同じだけの量の光

土曜日、BankArtへ行き、原口典之展をみた。annaと。BankArtの灰色の廃墟然とした佇まい(それはあくまでも「然」であって「廃墟」ではない、なぜならこの場所にはいまでもちゃんと人が通って、空気が入れ替わっていってるからだ)に、その人の代表作であるという、廃油のプールがあり、それはその場所に、とてもよく似合っていた。でももしかすると、このプールは、どんな場所に置いたとしても、似合ってしまうのかもしれなかった。でももしも似合ったところで、もしもこのプールを例えばぴっかっと真っ白く輝くギャラリーで見ていたら、わたしはこの作品に果たしてこんなに動揺させられていたか、わからない。廃油はどこまでもくらく、くろく、おもく、横浜の海の水のようには、めったなことでさざ波立ったりしない。ふーっと息を吹きかけると、てろんてろんてろんとやっかいげに油紋がひろがって、すぐに消えた。そうでもしてみなければ、そこに液状のものがあるとは信じられないくらい、プールの面は、ぴたと息をとめて完璧にその周りの世界を映しこんでいた。BankArtの灰色の天井が、プールのずーっと底に沈んでいた。天井近くにある嵌め殺しの採光窓の完璧な模倣が、プールの底近くから、同じだけの量の光を放っていた。

それからみなとみらい駅まで、annaとぷらぷら歩いてゆくと、観たいと思っていたラ・マシンのパフォーマンス、横浜開港150周年記念の、がいましも始まるところだった。お金を払って会場に入るのをためらっていると、近くの歩道橋にひとだかりがある。すかさずそこへのぼるとちょうど音楽が鳴りはじめ、クモが踊りだした。わぁい、観れたぁと思いながら眺めていると、annaは片耳をぴんと立てて、隣の老夫婦からぴこぴこと情報を収集して「これは今日の最後の公演なんだって」「昼間は会場の外の道路の間の芝生のところを散歩したりするんだって」とわたしに伝える。わたしはお祭り気分が盛りあがってきてしまい、annaをそそのかして初めてコスモワールドに入って(annaは初めてじゃないが)、観覧車にまで乗ってしまった。夜、annaと一緒にうちに帰って、はじーの作った赤と緑のインド風カレー。手作りナン(これはちょっと固かった)。

日曜日、代々木公園の、リードを外された犬のたくさん走っているところへ行き、大小とりどりの犬たちをしばらく眺めた。同じ大きさと色調の相手を見つけた二匹は、ずーっとお互いを追いかけあって遊んでいる。そこへふたまわりも小さくてまるまっちい白い犬が、自分も仲間に入っている体でわりこもうとしているが、二匹は目もくれない。誰が呼んでもうわのそらで、ひとりで木の根元ばかりゆっくり検査してまわって、匂いを嗅いでいるシベリアンハスキーがいる。地面を高速で掘りつづけている、頭のよいのだか悪いのだかよくわからない小型犬。はじーが、犬の中でもこれだけはかわいいというシープドッグが、飼い主のお兄さんに白い腹をみせて仰向けに寝転がり、お兄さんはわっしゃわっしゃとその腹をかきまわしてやる。見せつけてるのだ。わたしが「飼えばいいのに」と他人事のように言うと、はじーは「かわいそうでしょ」という。「誰が、」と聞くと、「はじーが、犬が死んだら、」という。
話のしかたを飼い主に教えてもらえずにいる柴犬が、うつろな目でこちらをみる。