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ダンスを観た

土曜日、吾妻橋ダンスクロッシングを観に、浅草へ。

○ほうほう堂
対等な力でひっぱりあう集中力、その集中力そのものを目撃しているような嬉しさと、気持ちよさ。ほうほう堂の踊りは無口で、その無口は、こどもがひとつの遊びに夢中になるときの無口と同じで、そこからひろがってゆく身体を観ているのが、とても愉しい。観ていたらどんどんどんどんすなおな気持ちになってくるような、すてきな作品だった。

いとうせいこう feat. 康本雅子
いとうせいこうさんのポエトリーリーディングをちゃんと観るのは、今年のアースデーのイベントに次いで二度目だった。前回もそうだったけれど、今回も、「今回も」と予想していたよりもひとっ飛びうわまわって、声がからだに入ってくる。その声の力に組み伏せられる、圧倒される、快楽だった。言葉のリズムが音楽にふっと乗って、まわり出す。「9.11」というキーワードをきっかけにして、2001年9月11日にアメリカで死んだひとびとの身体と、1945年3月に東京で死んだひとびとの身体を、会場のすぐ傍を流れる隅田川をひゅっと指さして、言葉がむすびつける。どきんとする。言葉には意味がある(それは当然のことだろうか?)、意味が呼びかける(それは当然のことだろうか?)、わたしに向かって呼びかける(当然のことだろうか?)。その言葉はひとつひとつの人間の身体について語る、その言葉はひとつひとつの身体の死を平等に悼む、平等に悼むことを宣言する。その言葉に拮抗して、康本雅子さんのひとつの身体が、炎をちらつかせて、踊りつづけた。朗読(言葉/声)と身体が同時に舞台にのっていることの意味がこんなにある作品を、わたしは初めて、初めて見た。おもいだすといまでも涙の膜が目の表面に浮かんでくる。