続き

言葉は、言葉で、言葉と闘う。闘う気力が失せた時、ころりと直接的なものが恋しくなって、さわれるものが恋しくなって、「自分は悪くない」とさけびながら人を刺したりするのだ。「自分のせいで友だちが死んでしまった」と自分を責め、さらにそれを反省して立ち上がる「電脳コイル」の子供たちと、こんなに対照的に。殺された人のなかに、わたしの知人はいないのに、わたしはまだ、知人がたくさん死んでしまったみたいにかなしい。あの「電脳コイル」の子供たちが殺されてしまったみたいにかなしいのだ。