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海・日没(今年の、あるいは続きの)

午後3時、三崎口、一年弱越しの三戸海岸。海にはまだ秋の温度がある。むかし、こうして秋や冬の海(三保海岸)にひとりで出かけ、誰か見知らぬ男に出会う白昼夢を見た、わりと、ひんぱんに。当時は実行しなかった。おとなになったいまも、ひとりでは行かない、ひとりでは行けない、行けなくていいのだと思う。行きたくなるまでは。行かずにいられなくなるまでは。海には聖子さんと行く。しかもいまでは、男を夢見て行くのではない、なにかもっと軽いもの、静かなもの、光のようなもの、寒けのようなもの、夢見ることそのもののようなものを見に行く。
ひとりで乗る温かい京急快特のボックス席。三崎口のロータリーを見るときの、会話したことはないけどよく顔を見るひとを見るときのような距離感。どれひとつ去年の作物ではない、なのにまったく去年と同じに生えそろっている一面の大根。黒猫、海、猫たち。猫のうんこを見学する。海辺はどこも砂だから、猫はとてもやりやすそうにさっさとほって、真面目な顔でうんこをして、さっさと砂をかける。その猫の手のかわいさ! 三浦市農協の小さな店、洗濯ばさみにぶらさがったゴム手袋。なにかの破片。きょう、日没の太陽は雲の向こうに溶けて見えず、錯覚のように淡い富士山のあたまが中空に浮かび、いつまでも魚の赤身のように赤い夕焼けが残っていた。
海後、横須賀中央まで移動してモアーズのギャルショップで小さく買いもの・満足し、電車のなかで嗅いだ焼き鳥の匂いによりふらふらと立ち食いの焼き鳥に寄って各自6本、8本、ぽいぽいたべる。出来たての焼き鳥の立ち食いのおいしさ。それから月印カフェに行くと、あかりはついたまま、ストーブも燃えたまま、パウンドケーキは切りかけのまま、温かくて、しんとして、誰もいない。しばらく「しん、」を満喫する。お姉さんが戻ってきて、わたしたちは「おじゃましてます」といって、注文をとってもらう。バスペールエール(とおまけの塩味ラスク)、舞たけと蕪のクリームスープとオープンサンド、ベジプレート(根菜のペースト、ピクルス、同じスープ、同じパンなど)など、どれもこれもおいしい、おいしい、おいしい。必然のように生活の話となる。月印のお姉さんが、奥のアンティーク屋のご主人につくる焼きそばを盗み見る。誰かの漫画のなかみたいなカフェの登場人物たちの会話を盗み聞きしながら、むしょうに煙草を吸いたくなりながら、会話は来年への指針・私信となる。