詩、昏睡

C.D.ルーイスというイギリスの詩人がかいた、「詩をよむ若き人々のために」という本を読んでいる。とてもすてきな、正確な、ことば遣いでかかれた本だ。わたしがもし高校生くらいのときにこの本を知っていたとしても、引用されているイギリスの詩になじみがないので、いまほどきらきらと読めなかっただろうと思う。でもこの本をわたしは、そのときに比べてイギリスの詩になじんだから手に取ったのではなく、この本のことを教えてくれたのは、田村隆一という日本の詩人の「路上の鳩」という詩論だった。詩や詩論をよむことが、とつぜん(いまさらとは(死ぬまで)言わない)、私のなかで流行りだしてる。
火曜日、小竹向原にて、演劇「昏睡」鑑賞。とてもきもちよかった。あれは、詩のような戯曲、ではなく、れっきとした詩だったとおもう。だからこそ、ことばだけで立ちあがった世界が、あんなふうに肉体(にくたい、というせりふもあった)と混ざって、詩であるままに演劇になるということが、とてもふしぎで、いとしい。