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みなかみの記録

3月29日(月)
後閑駅に着いたのは午後二時半前だった。高崎で、わたしはだるまそば、はじーはラーメン。だるまそばには、濃く味のついた赤と黒のこんにゃくの玉が、ひとつずつ入っている。
上越線はかわいらしいクリーム色に桃色と緑の線の入った、春のお弁当のようなみための電車だった。どうしてか、群馬の駅駅は駅名のかいてある支柱に藤色の塗られているところが多かった。曇りの新宿を出たのが、電車が北へ進めば進むほど、天気は晴れていった。そうして線路に沿って青青した利根川の中流の瀬が見えだした。川と線路のあいだに、スーパーみたいに大きなファミリーマートとパチンコ屋(パチンコ・クイーン)が並んで建っているのをはじーがみつけた。
後閑に降りると、埃のようなしろばんばのような、重さのない雪の粒が顔に当たった。空をみるとのんびりした春の青空だった。雪の降らない静岡の市街地の高校に通っていた頃、富士山に大雪が降った後に風が強く吹くと、まれに風花が学校の校庭まで飛んでくることがあって、それがくると授業の途中でも誰かが「雪!」といって、みんなで眺めた。それが、この後閑で舞っている雪の埃は、むしろどんなに雪が当然にこの土地に降るかを見せつけているみたいだった。空を見上げてもそれがどこから来るのかわからないのが、不思議でおもしろくも、きみわるくもあるようで、とにかくずうっと眺めてしまった。
宿のお兄さんが駅まで迎えにきてくれた車で、猿ヶ京温泉へ向かった。途中、「みなかみ紀行」で読んだ月夜野橋を渡ると、すぐ右に義民磔茂左衛門の生家と大きく貼りだしてある家が見えた。牧水は後閑のひとつ手前の沼田駅から歩いて猿ヶ京へ旅する途中、この月夜野橋を渡って茂左衛門の奉ってある御堂に寄ったのだ。車はびゅんびゅん飛ばして山を登ってゆく。車を運転しているお兄さんはずっと黙ってガムを噛んでいる。雪はみるみるうちに膨らんできて、重みをえて、横殴りに車にぶつかってくる。通り過ぎる家々の庭の植木が、みんな同じ方向から雪をうけて、片側だけ白くスプレーされたみたいになっている。
視界が開けて、雪の中に赤谷湖が見えてきた。このダム湖の下に、牧水の泊まった辺りの猿ヶ京が沈んでいるのだ(そのダム湖は、いまは土砂が溜まって、ダムとしての機能をあまり果たしていないと、帰り道も最寄りのローソンまで車で送ってくれながら、ガムのお兄さんは話してくれた)。宿に着いた頃にはもう、真っ白い曇天から、しんしんと雪は降っているのだった。大宮から先、わたしはこれまで上越方面へ一度も来たことがなかった。東北や北関東に降る雪について、一度も真剣に考えてみたことがなかった。雪が、こんなにけろりと姿形を変えながら知らんぷりで降るものとは、これまで一度も発想したことがなかった。
宿はまだ新しくてきれいだった。部屋に入って、荷物をおろして、お茶を飲んでお菓子を食べた。わたしはこういう宿のお菓子を食べるのが好きである。宿に選ばれて旅のお客さんを待っているお菓子の名前に、なんとなく、その土地その宿の心根が占われているような気がするからだ(牧水の頃にもこんなふうにお菓子を置いておく習慣があったかどうかわからない。「みなかみ紀行」には、宿の温泉やお酒のことは書いてあっても、食べもののことはまったく書いていないのだ。長く山に籠もることを考えるときでさえ、牧水は「無論、ウイスキーに何か二三種のよき缶詰などどっさり用意してだ」としか書かない。食べものにはあまり興味がないらしい)。東京の西のはて、檜原村の三頭山荘に置いてあったのは、「山の呼び声」というのだった。ここにあるのは「旅路」だ。ウエハースに白いクリームが挟んであるのを、ぱりぱり食べた。
