ひとつづきの

去年の11月から3ヶ月間、横浜・井土ヶ谷のblanclassというスペースで、ART ENGLISH TRAININGという講座を受講した。
アーティストのための英語講座という名目に惹かれたのと、詩をかくとき、日本語と泥沼の関係にならないように、日本語を冷静にながめるために、いつも英語と浮気していたいと思っているので、何かそういう技術のヒントがもらえたらいいと思っていた。
全12回の講義に9回出席して、現代美術の基礎知識も勉強できたし、アート関連の語彙もたくさん浴びることができたし、英語でいろんな新旧のアートを紹介するウェブサイトも教えてもらった。授業のあとにベーコンの画集やロバート・クラムの漫画がどこからともなく出てきて、お茶を飲みながらお喋りできる時間も、授業と同じくらいによかった。
わたしは、何日間とか、何週間とかに渡って、ひとつづきの考えを自分でずっとポケットにいれておいて転がしている、というのが苦手なので、毎週定期的に授業の日がやってくるということのありがたさが、とても身にしみた。高校や大学の授業も、そういう意味では好きなものは好きだったのだけれど、美大で勉強してみたいという高校生のときの夢が、AETでちょっとだけ叶った気がする。

「言葉にできない」という言葉を使うひとは多いけど、それは嘘で、そのひとが言葉にしたくないと思っているだけだ。それに、げんに、「言葉にできない」という言葉にできてしまっている。いつかむかし、アメリカのひとに "How to say milky way in Japanese?(日本語でミルキーウェイは何と言う?)" ときかれて、"it's sky river.(天の川。)"とこたえた。アメリカのひとは "i like it much more than milky way.(ミルキーウェイより、そっちのほうがいいな。)"と言った。日本語を英語に翻訳するのではなくて、「言葉にできないくらい美しかった」というつまらない言葉のかわりに "it was beautiful as milky way." と言ったり、「天の川のように美しかった。」と言ったりしたい。そしてそういう希望を自分がもっているということを忘れないために、英語の勉強をやめないようにしようと思った。