかかってそれからまた流れて去ってゆく映像)があって、こみいった状況についての会話が続いていくのだけれど、落ちついて聞いていれば、どの言葉もはっきりと、皮ふに貼りつくように、きこえてきた。サンガツアンビエント音楽が静かでそわそわした気分にぴったりと寄り添ってきた。
観たあと、一緒に観たふたりに「すごくダウナーな気分になった」と言ったら、「そうだね、大麻系だったねー」とはじーが言った。すごくよくてすごくダウナーな気分になる演劇って、あんまり観たことがないと思った。というか、わたしは根がダウナーなので、自分の素の気分のようなものにこんなに近い表現をなまで観たということに、やっぱりただただ、驚いていた感じ。
とくに、彼氏と青く光る雲をみた女の子のエピソード(彼氏はその雲をロマンティックなものだと思い、女の子は不吉なものだと思う、その感じかたのずれのために、女の子は彼氏と別れてしまう)を、私はこれからもけっこういろんな場面で、思い出しそうだなと思った。そういうひとつひとつの、人と人とが言葉を交わすときの微細なずれみたいなものをどこまでも細かく検証していって、それがある状況を揺り動かしていくということを、こんなに丁寧にこんなに静かに、演劇で描くことができるんですね。すばらしかった。

4/22 チェルフィッチュ
『現在地』