オリンピックを観ています

今回のオリンピックを、私はとても熱心に観ています。家に帰ってテレビをつければ、走り出す前に体の中に音楽が跳ね回っているように軽く身体を揺らしていた陸上100メートル男子のボルト選手の身振り、100メートル平泳ぎを泳ぎ終えたあとの北島選手の身振り、バタフライの最後のひとかきをかくフェルプス選手の身振り、ソフトボールの上野選手の一投一投、女子サッカーの澤選手の走る姿、バレーボールの…(バレーボール! 今回のバレーボールは、男子も女子も、ほんとうに楽しそうに戦っていた!)、どれをとってもほんとうにうつくしいのです。それをみるということ、ただみていることができるということは、とても贅沢で愉しいことだなぁと、選手たちが何かをやり遂げてにこにこするたびに、私はつくづく思います。
オリンピックが始まった頃に、チベットの自治問題などを理由にオリンピックを観ない、と書いたブログを私はいくつか読みましたが、ああ、もったいない。スポーツする人がうつくしいということと、政治の問題は、単純に、関係がないと思います。朝日テレビのニュースでは、中国の四川で、地震で家を失った人たちが、外にテレビを設置して、オリンピックをみんなで観るよといってわらっていました。