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音立てぬ忍耐強い蜘蛛

いま、よるの二時だ。「ガラテイア2.2」を、ぱたりとひらいたところから読みかえした。大好きな叙事詩。ひらいたところは、「僕」が「ヘレン」にホイットマンの詩を読んでやるところだった。(音立てぬ忍耐強い蜘蛛、と僕は彼女に言った。)
読むべき本の集積が、机のうえで五重塔のようなことになっているのを下に降ろして「いつものように、死ぬまでに読めそうもない本がこれだけあるのかと心配しながら」。読書はいつも、そこから。

内藤礼さんのあたらしい作品を、東京都現代美術館へみにいった。入場締切のぎりぎりの時間に行ったので、あまりゆっくりはみられなかった、けど、その作品のなかにいるあいだじゅう、からだが球体になるくらい、充ちた。
展示室に建てこまれた、ワンルームの部屋くらいの大きさの四角い箱。なかにはいると、手前と奥の壁に大きな窓があって、手前の窓際では水道の蛇口から水がながれていて、その水のいっぱいになった円筒形のグラスのふちから、静かにシンクに溢れ続けていた。ときどきその水のつかえる音がした。グラスのなかで澱のようなものが揺れ続けていた。薄い布のようでもあった。そのシンクを、三脚に置いたカメラで撮影している男の人がいた。男の人の反対側の床に置かれた白いまるい皿に、豆電球がのって、ともっていた。(わたしは上を見あげた、)天井には正方形の窓がふたつ、薄い光のはいるのを赦していた。(そうして首をまたもとに戻した、)向こうの窓のそとで、窓をみがいているひとがみえた。窓の向こうの遠くにも、豆電球のあかりがあった。窓のこちら側のさんに、みずいろの瓶が置いてあった。窓の外側のさんにも、みずいろの瓶があった。それが映りこみなのか、窓の向こうにもうひとつ同じ瓶があるのか、わからない。眼をこらす。向こうにある瓶のふちは、世界が二度書きされたみたいに、ぶれている。外に出ると、外側のさんにも、みずいろの瓶が置いてある。でも、なかにあるはずの瓶はみえない。振り返ってみると、外にみえたはずのあかりはない。外から窓をみると、内側の様子はなにもみえない。わたしの姿が、わたしの後ろにある展示の様子が、窓に映っている。違う、中でともっている豆電球のあかりの点がみえる。でもあれは、ほんとうにさっき部屋の中にみたあかり? 窓には薄い白い膜がふわーとかかっている。どこかからくる、とても微かな風にゆれている。窓のない二面の壁には、黒い手摺りが一本ずつ、向かい合わせについている。もう一度中に入って、ひとつずつ、確かめた、世界を二度書きしたいみたいに。とても、触りたかった、そして、まったく同時に、触りたくなかった。窓を磨きおえたひとは、とても満ちたりた様子で、その壁のすみにもたれて、座っている。


内藤礼/無題(通路)
@「パラレル・ワールド もうひとつの世界」