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鏡と鰐、10月

日曜日、クロコダイル朗読会へ行った。その前の週の土曜日は、私にとって3回目のサイファーだった。私は朗読で聞いた言葉=意味=内容を覚えていることはあまりなくて、それはクラブで音楽を浴びて帰ってくるときにはもうほとんど曲(メロディ)を忘れてしまっていて、熱気とか、人の混みようとか、からだを揺らした感覚だけが残っているのにとても似ている。でも、それでも残っているフレーズやリズムや風景があって、それはたとえば橘上さんが「おい草、」といって草に呼びかけている間ずっと足もとの草にそそぐ視線だったり、河野聡子さんの「からす」「飛び立つ」という2語の間の短い短い息継ぎの間の場の沈黙のことだったり、カニエ・ナハさんがギターに添えていたふるえる左手をゆっくり動かして舞わせた軌跡だったり、文月悠光さんの落とす紙のシャープな音(紙の音は暴力にとても近い、そこにはいい意味も悪い意味もない、ただ、曝されているということがとてもよくわかる音)、夜の闇のなかの電灯の下の緑色の(あれは帽子だったか、Tシャツだったか、パンツだったか、)とにかく緑色の、さやわかさんのショート・ラップ、佐藤雄一さんが「ふーっと」というときの、中田健太郎さんが「中田健太郎です、」というときのかならず決まった声の調子、だったり、だったり、だったりして、刻まれている、確実に、何かが、代々木公園の茫洋とした広さや、壁一面の鏡と鰐の置物に囲まれた原宿クロコダイルの店内の感じも一緒に。贅沢してしまったなぁ、あんなに一度に、あんなに刻まれて…。

月曜日は、聖子さんの家へでかけた。マンションの玄関の前の外廊下に椅子と板を出して、そこで秋の夜の曇り空を丘からくだってくる風を浴びながら、ハートランドビールを飲んで、聖子さんの作ってくれたブルスケッタを食べた。遠くにあるばかでかい絵を見るみたいに、そこからの眺めをみていた。そうすると、眺めがしみてきた。公共施設の明かりが、いつか、てん、と消えた。しばらくするとツさんも帰ってきた。前景の季節ごとの移り変わりについてや、遠景の天気ごとの見えかたについて、ツさんがこまかく話してくれる。この高さには、鳩や蝉もくるのらしい。トイレを二回お借りした。私はあかく酔っぱらっていた。タクシーで帰宅。

火曜日、今度のライブの打合せ。