(三頭山の)記録

きょう、まだ三頭山の記録をかきおえないうちに、わたしはまた別の山へ行くことになろうとしている。三頭山の記録は、宿から出立するところまでで止まっている。でもその先を書かなければ、わたしはいつまでも、三頭山に行ったことにも、三頭山から帰ってきたことにもならないような気がしている。わたしはまだ三頭山の風景の前にいる。そしてそれは、言葉にならない、なんて言葉ではけしてあらわすことができない、それは言葉のなかにしかない。
三頭山の記録だけではない、なこしとはじーと夜中の4時まで、極寒の高円寺をさまよいながら、店に入ってはお酒をそれぞれ何杯も呑んで涙が滲むまで話をしたひと月くらい前の夜のこと、がちまい家(いまから9年まえ西荻に住み始めたころ近所にあって、わたしが西荻を去る前になくなってしまった焼き菓子の店)のレシピで黒糖ケーキといちじくのケーキを作った日のこと、フランス映画祭の取材仕事で目耳にしたジェーン・バーキンというひとの、そして自分の仕事をまっとうすることを心得ている通訳者や宣伝担当者のさまざまな身ぶり、昨日幡ケ谷で出逢った奇妙なくらい落ち着き払った雄猫たちの村のこと、どれもこれもみな、言葉のなかにしかない風景だ。