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大島・よあけ・台風(4)

 裏砂漠は黒くて平らだった。誰もいない、誰もいない。曲がり角にロボットが立っていると思ったら、何かの観測の機械だった。ずーっと向こうの黒い大地のへりからせりあがっている山腹に、白い大きな建物が見える。もしかしてあれが大島温泉ホテルなんじゃない、うひゃーっ(遠い!)と思い、この黒い大地を自分の足で渡ってあそこまで歩いて行けることに、ときめいてしまう。髪の毛が、べったり霧に濡れて重かった。数メートルおきに地面に刺さっている目印の木の杭を追っていかないと、すぐ道を見失ってしまいそうだ。黒い硬い岩が縦に積み上がってかたまったようなのがいくつも道の脇に立っていて、みんな私を見ているような気がする、羅漢さんたちが見ているような気がする。猛禽類や獣が見ているような気がする。なぜ、こんなに何もかも、手足のある、顔のあるものに見えるのか、わからない。石や植物の、顔も手足もない身体を、ただ、ただ、見ることをしたいと、いつも思っているはずなのに。道の脇に仰向けに寝そべってみた。さっき降りてきたほうから、濃い白い霧が這ってくる。わたしに覆い被さって、過ぎ去っていく。水色の空を埋めながら、海のほうへ抜けていく。金色に傾いてきた日差しが、雲と、空と、地面に、あたっている。起きあがる。
 やがてまっすぐの一本道が始まるところへ出た。黒い地面が見えなくなって、道の脇を埋め尽くしたススキで、遠くの風景もひとつも見えない。草を刈る音が近づいてきて、作業着を着て長い柄のついた電動草刈り機をもったおじさんが道の先に見えてきた。柄の先には円形の刃が高速回転している。おじさんは刃をこちらに向けて、無表情である。一瞬、ジェイソンに見えてしまった。でも近づいていくとおじさんはススキを刈りながら小さい声で「もう少しだよ、がんばれー」と言ってくれた。おじさんだって、遠目に、わたしが貞子か何かに見えたに違いない。
 道は白くてくねった幹の照葉樹の森に突入した。薄暗い。くねった幹は道の左右に合わせ鏡みたいに永遠に重なっている感じがする。こうなると、さっきまでの、陽の光があたって景色が見えている寂しさのほうがよっぽど安心に思えてくる。妖精の動きをする黒地に白い一本線のはいった小さい蝶(後で調べたら、タテハチョウ科のイチモンジという蝶)が一羽、二羽、三羽、わたしの前を案内するみたいに飛んでくれる。照葉樹の終わりに、大島温泉ホテルがすぐそこにあることを示す、木の看板をみつけた。

 ホテルの温泉でからだを洗っていると、「あら!いたー」と言いながら、じゅんこさんがはいってきた。露天風呂からは、歩いてきた裏砂漠が夕陽に照っているの、そこを霧がすべっていくのが全部見えた。黙ってそれを見ていると、景色に感嘆する声がして、湯船のなかにすっぱだかで立って裏砂漠を見ている女の子がいた。わたしはしばらく黙っていたけど、思いきって「……しまちゃんですか?」と聞いてみた。女の子は「はい、しまちゃんです」と言って笑った。今朝、じゅんこさんが言ったのだ、いま泊まっているしまちゃんという女の子と今夜ライブを見にいくんだけど、行く?と。それでわたしはもちろん、行くと返事して、じゃあ、温泉で待ち合わせ、ということになったのだった。三人で露天風呂に浸かって話していると、じゅんこさんともしまちゃんとも、今朝はじめて会ったとも、いまはじめて会ったとも、全然思われない。

 それからじゅんこさんの車でしまちゃんの運転で「駅」という焼き鳥屋さんへ行った。わたしはじゅんこさんに、いつもは同居人が料理してくれること、ひとり旅は5年ぶりくらいにしたこと、同居人は小説家で、自分は詩をかいていることなどを話した。するとじゅんこさんは、そうだと思った、何か創作している人かなと思ったんだよねーと言うのだ。
 「駅」は満員で、カウンターに座っている人はみんな、このあとのライブに行く人たちらしかった。しまちゃんは隣に座ったカップルの赤いティーシャツのお兄さん(あとから六二歳だと発覚)と話したりしている。カウンターのいちばん奥に座っただるまのような威勢のいいおじさん、ジョージさんにわたしは焼酎をごちそうになり、飲みかたをきかれてロックでと言ったら、「いいねぇ、そういうの好きだよっ」とジョージさんは嬉しそうに言った。
 じゅんこさんに、何を頼んでもおいしいよと言われて、ささみあしたば(明日葉のジェノベーゼソースのせ)、らっきょう肉巻き、きつねチーズ、ささみべっこう、きゅうり。あとは忘れた。ビールものんで、1500円。よっちゃんというおじさんが、ひとりで全部、しきっている。みんなが口々にばらばらに言う注文を、順々に出していくよっちゃんは、かっこいい。ほんとうにおいしかったので、店を出るとき、大きな声で、「おいしかったです!」と言った。