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きょうの風景(3/8)

 吉野せい「梨花」を読んだ。これは、うそ寒くて、湿った土地の、死児写真だ、とわたしは思った。魯迅の「明日」という短い作品も、同じように、貧しい母親がまちがった看病によって乳児を亡くす話だ。でも、「梨花」を読んで「明日」を思いだしたのは、物語の類似のせいだけじゃない。”無知な人”という存在をどう描くか、ただただ"母親"であるだけの人にどう近づくか、なにかを知っている自分をどう反省するか、知っている自分が知らなくて"無知な人"が知り尽くしているのはどういうことなのか、そういう問いかけを諦めない姿勢が、似ているとおもった。一方は一人称で、もう一方は三人称で語られている。
 きょう「梨花」を読む前、近所の道を歩きながら、自分の母親のかかえた苦も、ふたりの祖母のかかえた苦も、わたしがキョロキョロと愉快に生きることで昇華させる、きっとそうしてやると、理由なくおもったことを思いだす。祖母たちも母も、人に比べて苦しい人生を生きた/生きているわけじゃない。ただわたしが、ふとそういうものを背負いたくなった、そういう日に、偶然にも「梨花」という作品に出会ったことは、不思議なことだなぁと思う。