まだ夕飯まで時間があるので、雪のなかを外へ出た。すぐそこの土産物屋の角を曲がって、赤谷湖に通じる道を歩いていった。雪がどんどん凄くなってきて、傘もフードもしないはじーの頭や赤いチェックのマフラーのむすびめが真っ白に雪を被った。乾いて軽い雪なので、すぐ嵩が増すのだ。わたしはダウンベストのうえにウィンドブレーカーを着て、首から提げたカメラをウィンドブレーカーのなかにいれて、下に着ているパーカーとベストとウィンドブレーカーのフードを三重にかぶって、折りたたみ傘を差した。
木の階段を降りていくと、赤谷湖の眺めが開けているはずの方向が、一面、真っ白に霞んでいた。霞んでいたというより、ばかでかい水槽の水のなかに白い粉を溶かして、その粉がまだ溶けきらないで粒状に残っている、そういう濁った水をみているようだった。そうしてわたしもはじーも、そのばかでかい水槽の濁った水のなかにいるのだった。湖と地面の境界も、山と空の境界もどこにもなくて、ただ、下から上へ、藻草色から灰鼠色へ、そのざらざらした粒の残る水が薄いグラデーションに染まっているだけ、手前も奥もない、音もない。わたしたちはひゃーっと騒いで、それから黙った。手がかじかんで、胸のなかからあわててカメラを出して何枚か写真を撮って、もう、引き返した。
三月の終わりなら春のしるしくらい萌えかけた山を見ることができるだろうと思っていたのがすっかり見当違いになったのに、わたしもはじーもまったくめげていなかった。正面から吹きつけてくる雪にむかって叫びながら、宿まで戻った。わたしたちは、旅の目的地なんてどこでもいい、遠くじゃなくてもいい、海外じゃなくてもいい、お風呂だってほんとうは温泉が湧いていなくても、檜のいい香りのする浴槽だったらそれだけで嬉しい。知らないところならどこでもいい。とにかくどこかへ旅すれば必ず何か待ち受けていて、それをたのしむことが旅をたのしむことだといつもふたりして話し合っているからだ。それがこの大雪で裏書きされたようで、わたしは可笑しかった。宿に戻ってすぐに入った露天風呂は、硫黄の臭いのする雪見風呂になった。夕飯の時間になるまで、あいふぉんから音楽を流して、それぞれいつもしているのとまったく変わらない読書をした。はじー「なんだかすごくいいカフェにいるみたいだねぇ」という。夕飯は炭火焼きの肉や野菜と、岩魚と鮪と鮭のお刺身、山菜のてんぷら、にじますの串焼き、おぼろ豆腐、すいとん、さくらのアイスクリームなどが出た。ごはんがとてもおいしかった。

3月30日
晴天。朝9時、赤谷湖畔の大きなローソンまで、ガムのお兄さんに送ってもらう。雪は明け方まで降り続いて、わたしたちの起きだしたころにはあの晴天のなかの雪の埃に戻って、まだなんとなく舞いながら、車にも植木にも屋根にもふかふかに積もっていた。
朝食のあと、帳場で「きょう、大峰山に登ろうと思ってたんですけど、この雪じゃ難しいでしょうか」とお兄さんに聞くと、沼までならなんとか行けるかもしれないけれど、山頂までは難しいでしょうねぇという答えが返ってきた。そのかわり、彼が子供のころに遠足で歩いたという山の道路がローソンのすぐ先から大峰山のほうへ延びているというのを教えてもらったので、わたしたちは喜んで、そこから歩いてみることにした。
ローソンのひろびろとした駐車場から、昨日とまったく違う、ぱっきりと地面と分離している赤谷湖をみた。湖をとりかこんで、落葉した森の木の薄茶色のあいまに雪の白が霜降りに混ざった山がそびえて、その上にぺっかとした青空のある、はじーがその景色のことを「リタイアして趣味で油絵を始めたじいさんがかいた絵みたいだな」と言った。駐車場の脇にテラスがあって、その誰も足あとをつけていない雪のうえを、わたしは嬉しくて腕を振ってどっかどっか歩いた。ローソンでおにぎり二つ、温かいお茶、味つきゆで卵を買って、お兄さんの教えてくれた曲がり角を探しながら歩いていった。湖畔で撮った写真のなかには、まるまるとふとったホオジロが写っていた。人家の石垣に、黄梅が雪にまみれて、鼻の頭を赤くしたみたいに花の中心部をあかく染めて、やけに艶っぽく枝垂れ咲いていた。
(続く)