富士日記

6月の半ばに、「富士日記」(下)を読み終わった。(上)を読み始めたのは、四、五年前のことだ。上を読んでいたときに乗っていた電車のことを覚えている、いつも電車のなかで読んでいたから。自分の歩いている道の春の陽気が、山の陽気と重なってうきうきしたのも。あああ、すべて読み終えてしまった。(下)を読み終わるまでに、「日々雑記」も「遊覧日記」も「言葉の食卓」も、「眩暈のする散歩」も読んでしまった。「犬が星見た ロシア旅行」は、ちゃんと時系列どおり、中と下の間で読んだ。「富士日記」(下)を読み終えたとき、フレッシュネスだった、夜のフレッシュネスだった、会社帰りの、私は泣くのをがまんしてフレッシュネスを出て、でも階段を昇って山手通りに出たら、やっぱり涙が出てきてしまった、(泣きたくなるような、胸がつまるようなことは、そこらじゅう、そこらじゅうだ、と私は思った、)はじーから電話がかかってきたので泣くのを一しゅん我慢して、でもはじーに会って帰り道で富士日記のことを話していたら、やっぱりまた泣いてしまった。
これから「新・東海道五十三次」を読みたい。秩父の山の道をあるいているとき、切り株についた苔がひかって蛍光ミドリに見えると私が言ったら、はじーは「『ひかりごけ』だねー。ちゃき、ひかりごけ読んだ?」「まだ読んでない」「泰淳供養に、読んだらいいよ」と言った。

富士日記〈下〉 (中公文庫)

富士日記〈下〉 (中公文庫)