宮澤賢治の暴力

大澤信亮さんの「宮澤賢治の暴力」(『新潮』2007年11月号)を読んでいる。
暴力について、かんがえている。
「無用であること」について、かんがえている。

あるインタビューで、谷川俊太郎さんが「メッセージという言葉が大嫌い」と言った。その理由を読んで、メッセージという言葉の暴力の度合いのたかさが、実感として、とてもよくわかった。実感として、とてもよくわかるということは、とても大事。(以前、何かで読んだデカルトも、ある女性に対して、「理解するということは大事だが、理解することに一所懸命になって疲れてしまってはいけない、大事なのはひとつの理解した事柄を、じっくり自分のこととして実感すること」という主旨のことを言っていた)
実感としてでない言葉を使いすぎているから、いざ実感の言葉を、と思っても出てこないのだ。もっと、いつも、曝されないとダメだ。

それから、川上未映子さんのブログをアンテナに追加した。川上未映子さんのブログは、読んだら、おもしろかった。実感の言葉ではなく、言葉の実感に沿って書かれているから、一見読みにくそうな文章がつるつると読めるのだと思った。「詩のことば」特集のユリイカの鼎談で出てきた、蛍光ピンクのテープと蛍光グリーンの杭の工事現場の話もおもしろかった。あと、「未映子」ってすごくいい名前だと思う。

ユリイカ2008年4月号 特集=詩のことば

ユリイカ2008年4月号 特集=詩のことば


新潮 2007年 11月号 [雑誌]

新潮 2007年 11月号 [雑誌]