避難記録(目黒→新宿)

月曜日。新橋で仕事が夜7時半に終わったので、さて避難しようと決めた。目白の完全避難マニュアルさんに慌てて予約の電話をかけた。目白の避難所は予約制で、予約はできたのだが、電話を切ったとたん、新橋から目白って実は遠いかもということに思いあたり、目白の避難マニュアルさんにもう一度電話をかけてキャンセルし、それから新橋の避難マニュアルさんに電話をかけると、同じところにつながって、同じ女の子の声が出て、今日の新橋の避難所の予約は終了してしまったと言われた。それでiPhoneから避難所のリストをあれこれ見て考えたあげく、目黒の避難所に行ってみることにした。
新橋から山手線に乗って目黒で降りた。目黒の避難所には、Web上の避難所データに書かれていた通りの「黒いカバーのついた本」が二冊あって、わたしはその一冊をとって、レジの男の子に「あの、これ、いただいていきます」というと彼はとても普通に「はいどうぞ」と言った。わたしは黒いカバーのついた本を掴んでそそくさとその避難所を出てきてしまって、あ、そういえばここは避難所なのだからもうちょっと長居すればよかったとか、あの男の子はこの黒いカバーの中身を知ってるのかな、彼はこの企画のことをどれくらい知ってるのかな、というようなことや、何年も前にこの道をもっと先に行ったところにあるジュヴォーというケーキ屋さんにannashippoが働いているのを冷やかしに行ったっけな、そのときも、この道の向かいにあるホテルが素敵だと思ったっけな、というようなことを思いながら、黒いカバーをべりべりはがしながら、来た道をまっすぐ歩いて目黒駅へ戻った。黒いカバーの中には、しおりを挟んだ本と、白い封筒が入っていた。白い封筒のなかに、新宿の避難所の地図と、依頼がひとつ、入っていた。それをみんな鞄にいれて、目黒からまた山手線に乗って、新宿へ向かった。山手線で運ばれながら、鞄からさっきの本を出して、しおりの少し手前から読みはじめた。すぐ、新宿に着いた。
西口から地下道をまっすぐ歩いていった。その道はわたしが最初に就職した会社への通勤路だった。この道をこういうふうに歩くことになるとは思わなかった、夜、地下道を歩いているほとんどの人は駅に向かっていて、わたしは流れてくる人の顔をみながら、あの会社に勤めていたときにもよく通った場所に向かった。流れてくる人は、黒い格好をしている人が多かった。新宿の避難所は、昔パン屋があったところがスタバになっていて、わたしはそのスタバでアイススターバックスラテとキャラメルマカロンを買って、屋外のベンチに座って、30分くらい、本の続きを読んだり、景色を眺めたりしていた。マカロンはざっくりした味だった。思いだすことがいろいろあった。だけど思いだしたくなかった。こんな仕掛けで、感傷的にさせられてたまるか、という気持ちがあった。でも、なぜかこの夜にこの場所にいる、そのことが楽しかった。
「完全避難マニュアル 東京版」