まっくら森

昨日は寝る前に「東北の神武たち」を読みました。東京の地政の話をはじーとするようになってから、ひとつの村の描写、その地政の描写に深沢七郎がこれだけ長けているということが、どんなにその小説にとって核心的か、改めてしみじみと感じられるのです。その地政の描写の揺るぎなさは、富岡多惠子の「末黒野」にも似たものがありました。そしてたとえば横田創の「嘘で塗りかためられた人生」は、その舞台がほかのどんな場所とも関わりのない(その舞台のある位置がはっきりとかかれていない)、ひとけのない海水浴場の海の家であることで、かれの作品中でもっとも詩的なもの、地理・地政を逸脱した浮遊感のうえに成り立っているもののように思えます。そういう仕方でワーッといろんな小説や映画のことを思い出すと、これまで見えていたのとまったく違う景色がみえます。生まれて初めて、「歴史」という言葉に実感が湧いたような気もします。私はゴダールのインタビューの言葉を印刷した紙を何年も前からクリアファイルに入れています。でもその言葉の意味も、いまになってようやくわかる気がするのです。いまそれをここに書きたいのだけど、どうやらそのクリアファイルをいま家に忘れてきてしまったようなので、あとで書くことにします。
そして詩や絵本は、その意味で、「どこでもない場所」を表現することなのかもしれません。