みなかみの記録(3)

見晴荘には、だれもいなかった。その少し手前まで来たとき、生きている牛の匂いがして、おじいさんがひとり、一面の雪のうえで、一輪車をかついで作業している風景を通り過ぎた。だからなんとなく見晴荘にも人がいるんじゃないかと思って、人気の全然ない建物の入口まで行って扉に手をかけてみたけれど、しっかり鍵がかかっていた。
建物の日陰の雪の溶け残っているあたりに、チョウチョの羽根のように四足の揃った動物の足跡が、て、て、て、て、とついていて、いまは何もいない動物小屋のようなところをくぐり抜けてぐるっとまわって、また山の林のなかに消えていた。わたしは雪のうえの動物の足跡なんて初めて見た、そのよろこびと興奮でいっぱいになり、雪を踏まないようにそのひと続きの足跡に近づいたり遠ざかったりして写真を何枚も撮った。あとから調べると、リスの足跡だった。
建物の外階段の上のほうに腰かけて、ローソンで買ったおにぎりとお茶と味つきゆで卵、それに旅館から持ってきた飲むヨーグルトで昼食にした。時間は午後1時過ぎくらいで、とても晴れて景色ぜんたいがひかっていた。見晴荘というくらいで、食べながら山並みや谷間の街を見渡したはずなのだけれど、いま思いだそうとすると、ひらけた先がひかっているばかりで、うまく思いだせない。
見晴荘まで歩いてきたとき、大峰山登山口への分岐点を通りすぎた。そこまで戻って、どうするか考えた。そこから登山口へは、そしてもちろんその先の大峰沼への道も、大峰山頂上までの道も、もうまったく除雪されていない山の道だ。頂上へ行くのはとうに諦めていたものの、初めて自分の目の前に延びている雪の山道を、わたしは行けるところまで行ってみたかった。わたしたちは、先の折れ曲がっている雪道の、いまここから見えるところまでいってみよう、その先はまたそこで考えよう、ということにして、いよいよ雪のなかに足を突っ込んで、ずぼずぼと歩いていった。雪は、場所によっては30センチくらい積もっているところがあったりして、ときどきずぶっと身体が沈む。陽の光で溶けかかった木の上の雪の塊が、ぽしゃ、ぽしゃとやわらかい白い地面の上に落ちてくる。落ちたところは少しくぼんで、それが一面、スパッタリングの模様になっている。地面の白は、最近流行りの化粧下地みたく、パールの混ざったような白である。
人間の足跡がひとつもないので、わたしたちは、今日ひとりめとふたりめの人間の登山客だ。大峰沼にはまだぜんぜん辿り着かないけれど、道の脇に、もう冬木の林に囲まれた大きな沼がひとつ見える。歩くのをやめると、途端にしんとして、雪の落ちる音と、鳥の声だけ、手や足の指先いっぽんいっぽんにまで沁みこむように、きこえてくる。「あ、あそこまた曲がり角」「あの曲がり角までいってみよう」「あ、あそこに何かある」「とりあえず、あそこまで行ってみよう」というのを何度か繰り返して、木の幹をかたどった簡易トイレのあるところまで来て、疲れ果てて雪のうえに腰を下ろして、それがほんとうの登山口、その隣が駐車場であることに気がついた。わたしたちはわーはは!と笑って、今日はここで、潔く諦めることにした。ひと休みしていると、どこかの旅館のワゴン車がわたしたちの来た道を走ってきて、この登山口まで辿り着かずにスリップして、バックで引き返していくのが、数百メートル後ろに見えた。
除雪道までの帰りは、さっきの一台の車が踏みならした轍をできるだけ踏んで戻った。向こうの方に見える木が、音もなく、大きな雪をずさぁ…と落とした。何かを思い出しそうになった。「腐海だ!」とわたしが言うと、はじーも「いま、そう言おうと思ってた」と言った。宮崎駿さんもきっとこれを見たんだろうね、とわたしたちは言いあった。