木曜日
バレエの稽古、二時間。まわること・ぴるえっとはいつも難しい。それから、学生のとき編集スタッフだった早稲田文学の復刊記念パーティーの二次会に、風花までタクシーで飛んでゆく。なんと贅沢な! こんな場面でタクシーをつかう自分が新しく、びびる。外苑前の気分にそそのかされたのだろうか、いや、そそのかされたに違いない。新宿通りの切れめでタクシーを降り、びちょびちょ雨の中で迷って、私よりも道に弱いはずのMに迎えに来てもらう。風花の入口に、後輩だったSさん。中に入ると大混雑で、ドアにいちばん近い手前の席に、ハジー座っている。縮こまりながら挨拶したり、言葉の熱にしばし打たれ、ウィスキーの水割りを飲んで、ぼーっとする。遠くに川上未映子さんが見える。川上未映子さんが動くと、みえこさんーみえこーと呼びながら大勢の人のかたまりが動く、その動いているのを見ていた。そのあと批評家の青木純一さんと、しばらく詩の話をする。「詩はプラグマティックなところから発生してるということを忘れない方がいい」と、青木さん言う。最後にすこし居眠りして、起きたらきっこさん(風花のママ)にプチトマトを差し出されて、ひとつ食べて、そのへたをつまんだまま、さむいさむいと言いながら、またタクシーに乗って帰ってきた。あとになって、プラグマティックとは何だっけと思い返して、実用という言葉に当たり、実用のことなら、いつも考えていると、気がついた。
そしてさっき、その青木さんのメーリングリストでこの記事を知る。わたしの「お父さん」「お母さん」と呼んでいた人たちは、幼稚園に引越して、きゅうにわかがえって、園児になっちゃったみたいだ。でも湿気と熱気に包まれていることには、変わりないみたいだ。なんだかこそばゆい。