ほうほう堂@留守番

下北沢の駅を出て代沢のほうにのんびり歩いて行くと、餃子の王将を過ぎてちょっと住宅街にはいったあたりに、白い大きな洋風のおうちがある。それが今回の、「ほうほう堂@留守番」の会場だった。
ダンスが始まるのを庭で待っているあいだ、その庭に32種類のツツジが植えられていると誰かが話しているのが、風のたよりに聞こえてきた。庭のひと隅には温室があって、いっそう緑の濃い、つるつるした、伸び伸びした植物たちが集まっていた。
「こんにちは、」とドアが開いて、おうちに招きいれられる。招かれているほかのひとたちと一緒に、ぞろぞろとなかに入る。リビングルームで、ダイニングキッチンで、吹き抜けから見える2階のサンルームで、ほうほう堂のふたりは踊って、その踊りは、なんというか、思い出そのものみたいなのだった。
ふたりが縦横無尽に踊りまわるこのおうちが、もうすぐなくなってしまうということは、入り口で渡される紙に書いてあった。それはとても悲しい、だってほんとうに素敵なおうちだから。でも、それは、ダンスが「思い出そのものみたい」にみえた一番の理由じゃない。静岡にあるわたしの実家はまだ建って残っているけれど、18年前にあの家が建ったときから、あの家とわたしの関係はずいぶん変化した。家や庭、床や壁や柱というものとの関係が毎日毎秒少しずつ変わっていく、わたしがトシを取って太ったり痩せたりしているうちに家もトシを取って太ったり痩せたりしていて、そしていつのまにかわたしたちはお互いに、全然別のものになっている。なんてことは、とてもよくあることで、よくありすぎるくらいのことで、なのに最後にふたりが玄関で鳴ったチャイムに誘われて外に出て、あの32種類のつつじの庭で、いろんな形に変わりつづけるのを家のなかから、窓ごしに、網戸越しに、見ていると、しみじみ、そのことが思い出されて、涙がでてしまった。隣に座っていた女のひとがひっそりと、「妖精みたいねぇ…」とつぶやいた。わたしにはふたりが、死んだひとの魂のように見えた気がした。でもいま思い出していると、すこしそれとも違う気がする。ふたりの変形しつづける身体が、ふたりを、生きてることと死んでることの境いめもあやふやに、こんなに遠いような近いような、いるようないないようなふうに、見させるのじゃないかと思った。

11/6(土)夜、11/13(土)昼
ほうほう堂@留守番
@下北沢の素敵な家