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すなはまの記録

11月28日、土曜日。すなはまへ行く。
このすなはまの名前は、三戸浜という。いまのところ、三戸浜だけを、わたしはすなはまと呼んでいる。
品川で、わたしは崎陽軒の焼売の六個入りを買って、京浜急行に乗った。ボックス席に座って、斜め前のお兄さんが居眠りしている隙をみて、ぱくぱく焼売をたべた。冬の京浜急行に乗ってすなはまへ行くのはこれで三度目だった。一度目も二度目も、同じように晴れていて、夕陽になる前なのにもうやわらかくぬるんでいる西日が、今度も同じように、窓から差してきていた。電車を降りると、ひとつ向こうの扉から、聖子さんが現れた。わたしたちは気づかずにずっと同じ電車に乗っていたのだった。わたしたちは、よく似た格好をしていた。
聖子さんは、三崎口の駅前で売っているフランクフルトを一本買ってたべた。わたしは何日か前に聖子さんについてきてもらって中野のフジヤカメラで買った新しいニコンの初心者向け一眼レフカメラを首から提げてみた。ぎこちない。
すなはまに向かう途中、道端に落ちている大根の葉っぱを踏むと、シャクリシャクリと水っぽい新鮮な野菜の感触、新鮮な細胞がきらきら破裂してつぶれる感触がした。その感触が気にいって、聖子さんと話しながら、わざと踏みながら歩いていった。こないだ聖子さんがうちに遊びに来て、渋谷のクラブへ夜遊びするために夜中に出かけていったのに、IDを持っていなかったために入場できなかった話などききながら歩いた。
すなはまでは、三人くらいの男の人たちが釣りをしていた。ときどき魚が跳ねた。
ファインダーから覗いたけしきがとてもきれいで、わたしはあまりシャッターを押さずに、ファインダーばかり覗いていた。写真を撮っている聖子さんの姿を撮った。夕陽と、海と、波と、乾いたすなと、しめったすなと、貝殻やごみみたいなものやわかめみたいなものと、波頭と、波頭の泡と、海の波のうえに映った夕陽のひかりの皺と、……を撮った。(「撮った」の前に「を」をつけることは、実はとても難しい。だけど難しいなんていってないで、どんどん撮ったほうがいいのかもしれない。撮ることは、言葉をすること。言葉「に」することではなくて、言葉「を」すること。そして、言葉をすることは、私に/をすることだ。)
覗いたり撮ったりしているうちに黒い靴が濡れてわたしがぎゃーといって、乾いたすなにすわって、聖子さんもすわって並んで、うちからアラジンの赤いまほうびんにいれて持ってきた紅茶を飲んだ。聖子さんが持ってきたオレンジ味入りのM&Mをすなはまのうえに散らばして、拾ってたべた。(たのしい遊び。たのしい遊び。)
(つづく)