きょう

一日じゅう、むねがいっぱいの日。土曜日と日曜日にみたもの、きいたことを、ごたまぜに思い出している。土曜日、わたしはMちゃんに会い、一度入ってみたかった渋谷のフルーツパーラー西村でフルーツクレープとブルーベリーホットケーキを食べ、喋りながら、喋り続けたまま新宿に行き、私が伊勢丹で靴を買うあいだ、Mちゃんの物欲はふつふつともえあがり、もえあがったまま、私たちは伊勢丹を出て、向かいの淳久堂でふたり並んで文芸誌を立ち読みした。私は「考える人」の高野文子鶴見俊輔の対談を読んだ。それで日曜日の終わりに「黄色い本」をベッドの中にひっぱりこんで、けさ、できるだけゆっくり、読みかえした。主人公の田家実地子という名前は、なんて堅実ないい名前だろう。「だけどまもなく」「お別れしなくてはなりません」「仕事につかなくてはなりません」「革命とはやや離れますが」「気持ちは持ち続けます」と黄色い本の登場人物たちにいって、田家実地子は就職する。堅実な衣服の仕事に就く。おわかれだ。おわかれのことを考えていたから、きょうはむねがいっぱいだったんだ。
土曜日の夜は、全日本バレー男子のアルゼンチン戦をきゃーきゃーいいながらみて、16年ぶりにオリンピックに出られることになった人たちを嬉しく眺めていた。
日曜日、伊藤比呂美の朗読会のまえに待ち合わせたS子さんが、秋葉原で無差別殺人の事件があったことを教えてくれた。心配した母親からメールが来た、とS子さんがいった。タリーズのテーブルに写真や紙の束を積んで、その束の山の向こうにいるS子さんと遊んだ。伊藤比呂美の声は、前回よりもいななきに近かった。かなしみが部屋にみちた。夜になって部屋に戻るとやまもっちが来ていて、「電脳コイル」の鑑賞会が始まっていて、そのまま加わって最終話まで「電脳コイル」を観た。はじーもやまもっちも泣いた。はじーはおいしいサイコロ牛肉の煮込み入りのパスタを作ってくれた。「電脳コイル」はこわいアニメだった。小学生の時にみていたら、嫌いになっていたかもしれない。でも、「電脳コイル」も、おわかれのことだった。きちんとしたおわかれのことを、真剣に考えているアニメだった。
私は、少しずつ、少しずつ、こわいものを目をそむけずに見ることが、できるようになったと思う。小学生の頃は、普通の子供がわくわくするようなシーンでもこわくて見られないことばかりだった。「チキチキバンバン」や「ロジャーラビット」がこわかった。映画の主人公に、危ない橋はできるだけ渡ってほしくなかった。私はいまでもホラーは苦手だ。でも、私をこわいものに少しずつ、少しずつ、慣れさせたものは、言葉、そのものだった。論理の力に貫かれているものは、とてもこわいけど、こわくない。こわくないけど、一番こわい。
直接的なものとは、いつも闘っていなくてはならないと思う。きちんとした理由の、きちんとした言葉のあるおわかれを、ひとつ、ひとつ、大事に、しなくてはならない。「電脳コイル」のヤサコが言ったように、「痛みを感じる方向に」走ること。