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大島・よあけ・台風(3)

 お鉢巡りのコースの入り口にあるお土産屋さんには武田百合子さんみたいな雰囲気の売り子のおばさんがいて、椿の実のキーホルダーを売っていた。しきりに「名前を入れられるんですよ」と言う。店の前に大きい溶岩がごろごろ入った箱を置いて「溶岩サービス」と書いてある。ここでは、何も買わなかった。
 お鉢巡りのコースはいくつかある。わたしは火口のところまで近いほうの道で行き、火口を0.9周して、裏砂漠ルートという道を通って温泉のあるホテルまで行くことにした。そのホテルで、オアシスのママさんと夕方五時に待ち合わせしたのだ。スタート地点に立ったとき、前をひとり、小さい白い服の人が歩いて行くのが見えた。うすみどりの草のなかの道路を、どんどん歩いていく。おばさんのように見えるけれど、男か女かわからない。道の始まりが少し低くなっているから、白い服はよく見えた。道は曲がりくねっていって、小さい人はどんどん小さくなって、草の向こうに見えなくなった。わたしは息を吸いこんで、歩きだした。
 前にも後ろにも、誰もいない。見渡す限りのススキと灌木。テンションがあがって、キョロキョロというより、ぎょろぎょろ辺りを見回しながら歩いた。たいまつを両手に持って踊っている白装束の女を見たような気がして、もう一度よく見てみると、背の高いススキだった。五体投地をしている男がいると思ったら、腕の部分はススキで、体の部分は黒い岩で出来ていた。
 途中から坂が急になり、登って行くにしたがって、どんどん霧が濃くなってきた。降りてくる声が聞こえると思ったら、霧のなかから5、6人のおじさんの集団が現れた。こんにちはーと言うと、「あともうちょっとだーがんばれー」とひとりが言い、その後ろから「あと五分の四ね」と冗談をいう人がいる。わっはわっはと笑いながら、楽しそうに降りて行った。また、誰もいなくなる。じぐざぐの坂の折り返し地点に丸太のベンチとテーブルが置いてある。看板が立っている。「おつかれさまです。チョット、ひとやすみしませんか。すばらしい眺望をご覧ください。大島町」そこへ座ると、まっしろい雲と霧が、上からも下からも迫ってきて、わたしは雲のなかに閉じこめられたようになった。雲はどんどん移動していく。雲が途切れると、嘘のように澄んだ空と海が見える。また見えなくなる。歩きだす。
 火口付近に近づくと、神社の鳥居と、ルートを示す標識のあるところへ出た。火口の周りを歩きながら、椿の種くらいの大きさの溶岩を四つ拾った。霧はまだ濃くて十メートル先も見えないし、ぽっかり凹んでいるはずの火口は、底どころか淵も見えない。途中、疲れた顔の女の子の三人連れと、初老くらいの年輩の夫婦とだけ、すれ違った。ゆっくり歩く奥さんを待っている旦那さんに「何にも見えないですねー」と声をかけた。「今日はだめですねぇ」と返してくれる。風が暴力的で息もしにくいくらいに吹いてきて、身体がフラフラして、いよいよ心細くなってきた。持ってきたウィンドブレーカーを頭までかぶって、目をつぶったりあけたりしながら、道の両脇に張ってある綱を頼りに進んだ。足下は軽い乾いた溶岩まじりの砂利なので、がらがら滑る。裏砂漠ルートへ出て、少し下って風が落ちついてくるまで、脇目もふらずに歩いた。